篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判」について

これは、Yahoo!TEXTREAM「最近の「反・九州王朝説」くんたちは、まったくレベルが低い」の中で、tousyoubohiさんが篠原論文について考察したものである。
古代史家唱える処の受け売りを以て自説とする投稿子もまま見受けられるこの掲示板上で、珍しく論文をキチンと読んで自分なりの考察を加えてみようというtousyoubohiさんの今回の姿勢に感じるところがあったので、今後の議論に資する意味もあって、tousyoubohiさんの許諾のもと、私のホームページに掲載させて頂くこととした。

尚、開始日付「12月24日」の年次は2015年である。

篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判」は、「CiNii Books 論文PDF オープンアクセス」から入ると読むことができる。

-許諾願い-

No.2184 ハイエナのパパ 12月24日 22:46
>>2174
tousyoubohiさん、こんばんは(^o^)

一つ、許諾願いがあります。tousyoubohiさんの「篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判」について」という考察を、私のホームページに転載させては頂けないでしょうか? これは掲示板上で流れ過ぎさせてしまうには惜しい考察かと思います。

かつてもrunsunnoleさんとの「一大国論争」を私のホームページに掲載させて頂きました。
http://hyenanopapa.obunko.com/ichidaikoku_ronsou.html

tousyoubohiさんの考察を、私のホームページ上で、ひとまとめにしておくことで、今後の議論にも資するものがあるのではないかと思うんですよね。 いかがでしょうか?


-許諾コメント-

No.2187 tousyoubohi 12月24日 23:17
>>2184

こんばんわ。

>私のホームページに転載させては頂けないでしょうか?<

好きにして。 お酒、飲み飲み書いているので、大したことは無いと思うが、 一旦、textreamに載せてしまえば、一人歩きしてもしかたない。

いずれにしろ後になって「私はそんなこと言ってない」とはしないヨ。

ただし、考えが変わることは有り得るけど♪

取り敢えず最後まで読んで見ましょう。

No.2174 tousyoubohi 12月24日 10:54
>>2163

篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判」について

この文章は以下の12の章立てになっている。

1.『周髀算経』の「一寸千里説」
2.「一寸千(短)里」説の登場
3.『周髀算経』の単位進法
4.後漢・趙爽の単位認識
5.「一寸千(短)里」説批判
6.諸記録の再検討
7.他史料記録値との比較検討
8.一寸差率値の変遷
9.誤差要因の検討
10.周古尺系「短里」の可能性
11.方格地図の存否
12.道路里数の過大性

この内で1と2は序文で、寸千里からの短里説を紹介している。
特に事実誤認も無いと思うから、3以降の本文を見て行けば良いんじゃないかな。

けど、10ページにも及ぶ力編なので、少しづつやって行きましょう♪

No.2177 tousyoubohi 12月24日 13:50
>>No. 2174

篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判」についてⅡ

3.『周髀算経』の単位進法

周髀算経に含まれる記述から一里は300歩で一歩は六尺であるとしている。
(天馬の感想:おお~~、これって青ちゃん説と同じだ。
そう言えばムクポンも・・・。)
次いで古田説を紹介している。
”一歩は、24cm前後とされる一尺とほぼ同じ長さであり、歩が一尺の倍数になる関係は無いと切り離している。”
とのこと。

(これに関してはザラさんに補てんする投稿を期待!)
すなわち古田説では一歩六尺を否定しているんだ。
でも篠原は、「その実態はこれを端的に否定している」とバッサリ。

↓以下はオラの感想。
肝心な実態の説明や、それが事実である証明は無いのですネ。
と言うことで・・・。 ネットでも良くある言いがかり投稿ですナ♪
ま、篠ちゃんも青ちゃんレベルと言うことで・・・。

さらに谷本氏について、(もし寸千里から短里が言えるなら)
短尺、すなわち4.2~4.3cmである尺への論証をすべきだがそれは無い。
また、それを示すモノサシの遺物も見つかっていない。 と否定している。
それがあれば勝負あったでしょう。
そんな物証が無い中で「寸千里」は従来の見解とは異なる、
一里=76mを示唆していると言うのが谷本氏の言い分なんですから♪

3章では篠原なる人が、青ちゃんやムクポンや、あ・な・たと同レベルであることを示しただけ。
あるいはこれらのアホsが、こんなのを読んで追随しているだけを天下に晒した♪2180

No.2180 tousyoubohi 12月24日 17:17
>>2177

篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判」についてⅢ

4.後漢・趙爽の単位認識

「後漢時代の人で趙さんが注釈をつけているが、
谷本氏は、趙さんがこの問題には触れていないので、
短い里単位について何らかの認識を持っていたかもと言っている。」

「もともと短里は存在しないんだから、これを是認する根拠は生じないが、
確認はしておく。
調べて見ると後漢から呉にかけて、寸千里の記述に疑義は出されていない。
隋代になって初めて検証の動きが認められる。」

短里の有無を検証する論で、いきなり存在しないと結論を出す矛盾が哀しい!
寸千里の法則は後漢から呉の時代にかけて、ずっと受け入れられて来たとのこと。
千里で1寸だけ八尺の棒の影長が変化することに疑問は出されていなかったから、
この事実は北緯35°付近で千里は76kmは受け入れらてたってこと♪

No.2190 tousyoubohi 12月25日 00:10
>>2180

篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判」についてⅣ

5.「一寸千(短)里」説批判

まず、このタイトルのつけ方が恣意的で、一寸千里説を批判するような印象を与える。
パットみれば「一寸千里」そのものが批判対象になっているように見えてしまうのだ。
実際、この論考文の後半では、寸千里の測定そのものに疑問を出しているが、
タイトルから見たこの章の内容は、
寸千里から導かれた「短里」なる説に疑問符を付けるもののようだが、
実態は大地が平坦であるとの概念で「一寸千里」を解釈すべきだとだけ言っている。

著者は橋本敬造と言う方の言い分を引用している。
橋本は明確な地球の概念があったかを問い、
無かったのなら地は平坦であるに従うべきだと言っている。

確かに当時の中華の民の大地に対する概念は平坦であり、
これに基づいて天文現象を理解しており、
この本でもかなり苦労はしているが諸現象を上手く説明している。
残念ながら大地が球で自ら回転しながら太陽を回っていることは、
ずっと遅れて認識された。
だからと言って、「正しいモデルで観測事象を検証してはならない」
との言い分は科学の在り方を冒涜するものだと私は考える。

寸千里を導いた観測に関する記載は簡素であり、
その結果は少しも大地のモデルに影響されるものでは無い。
そして現代の知識で各地の夏至日の太陽の高度に関するデータを解釈し、
それぞれの観測点の相対的な位置を現代の単位であるメートルで示す行為は、
古代の中華人が大地を平坦と考えていたことになんら影響されない。
そもそも古代人はメートルなんて知らなかった!

批判のタイトルが付いているこの章では、
橋本説のみが批判的内容で、著者が批判する意見は明確でないが、
おそらく同意とのことだろう。
ついで「冬至や北極星に関する記述もあるから、
これらの測定値の妥当性も検証すべきだ」と記して次章に繫いでいる。

タイトルの割には自分の意見も無く、かつ明瞭な橋本説支持も無い!
この論文の解りにくさは、著者のこんな態度にあるのでしょう。

No.2195 tousyoubohi 12月25日 09:13
>>2190

篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判」についてⅤ

6.諸記録の再検討

本章で論考は夏至日の影長を記載した「寸千里」以外の、 冬至日や北極星の記録を用い観測地の緯度等について検討している。
緯度は夏至から求めた緯度と冬至から求めた緯度を、
足して2で割ってほぼ35°19’47”としている。
ついで補正を加えて再計算し、緯度が都より北になるとしている。
観測誤差の補正を行った上で、測定時の黄道位置が1500年程度、
隔たっているとしている。
さらに、北極星が8尺に対し1丈3寸から観測誤差補正して、
37°49’03”となるから2°以上の差があり、
山西省あたりになるとしている。

これらの結果についての考察がないが、
測定精度が低いことを暗に示しているのであろうか?

この後、論考は以下のように進み、他の資料記載値の比較が続く。

 7.他史料記録値との比較検討
 8.一寸差率値の変遷
 9.誤差要因の検討
10.周古尺系「短里」の可能性
11.方格地図の存否
12.道路里数の過大性

全体としての論調は、誤差は時代を遡るほど大きくなり、
最も古い「周髀算経」が一番大きいと主張するものだ。
それらについては順を追って見て行くこととするが、
ここでは本章について私見を述べる。

まず前章で大地は平坦として検証すべきだとの橋本説を紹介しながら、
まあるい地球の絵を載せ、補正までして測定値の緯度を出している滑稽さに唖然とする。
主張が一貫していないので読む側が混乱する。
冬至日の影長については、夏至日の影長から求めた緯度地の値に対し、
数%長く測定されていることは既知だ。
二つの平均を求めればその差の半分の影響を受けて緯度が北へ動く結果となる。
数値の曖昧さを理由に「寸千里」の記述を否定しようとすれば、
これらの誤差は大きいとなり、
魏志倭人伝の行程記事のおおきなズレを里長の補正で行おうとすれば、
数%は十分に許容範囲だ。何しろ5倍程度の違いが検証対象だから。

No.2198 tousyoubohi 12月25日 17:29
>>2195

篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判についてⅥ

7.他史料記録値との比較検討

周髀算経すなわち西周時代BC11世紀から、宋AD10世紀までの冬、夏至影値を表にまとめている。
測定場所は陽城としその緯度から算出される影長と比較しているが、洛陽の可能性にも触れている。
年代が下るほど、緯度から求めた真実値に近づく傾向があると指摘。
夏至より冬至の方が誤差が大きいが、それは半影の為としている。
周髀算経の値は他の資料に比べ、誤差が大きいから実測ではないとの説を紹介。
誤差要因としては、半影(天馬の主要因)・棒の垂直度・測定値の水平度(サイバーの主要因)・
夏至や冬至の決定日の差(これは初見で興味深い)などを挙げている。

その上で周髀算経の冬至の差は考えにくいほど大きいとし、
これが実測とするなら高緯度地での測定か半影の影響だろうと主張。
また後代は分の桁まで測定しているが、寸までだから実測値から乖離した観念的な数字だ。
その上で夏至影値が正確な実測値を反映している可能性は極めて乏しいと結論している。

周代の測定場所が確定しておらず、また夏至日に16寸と15寸の違いをことさら問題にする大きさであろうか?
また冬至の方が大きいとするが、絶対値ではそうだが率でみれば大差ない。
実測を否定するほどの差とも思えない。
また寸の桁までの記録となっているが、たまたま、寸で丸められる長さであったとすれば、
「寸千里」の簡潔なコピーが意味を持って来る。
これは、その後も継承された情報であったようだ。

No.2200 tousyoubohi 12月25日 22:03
>>2198

篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判についてⅦ

8.一寸差率値の変遷

寸千里説は伝承されていた。
見直しの動きは442年の何承天の計測である。
北回帰線を越えた交州では影の向きが変わりその長さは南3.2寸であった。
陽城では1.5尺であったので、影長の変化は1.82尺となり、これから600里1寸が求まった。

信都芳は508年に洛陽で1.58尺と計測し、544年に金陵で1.17尺(9尺から換算)と計測した。
影長差は4寸であり、1寸250里とした。
僧一行が724年に測定を実施し、一唐度351里80歩を求め、初めて子午線1°の算出を行った。
1001年には子午線3°が1000里であったとの記録がある。
これらから1°が何里かの時代による変遷を図示すると、年代を遡ると誤差が大きくなった。
一方で寸千里説は、この傾向に反して、442年をピークに誤差が減じるので、非科学的な立論と結論している。

寸千里が一定期間批判も受けず伝承されていた事実は、都周辺で違和感が少なかったことを示す。
このことは谷本氏が主張するように、短い里に関する認識が残っていたのではないか。
後代に検証の動きが出たことは長い里の単位の定着により矛盾が認識され始めた証拠だ。
440年頃は一寸600里であり、未だ短い里の影響が伺われる。
これに対し500年過ぎに距離と影長変化の関係に劇的な変化が生じ、以後に定着するのは、
唐代になってようやく全土で440m程度の長い里距離が定着したのではないか?
管制の里とされる一里=300歩は唐の直前に始皇帝が定めたことに由来するとしたら整合する。(No.2234で以下のように訂正)
官制の里とされる一里=300歩は始皇帝が定めたが、唐代になってようやく全土に定着したなら整合する。

漢以前に丈・尺系とは独立な歩と連動する短い里があったことを否定するものでは無い。
500年頃に1寸の影長変化を与える距離が劇的に変化するのはこの現象を示唆している。
歴史事象は時代とともに連続的に変遷すると言う考えは決して科学的でないと思うけどなあ。

No.2201 ハイエナのパパ 12月25日 22:19
>>2192

と、tousyoubohi大上人様(-_-;)ペースが速うござる(-_-;)

ページを作成してⅠ~Ⅲくらいまで転載しましたが、追っかけるのにアセアセ・・・状態ですってば~(-_-;)

本気を出すのもほどほどにして頂くとありがたい(-_-;)

No.2204 tousyoubohi 12月25日 23:20
>>2200

篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判についてⅧ

9.誤差要因の検討

後代のデータから誤差要因を検証している。
僧一行の結果が寸千里の(実際はもっと大きいのに)半分程度なのは、
距離が過大に測られ、影長が2寸も短かったためだ。
王冠倬は唐小尺=24.75cmを使用したとし、1°が21.36m超過(111mに対し)とした。
別の論文では誤差は11.8%とし、橋本らがこれに従い、実測の精度に高評価を与えた。
これに対し著者は異論を紹介し、誤差は拡大すると予想している。

この章の内容も難解だ。と言うか著者が何を言いたいか掴みかねる。
後代の測定は精度が高いものの未だ誤差が大きい(まして古代ならさらに大きい)と言うことか?
誤差要因の検討と言う表題の章であるが、内容は距離を決めるのに、
どの尺を選ぶか、一歩を5尺とするか6尺とするか等で差が出るなど諸説の紹介で、
唐の時代になっても、なお、一里の解釈に学者により諸説あることを露呈している。
唐代でも誤差があるのだから古代ではなおさらと言いたそうだけど・・・。

No.2205 tousyoubohi 12月25日 23:31
>>2201

こんばんわ、ハイエナどん。

さきほど↓をupしました。

篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判についてⅧ
9.誤差要因の検討

>本気を出すのもほどほどにして頂くとありがたい(-_-;)<

そう言われても、こちらも間が空くと全体の流れが、自分で掴めなくなるので。。。
8章9章辺りが主文と見ているので山は越えたと思いますが、残りは、

10.周古尺系「短里」の可能性
11.方格地図の存否
12.道路里数の過大性

の3章ですネ。
一気に片付けようと意気込んでましたが、一息入れて、冷静に読み直しましょう。
そうじゃないと批判精神が頭をもたげて、だんだん過激になっちゃう♪

No.2221 tousyoubohi 12月26日 20:55
>>2204

篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判についてⅨ

10.周古尺系「短里」の可能性

本章では周古尺が使われた可能性と僧一行の距離測定に関する二つの話題が扱われている。
薮内清は南宮説が唐代の一里(440m)より大きく信都芳の値に一致することから、
唐代の測地尺が古い伝統に従い19.9cmの周尺に近いものを使用したのではとする。
だが著者は、確認された後漢の測影尺は23.6cmであり、
遺物から求めた尺度は24.75~24.67cmであり、
さらに20cmの周小尺が唐代に伝存していないことからも薮内説は成立しないと言う。

著者は漢代以降は清代まで一貫して周尺では無く公定尺が使われていたとしている。
この件では事実の説明のみだが、忖度するに、異なる尺が入り込む余地は無いと言いたいのであろう。
だが寸千里からの主張は、従来の里長体系とは異なる短い里の存在だから議論がかみ合わない。

僧一行の1唐度351里80歩の結果は、+36.9%の誤差、扶溝・俊儀間で+25.1%。
距離を+10.8及び+5.7%過大とした事例があり、それが上記の誤差を生んだ。
唐代以前で測距方法を明示するものはないが、一行は歩測や記里鼓車でなく測縄を使用した。
水準測量師と算術師を確保し、漏刻で時刻を確認して日影を測り、測縄で南北の距離を実測した。
最も進んだ測距方法だったが、各地点間の非直線性や測縄等の誤差は避けられなかった。

二つ目の話題は表題とは関係なく、僧一行の測定値を検証し+数十%の誤差があると言う話だ。
誤差は距離測定から来ているとし、後の時代の進んだ測定でも誤差が大きいと結論している。
忖度するに後代でも距離測定は精度が低く、古代ではなお低いことを示唆か?
千里なんてまともに測れる訳ないから「寸千里」は虚構、影長だって誤差だらけだしと言ってるのか?
「短里なんて無し」と明記すれば解り易いが、言わないのは「賢明な読者ならわかるよネ」かな。

短い里の存在を否定するには、あまり意味の無い章です。

No.2207 ハイエナのパパ 12月25日 23:58
>>2205

大上人様、お疲れさまでした(^^;)

大急ぎで現在までの作業状況をUpしました。
http://hyenanopapa.obunko.com/tousyoubohi_kousatsu.html

連載が終ってから、もっとcssを使って、レイアウト等の整形をやります。

それでは今夜はこれにて就寝します。お時間のあるときにでも覗いてみて、ご希望の点などありましたらご指摘いただきたく、宜しくお願いいたしますm(_ _)m

おやすみなさい(^ー^*)/

No.2229 ハイエナのパパ 12月27日 00:11
>>2200

大上人様(@_@;)

制作中のサイトを確認していて、ぎょっとした部分がありましたので、お知らせしておきます。

----------------------------------------
管制の里とされる一里=300歩は唐の直前に始皇帝が定めたことに由来するとしたら整合する
----------------------------------------

「管制」は「官制」の変換ミスでしょうから、ノー・プロブレムですが、「唐の直前に始皇帝」ってのは、私の「インドネシア」なみの、ぎょえ~発言ですね(@_@;)

訂正レスを頂戴出来れば、早々にページにも修正をかけますんで、よろしく(^^;)

それじゃ、「有馬」は頑張ってください。お休みなさい(^ー^*)/

No.2234 tousyoubohi 12月27日 06:20
>>2229

おはよう

誤植のご指摘ありがとうございます。
切り貼りしながら書いているので、修正しそこなったようです。

「管制の里とされる一里=300歩は唐の直前に始皇帝が定めたことに由来するとしたら整合する。」

「官制の里とされる一里=300歩は始皇帝が定めたが、唐代になってようやく全土に定着したなら整合する。」

No.2235 tousyoubohi 12月27日 12:04
>>2234

篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判についてⅩ

11.方格地図の存否

本章では信都芳の記録を検証している。
薮内は南宮説と信都芳の値が一致するとしたが、250里1寸は南宮説より13里余り伸長している。
また金陵と洛陽は南北には位置せず、1000里は直接の距離でなく同一子午線上に移動した南北差であり、
当時の政治情勢から測量し得なかったので、地図から求めたとする。

著者はその時代には精度の高い地図はなかったとし、
信都芳は先行する地理書や当時編纂された図経、図志、道理記から算出したと推定する。

洛陽と金陵の南北差は緯度から求めると293kmとなり、一里=442mとすれば663里となる。
これを1000里としているので1.5倍過長となっているが、250里1寸なら1.4倍に小さくなる。
それは洛陽の影長を1.58尺としたためで真実値に近い1.5尺なら1.8倍と増加する。
洛陽で影長を長く計測したから誤差が減っているが1000里は過大であると結論している。

信都芳が影長を実測したとして、南北差は当時の地理に関する情報から求めた可能性は大だ。
だがその情報をどこから得たかで著者は薮内説を紹介しつつ否定している。
ここで、この論文を読んで混乱する理由に思い至った。
古田・谷本批判のついでに、橋本や薮内も批判しているのだ。
通常、他者の引用は自説を補強するために使われるが、それで短里を批判するのでなく
引用内容そのものを否定しているのだが、これでは何のためだか。

また篠原が自然科学に於いて基本の自由度の概念を持たないことを露呈している。
互いに関係する場合、一方が定まれば他方はそれに従って決まることを知らない。
夏至日の太陽高度と緯度の自由度は1であり、緯度を定めれば影長は定まる。

洛陽と金陵のそれぞれの緯度値の記載は無いが、南北差の距離が293kmとのことなら、
それは663里ではなく1000里なのだから、一里=293mとすべきだ。
その上で、この時代の公定尺と考えられる442mとの乖離について考察すべきだ。
洛陽での影長も記載が1.58尺なら、緯度の誤差を議論しなければならない。
ちなみに293mなら、緯度差は2.64°となり、1.58でも1.5でも1.17にはならない。
1000里は過大って、663里と言ってるなら当りまえじゃん。

No.2238 tousyoubohi 12月27日 22:25
>>2234

篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判についてⅪ

12.道路里数の過大性

本章では何承天の600里1寸について論考し、冒頭で、
陽城の1.5尺、交州の南3.2寸の影長は正確で、過大な誤差の原因は両地間の里数値によるとする。
(いきなりの結論だが、そもそも距離を示す里の単位が不確定なことを議論していたのではないか?)

隋書天文志は陽城と交州を「路当万里」とする。(道なりに一万里ということか。)
李淳風は交州・洛陽間の万一千里から陽城・洛陽間の180里を引き600里1寸を得たものの、
「人路迂回・羊腸曲折」を「方於鳥道」に比較すれば500里に満たず影差1寸となるのは明らかとしている。
唐書天文志は「道路」を5千里(275里1寸)と見ている。
交州と陽城の緯度差からは3300里(1459km)となり、5000里なら1.5倍、万里なら3倍となる。

寸千里への疑いは万6千里とされる太陽真下までの距離が、南方の遠征で「計無万里」とされたから。
距離を実測した僧一行も過大に測り、何承天は道なりか直線かも疑問だ。
誤差は時代を遡ると大きくなり、距離が正しく測られたか疑問で、それを仮に実測値と見る場合も、
「数倍の誤差」を必然と見るべきだとして、一連の反証を終えている。
(測定が数倍の誤差を含むのではなく、使われた里の単位が1/数であることの反論になっていない。)

No.2239 tousyoubohi 12月27日 22:27
>>2238

篠原俊次「魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判についてⅪ-2

陽城で1.5尺、交州で南3.2寸の影長は正確とのことだが、私も実測した可能性が高いと考える。
一方で、距離測定が低精度との指摘は妥当で、あれだけ広大な国土を正しく認識するのは困難だ。
寸千里は北緯35°付近の狭い範囲で、それも夏至日あたりで成立する説だ。
寸千里と影長1尺6寸から求めた太陽地直下までの距離は、理論値であり実測ではないだろう。

ただこの時、16000里は寸千里から求まったから、短い里で考えると1216km程度となり、
回帰線の緯度23.5°、1.6尺の所を35°とすると距離は1280kmとなり、それほど差はない。
大地は球であるから1.6尺の所から南下するにつれ1寸縮むのに要する移動距離は大きくなるが、
それでも平均した時大きな違いにならないのはTAN曲線が漸減的だからだ。
言い換えると寸千里からの万六千里は大地が平坦なら誤差がないが、真実モデルの球でも概ね成立する。

交州と陽城の距離は万里とされるが、緯度差からは3300里(1459km)となり、万里は3倍の差があるとする。
これは裏返すと現代の地球モデルで計算すると里は1/3になるとの論理であり、まさに寸千里の解析法だ。
1/3なら一里は135m程度であろうか?76mの倍ではあるが、それでも十分短い。

ところで洛陽と金陵の測定から、寸250里とされたが、こちらはどうであろうか?
夏至日に8尺の影長が1.58尺と1.17尺の2地点では緯度差は2.85°と求まる。
km距離に換算すれば、111km/°を掛けると、南北差の距離は316.4kmとなる。
洛陽から見て金陵は該東南に位置するとしたら距離は1.4倍した443kmとなる。
1000里を南北差で無く2地点の直接距離とすれば、443kmは精度の高い値になる。

私は、遠方のハノイでは1/3の差が有り、400km強の金陵では誤差が無いと結論する。
このことは里の修正が都に近い場所から完了し、遠方程短い里の影響が残ったからだ。
魏志倭人伝の里は辺境の半島や列島で、越と同じようないにしえの単位が使われたことを示唆する。

No.2240 tousyoubohi 12月27日 22:31
>>2236

こんばんわ

>例の訂正箇所も取消線付を施し訂正済み文章を追加しております。<

お手数をおかけします。

さきほどⅪを投稿しました。字数制限で2つに分けてあります。

これで終了です。

残念ながら有馬は紐紐が来てとれませんでした><
また、来年です♪歴史トピは未だ数日ありますネ。

No.2241 ハイエナのパパ 12月27日 22:42
>>2240

tousyoubohi大上人様、こんばんは(^^)

>お手数をおかけします

いいえ~、こちらの考えに同意して頂いたワケですから、それくらいは構いません。しかし、これだけ大量の連載書き込みを頂戴したからには、私としても軽い気持ちで読むわけにもいかないでしょう。

篠原論文と対比しながら、じっくりと読ませて頂きます。

思うに、大上人様は論文慣れしているようですね。手際が良い。いっとき大上人様に付けた“ぺら男”のネームは、こんどの燃えないゴミの日にでも出しておきます(^^;)

これくらい書けるんであれば、『季刊邪馬台国』に投稿しても、レベル的には一発でパスでしょうね。

あとは、安本氏の編集方針との折り合いがどうか?ですね。

あ、もちろん“掲示板口調”は“論文調”に改めないといけないでしょうけどね(^^;)

これから、本日分のご投稿をページに追加します。

連載、ご苦労様でした。ありがとうございますm(_ _)m

No.2242 tousyoubohi 12月27日 23:08
>>2241

>私としても軽い気持ちで読むわけにもいかないでしょう。<

ネットに投稿したものですから、それも匿名で、軽く読めば良いでしょう。
あんまり理論武装を強化されても厄介ですから。

>『季刊邪馬台国』に投稿しても<

私は安は投馬国説ですから、それだけで没じゃないかな♪

>“掲示板口調”は“論文調”に改めないと<

つい!とか♪とか使いたくなっちゃうんだよネ。

No.2243 ハイエナのパパ 12月27日 23:27
>>2242

>ネットに投稿したものですから、それも匿名で、軽く読めば良いでしょう。

あんまり理論武装を強化されても厄介ですから。<

うん、そうですね。ここは議論の場ではあっても、学会ではありませんものね(^^;) 学会なら私なんぞ、最初から門前払いでしょう。こういう意見交換の場があるというのは、ウレシイことですね。

>私は安は投馬国説ですから、それだけで没じゃないかな♪

ありゃ、またタイプミスかな?「安は投馬国説」ってのは・・・(^^;) 連載で指もお疲れでしょう(^^;)

取り敢えず、少しばかり書式を加えてUpしました。

http://hyenanopapa.obunko.com/tousyoubohi_kousatsu.html

明日は仕事納め(の予定)ですから、今夜もそろそろ就寝します。お休みなさい(^ー^*)/