これは、Yahoo!掲示板「邪馬台国論争が好きな人集まれ!!」上で、2005年夏、主に私とrunsunnoleさんとのあいだで交わされた「一大國」の表記をめぐる論争を、runsunnoleさんの許諾を得て掲示したものです。
>一大国はなぜ誤りか hyena_no_papa 2005/ 7/30 22:25 [ No.33112 / 67672 ]

>一支国だ正しいとするのが定説ですが、その根拠が明示されたことがないように思います
>現にあるのが壱岐国だから一支国が正しいとするのは文献史学の方法からしても根拠になりません

充分根拠になります。「一大国が正しい」とか「一支国の誤であるとは断定できない」とか考える方は、「通行本」の『魏志倭人伝』というものを、まるで「聖書」か何かのように捉えているのではないでしょうか?

中国正史は全体で4000万文字くらいあるとされます(中央研究院 漢籍電子文獻)。『倭人伝』が2000文字くらいですか?正史全体の中の2万分の一の分量です。漢籍全体からすると、極めて「微量」となります。

したがって、漢籍全体に対して言い得る一般的な経験則は『魏志倭人伝』についても言いうると考えて間違いがありません。

『魏志倭人伝』のみが誤写を免れるなどという考えは、妄想以外の何ものでもありません。

『魏略』『梁書』などが「一支」に作りますし、国内的には「壱岐」で「イキ」ですから、「一支」と考えて何ら問題はありません。
これは メッセージ 33108 urasima415 さんに対する返信です

>「支」と「大」の分岐 hyena_no_papa< 2005/ 7/31 23:01 [ No.33133 / 67676 ]
生物の進化の「系統樹」のようなものですね。刊本の流布は文化の普及に甚大な貢献をしたのでしょうが、一方、「誤写の固定」という副産物ももたらしました。

刊本以前の諸書との校勘がいかに大切か、それほど理解しがたいことなのでしょうか?
これは メッセージ 33127 tenchuukun さんに対する返信です

>>一大国は・・・ runsunnole 2005/ 7/31 22:21 [ No.33129 / 67677 ]
urasima415さん:
>九州説の中では一大国はどんな扱いですか。

一大国の扱いに九州説も畿内説も関係ないですよ。


urasima415さん:
>> 現にあるのが壱岐国だから一支国が正しいとするのは文献史学の方法からしても根拠になりません。
hyena_no_papaさん:
>充分根拠になります。
Strom_dorfさん:
>いや、むしろこれこそが根拠になっているのではないでしょうか。

現にあるのが壱岐だから一支が正しいとするのが文献史学の方法だということですから、紹煕本の「対海国」と紹興本の「対馬国」も、現にあるのが対馬だから紹興本が正しいというのは、これはこれで分かるような気もします。


hyena_no_papaさん:
>『魏略』『梁書』などが「一支」に作りますし、国内的には「壱岐」で「イキ」ですから、「一支」と考えて何ら問題はありません。
Strom_dorfさん:
>一大が正しい地名だったものが、あるときうっかり一支と誤記されて(しかもそれが外国で?)、それが本当の地名になってしまった、などということは非常に考えにくいことではありませんか?

隋唐の時代には「邪馬臺」の表記も「邪摩堆」に書き変えられます。
一大が正しい表記だったが、唐の時代には本当の地名が一支だったので、梁書の姚思廉や翰苑の張楚金が魏志を引くときに一支に訂正した、などということは非常に考えにくいことでしょうか?

紹煕本のように対海国と間違えず、正しく対馬国とする紹興本が、一支については紹煕本と同じく一大と間違えたのは偶然だろうか???
これは メッセージ 33112 hyena_no_papa さんに対する返信です

>>>一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 7/31 22:57 [ No.33131 / 67678 ]
え〜っと、runsunnoleさんの書き込みは、ワタシへのレスなのですよね?

>一大が正しい表記だったが、唐の時代には本当の地名が一支だったので、梁書の姚思廉や翰苑の張楚金が魏志を引くときに一支に訂正した、などということは非常に考えにくいことでしょうか?

考えにくいことですね。現文面の「一大国」という表記を理解するのに、なにゆえそのような曲芸的な解釈をするのか?理解に苦しみます。『魏志』の文面は幾度書写されても純潔を守り「一大」と伝えられたが、引用されるときには「一支」と書き換えられた・・・という想定でしょ。書写のマニュアルでも付録として付いていたのでしょうかねぇ?「一大」を書写するときはそのまま写し、引用するときは唐代の本当の地名「一支」に改めるべし・・・とか?

>紹煕本のように対海国と間違えず、正しく対馬国とする紹興本が、一支については紹煕本と同じく一大と間違えたのは偶然だろうか???

難しく考えすぎです。誤写に法則も確率もありません。「傾向」はあるかも知れませんが・・・。似ていれば当然、また似ていなくとも(「狗古智卑狗」と「狗古制卑狗」のような)誤写をします。

「誤写」を疑いたくない方が多いので、ひとつ叫んでおきます!「中央研究院 漢籍電子文獻」の「校勘」でも見て、誤写の実態を観察してくれぇぇぇ!
これは メッセージ 33129 runsunnole さんに対する返信です

>>>>一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/ 1 23:04 [ No.33154 / 67678 ]
>考えにくいことですね。

引用するときには意図的改定や誤記はあり得ないということでしょうか。

>難しく考えすぎです。

「偶然だろうか?」の、どこが難しいのでしょうか。

>「誤写」を疑いたくない方が多いので、ひとつ叫んでおきます!

誤写を「疑いたくない」方なんていないと思いますが、、、
これは メッセージ 33131 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^5:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/ 1 23:28 [ No.33158 / 67678 ]
>>考えにくいことですね
>引用するときには意図的改定や誤記はあり得ないということでしょうか

いえいえ、そういう意味ではなく、runsunnoleさんの仰った、

>一大が正しい表記だったが、唐の時代には本当の地名が一支だったので

というのが「考えにくい」ということです。三世紀に「一大国」であった・・・ということの証人は、当の『魏志』以外にはないのですよね。『魏略』も『梁書』も『隋書』も「一支国」ですね。10世紀になって初めて『太平御覧』に引かれる『魏志』が「一大国」とします。その後『魏志』を引いた『通志』『文献通考』も「一大国」とします。

「邪馬臺と邪馬壹」「臺與と壹與」「二年と三年」「邪馬壹国への水行陸行の構文」「太伯之後」・・・。これらは皆、「ある時点」でこんにち我々が見る「通行本」の文面へと変化しています。そう考えることによって、種々の史料に見える文面が合理的に理解されうるのです。

逆に『通行本魏志』の文面がオリジナルのままであり、他の史書の文面のほうが異同を生じている・・・と想定すれば、それこそ時代も地域も離れてなされた書写で、同様の「誤写」なり「改訂」なりが生じたということを考えなければなりません。

>誤写を「疑いたくない」方なんていないと思いますが

古田派の方々です。
これは メッセージ 33154 runsunnole さんに対する返信です

re^6:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/ 2 0:17 [ No.33167 / 67678 ]
>というのが「考えにくい」ということです。
>三世紀に「一大国」であった・・・ということの証人は、当の『魏志』以外にはないのですよね。

ですから、どうして「一大が正しい表記だったが」というのが「考えにくい」のですか。

>古田派の方々です。

最も誤写を「疑っている」方たちなのではないでしょうか。

>難しく考えすぎです。

「偶然だろうか?」の、どこが難しいのでしょうか。
これは メッセージ 33158 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^7:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/ 2 0:36 [ No.33170 / 67678 ]
>どうして「一大が正しい表記だったが」というのが「考えにくい」のですか

はれれ?「考えにく」くないですか?「一支の誤」としたほうが、遙かに考えやすいでしょ。ですから、「一大が正しい表記だった」というのは、「考えにくい」ということです。

>>古田派の方々です
>最も誤写を「疑っている」方たちなのではないでしょうか

#33131
>「誤写を疑いたくない方」
というのは、今読んでおかしい文でした!撤回します。

>「偶然だろうか?」の、どこが難しいのでしょうか

#33129
>紹煕本のように対海国と間違えず、正しく対馬国とする紹興本が、一支については紹煕本と同じく一大と間違えたのは偶然だろうか???

「対海国<>対馬国」と「一大国<>一支国」の誤が発生した時期が違います。『紹興本』『紹煕本』ともに、最初の刊本である『咸平本』をテキストにしているとされます。「海と馬」は刊本化後に発生した異同ですね。すなわち「刊本間の異同」で、これでも非常に多い。

それに比して「大と支」はそれ以前、書写にかかる「誤」です。ですから、両者の誤写の発生状況から何かが云いうるわけではありません。
これは メッセージ 33167 runsunnole さんに対する返信です

re^8:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/ 2 22:03 [ No.33193 / 67678 ]
>「一支の誤」としたほうが、遙かに考えやすいでしょ。

「一支の誤」って、結論でしょ。

>それに比して「大と支」はそれ以前、書写にかかる「誤」です。

刊本以前の写本において支を大に誤って書写したのであれば、梁書や翰苑には「誤写」なり「改訂」なりが生じたということにはならないのですか。
これは メッセージ 33170 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^9:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/ 2 23:36 [ No.33197 / 67678 ]
>「一支の誤」って、結論でしょ

そうですが・・・。#33129 、
>一大が正しい表記だったが

というのも「結論」のように思えますが。「一大が正しい」という根拠はどなたも挙げられません。

>刊本以前の写本において支を大に誤って書写したのであれば
>梁書や翰苑には「誤写」なり「改訂」なりが生じたということにはならないのですか

その「改訂」とはどの異同を指すのでしょうか?「一大」と「一支」ですか?みんな揃って同じ「誤写」なり「改訂」をおこなったと考えることに疑問を持ちませんか?

『魏志』を引用するときに、妖術にでもかかって、「二を三」「一大を一支」「邪馬壹を邪馬臺」「水行陸行の構文」「太伯之後」などに同じ「誤写」なり「改訂」をやってしまったと?

そこまでして現文面を尊重しなければいけない理由がわかりません。
これは メッセージ 33193 runsunnole さんに対する返信です

re^10:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/ 3 10:51 [ No.33218 / 67678 ]
>>一大が正しい表記だったが
>というのも「結論」のように思えますが。

Strom_dorfさんの『一大が正しい地名だったものが』という仮定に対して、「一大が正しい表記だったが」という仮定です。

>その「改訂」とはどの異同を指すのでしょうか?

『「大と支」はそれ以前、書写にかかる「誤」です。』ということですから、刊本以前の写本には「大」とあったのですよね。
だったら、梁書や翰苑の「支」は「誤写」なり「改訂」なりが生じたということにはならないのですか。
ということなのですが、、、

>『魏志』を引用するときに、妖術にでもかかって、「二を三」「一大を一支」「邪馬壹を邪馬臺」「水行陸行の構文」「太伯之後」などに同じ「誤写」なり「改訂」をやってしまったと?

Strom_dorfさん:引用者は単なるコピー機ではなく、自分の判断で訂正して引用する可能性がある。
これは メッセージ 33197 hyena_no_papa さんに対する返信です

>>同じこった hyena_no_papa 2005/ 8/ 3 20:55 [ No.33232 / 67678 ]
>誤写だけではないと思います

そうですね。文字の異同には実に様々なパターンがあります。それを「誤写」という狭い状況のみ想定して、その可能性を云々しても、詮無いことかと思います。

時間的余裕が出来れば、張元済『三国志校勘記』からダイジェストをご紹介したいと思います。なにせ、『三国志』の刊本間だけで、数千の異同を拾い集めています。それも「網羅」ではないのですね。『倭人伝』部分のみ見ても、漏れているものがあります。
これは メッセージ 33223 runsunnole さんに対する返信です

「二」と「三」の誤 hyena_no_papa 2005/ 8/ 3 23:25 [ No.33238 / 67678 ]
張元済の『三国志校勘記』から「二と三の誤」を拾ってみました。巻/葉/行/宋本<>殿本という書式で書きます。因みに「葉」「行」は『百衲本三国志』のものですから、他の刊本では当然違います。

『魏書』
2/2/前5注/二<>三
2/24/後7/二<>三
4/31/後2/三<>二
5/12/前3注/三<>二
6/11/後9注/三<>二
6/19/後9注/三<>二
9/35/後6注/二<>三
9/38/前2注/三<>二
12/6/前9注/三<>二
12/12/前2注/三<>二
13/23/後9/二<>三
16/8/後10/二<>三
16/14/前4/二<>三
16/26/後7/三<>二
18/10/後1注/三<>二
23/9/後10/三<>二
23/10/前3注/二<>三
27/11/前6/二<>三
28/3/後3注/三<>二
29/3/後8/三<>二

『蜀書』
12/16/前3注/三<>二

『呉書』
2/25/後4/三<>二
3/4/後3/三<>二
3/14/後8注/三<>二
3/17/後8/二<>三
3/27/前4注/三<>二
10/21/前9/二<>三
12/2/前2注/三<>二
19/16/後5注/三<>二
20/11/前6/二<>三

取りあえず拾ってみたところでは、以上のような状況でした。あと、数字がらみのものでは「一と二」「二と五」「三と五」「三と王」「五と王」など見えます。少しでも似ていると異同が発生します。

他の異同例は、またいずれの機会に。

p.s.倭人がらみで関心をひく「多利思北孤「多利思比孤」の「比と北」、「東冶」「東治」の「冶と治」の異同も、もの『三国志校勘記』の中に見いだすことが出来ます。
これは メッセージ 33232 hyena_no_papa さんに対する返信です

>二と三の誤? hyena_no_papa 2005/ 8/ 4 23:25 [ No.33261 / 67678 ]
>例の「景初2年」の話は、この中に含まれているのでしょうか?

ほかの方からも注意喚起があったようですが、『魏志東夷伝』が何巻かは岩波版に書かれてありますよね。それでひとつ判るはずです。

もうひとつ、幾度か張元済は「刊本間の異同」と申し上げました。ということは答えはおわかりですよね?これまで私がつらつら申し述べてきたことを、きちんと受け止めておいででしたら・・・。
これは メッセージ 33244 zarakoku さんに対する返信です

re^11:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/ 3 20:41 [ No.33230 / 67718 ]
>『「大と支」はそれ以前、書写にかかる「誤」です。』ということですから、刊本以前の写本には「大」とあったのですよね

その通りです。

>だったら、梁書や翰苑の「支」は「誤写」なり「改訂」なりが生じたということにはならないのですか

「生じたということにはならない」ですね。そのような可能性を想定することは拒めません。たとえば「邪馬臺国」は実は「邪為臺国」だった。しかし、陳寿原本の第一写本の時点で「邪馬臺国」と誤写された。以後、代々、書写・引用ともに「邪馬臺国」が用いられたが、「邪為臺国」とする『魏志』の原資料が遺存してして、10世紀後半の『太平寰宇記』では「邪為台国」とされた。もちろん「台」は「臺」の通用字。

いかがですか?そのような想定もしようと思えば出来ます。否定も出来ません。しかし、どれほどの説得力があるでしょうか?そのような想定で、一体何が合理的に説明できるのでしょうか?ただただ、『太平寰宇記』の文面「邪為台国」が正しいのでは?ということを云いたいが為の言辞に過ぎません。

>自分の判断で訂正して引用する可能性がある

皆さん揃って、同じような「訂正」をした?逆を考えたほうがよほど理解しやすいですね。こんにち我々が見る『通行本魏志』のほうが「特異なテキスト」を底本としている・・・と。

なお、『太平御覧所引魏志』では「一大国」「耶馬臺国」としますが、この「大」と「臺」のセットは、12世紀後半の『通志』に見られます。これが何を意味するかは、以前連載で書きまして、私のHPにも収めています。
これは メッセージ 33218 runsunnole さんに対する返信です

re^12:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/ 3 21:45 [ No.33233 / 67718 ]
>「生じたということにはならない」ですね。

「大」とある写本を引用した梁書や翰苑が、「支」としているのは何故ですか。
これは メッセージ 33230 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^13:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/ 3 22:10 [ No.33234 / 67718 ]
>「大」とある写本を引用した梁書や翰苑が

私はそのような理解はしておりません。『梁書』『翰苑』が参照・引用した『魏志』『魏略』には「一支国」とありました。「一大国」なる表記が『魏志』の写本に出現するのは、それ以降のことです。

7世紀までは、この世のどこにも「一大国」なる表記を持つ文献は存在しなかったと考えます。
これは メッセージ 33233 runsunnole さんに対する返信です

re^14:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/ 3 22:39 [ No.33235 / 67787 ]
>『梁書』『翰苑』が参照・引用した『魏志』『魏略』には「一支国」とありました。「一大国」なる表記が『魏志』の写本に出現するのは、それ以降のことです。

『そのような想定もしようと思えば出来ます。否定も出来ません。しかし、どれほどの説得力があるでしょうか?』
これは メッセージ 33234 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^15:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/ 3 23:32 [ No.33239 / 67787 ]
>>『梁書』『翰苑』が参照・引用した『魏志』『魏略』には「一支国」とありました。「一大国」なる表記が『魏志』の写本に出現するのは、それ以降のことです
>『そのような想定もしようと思えば出来ます。否定も出来ません。しかし、どれほどの説得力があるでしょうか?』

そりゃ、『太平御覧』まで出現しない「一大国」と『梁書』『翰苑』で引かれている「一支国」とでは、重みが違うと思いますよ。

それとですね、わたしがこのように自信たっぷりに申し上げるのは、理由があるのです。『刊本魏志』と、諸書に引かれた『写本魏志』とでは、挙げらている異同がグループを為しているということです。

一言で云えば、『刊本魏志』というのは「孤独な文面」なのです。「倭人伝」部分について云えば・・・。
これは メッセージ 33235 runsunnole さんに対する返信です

>『梁書』『翰苑』で hyena_no_papa 2005/ 8/ 3 23:36 [ No.33240 / 67787 ]
>引かれている「一支国」

『隋書』も挙げておきます。また国内的にも『壱岐』ですからね。「一大国説」は、説得力に乏しいでしょう。
これは メッセージ 33239 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^16:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/ 4 21:29 [ No.33256 / 67788 ]
>そりゃ、『太平御覧』まで出現しない「一大国」と『梁書』『翰苑』で引かれている「一支国」とでは、重みが違うと思いますよ。

太平御覧の「大」と冊府元亀の「支」とでは、どちらが重いのでしょうか。
これは メッセージ 33239 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^17:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/ 4 23:18 [ No.33260 / 67788 ]
>太平御覧の「大」と冊府元亀の「支」とでは、どちらが重いのでしょうか

いけませんよ、runsunnoleさん!私の術中に嵌っちゃ・・・。

『冊府元亀』「国邑一」の【名翰海至_支国】の部分は、完璧『梁書』の引き写しですよ。「従帯方」から「祁馬臺国(邪馬臺国)」の所まで。

で、

>どちらが重いのでしょうか

という質問の意図がよくわかりません。私の考えは既に書きました。
これは メッセージ 33256 runsunnole さんに対する返信です

re^18:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/ 5 21:36 [ No.33283 / 67789 ]
>いけませんよ、runsunnoleさん!私の術中に嵌っちゃ・・・。

やはり妖術を使っていたのですか・・・。


>『冊府元亀』「国邑一」の【名翰海至_支国】の部分は、完璧『梁書』の引き写しですよ。

梁書は「名瀚海至一支國」ですよ。


>「従帯方」から「祁馬臺国(邪馬臺国)」の所まで。

梁書のこの部分は写本魏志を引用者が自分の判断で要約したもので、「完璧な引き写し」ではないですよ。


>>どちらが重いのでしょうか
>という質問の意図がよくわかりません。

太平御覧と梁書・翰苑との「重みの違い」とは、その本の成立時期によると言っているのではないかと独断し、このような質問をさせていただきました。


>私の考えは既に書きました。
改めて
>『太平御覧』まで出現しない「一大国」と『梁書』『翰苑』で引かれている「一支国」とでは、重みが違うと思いますよ。

という「重みが違う」とは、どういうことなのかご説明願えますか。
これは メッセージ 33260 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^19:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/ 5 22:12 [ No.33284 / 67789 ]
>やはり妖術を使っていたのですか・・・

ははは...

>梁書は「名瀚海至一支國」ですよ

『冊府元亀』で「一」は欠文です。

>梁書のこの部分は写本魏志を引用者が自分の判断で要約したもので、「完璧な引き写し」ではないですよ

あれ?私は『冊府元亀』が『梁書』の引き写しと申し上げたのです。『梁書』が『魏志』の引き写しとは申し上げておりません。#33256、
> 太平御覧の「大」と冊府元亀の「支」とでは、どちらが重いのでしょうか

に対するお答えですので、『御覧』と『冊府』との比較は『御覧』と『梁書』との比較に還元されます。

>平御覧と梁書・翰苑との「重みの違い」とは、その本の成立時期によると言っているのではないかと

その通りです。

>>『太平御覧』まで出現しない「一大国」と『梁書』『翰苑』で引かれている「一支国」とでは、重みが違うと思いますよ
>「重みが違う」とは、どういうことなのかご説明願えますか

種々の史料事実を観て来て私が想定したのが、7世紀まで流布していた『魏志』と唐末以後の時点で知られていた『魏志』とでは、少なくとも「倭人伝部分」についてはかなりの相違点があるのではないか?ということです。

そのように想定することで、多くの史料事実を最も無理なく理解するができると考えています。

即ち『通行本魏志』『御覧』の「一大国」とそれ以前の他史書の「一支国」というのは、時の流れの中で『魏志』が転訛し変質変容する「前と後」ということです。その「重みの違い」です。
これは メッセージ 33283 runsunnole さんに対する返信です

re^20:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/ 6 0:06 [ No.33293 / 67873 ]
>『梁書』が『魏志』の引き写しとは申し上げておりません。

ですから、梁書は魏志の引き写しではないと申し上げているのです。

>>平御覧と梁書・翰苑との「重みの違い」とは、その本の成立時期によると言っているのではないかと
>その通りです。

だったら、太平御覧の「大」と冊府元亀の「支」とでは、太平御覧の「大」が重いのですよね。

>種々の史料事実を観て来て私が想定したのが、7世紀まで流布していた『魏志』と唐末以後の時点で知られていた『魏志』とでは、少なくとも「倭人伝部分」についてはかなりの相違点があるのではないか?ということです。

7世紀まで流布していた写本魏志には誤写は想定できず、唐末以後の時点で知られていた写本魏志には誤写があったと想定する二重想定という妖術ですね。

>そのように想定することで、多くの史料事実を最も無理なく理解するができると考えています。

それでも冊府元亀の「支」は説明できないのですよね。
これを説明するにその「支」が問われている当の梁書をもちだすという無理をするぐらいだったら、写本魏志には「前と後」があるなんて遠慮せずに、いっそのこと「前と後」を通して「大」とするものと「支」とするものの写本魏志があったと想定すれば、全ての史料事実が無理なく理解できますよ。
これは メッセージ 33284 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^21:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/ 7 0:52 [ No.33351 / 67873 ]
runsunnoleさん、ちょっと酩酊しておりますので、明日またレスさせていただきます。申し訳ありませんが・・・。
これは メッセージ 33293 runsunnole さんに対する返信です

re^22:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/ 7 22:48 [ No.33390 / 67873 ]
>>『梁書』が『魏志』の引き写しとは申し上げておりません
>ですから、梁書は魏志の引き写しではないと申し上げているのです

はい、何も問題はありませんね。

>>>平御覧と梁書・翰苑との「重みの違い」とは、その本の成立時期によると言っているのではないかと
>>その通りです
>だったら、太平御覧の「大」と冊府元亀の「支」とでは、太平御覧の「大」が重いのですよね

ははん、『冊府元亀』より『太平御覧』のほうが成立が古いから、『冊府元亀』の「支」より『太平御覧』の「大」のほうが「重い」はずだ、と仰りたいのですね。もちろん私の「成立時期云々」という発言を受けてのことでしょうから・・・。

そりゃ、私の発言に「法則性」を与えて、他の例に当て嵌めようとするものですよね。違いますか?それなら、そのような「法則性」など通用しません。「古いから重い」という法則が、すべてのケースに適用できるわけではありません。

>7世紀まで流布していた写本魏志には誤写は想定できず、唐末以後の時点で知られていた写本魏志には誤写があったと想定する二重想定という妖術ですね

どこが「二重想定」なのか、よくわかりません。写本が変質してゆくわけでしょ、時代とともに。時折例に挙げるのですが、「呉志断簡」の「壹宇内」が、こんにちの「通行本」では「一宇内」とされます。「呉志断簡」は晋代の写本ですから、オリジナルに「壹宇内」とあったことは想像に難くありません。しかし、刊行のテキストとなった写本には「一宇内」とあり、おそらく11世紀時点では「壹宇内」とする写本は滅んでいたと考えられます。

同様に、「一支」とあった写本が時とともに「一大」と誤写されたことは想像できることです。その変質が唐代に発生したのだろうと考えます。

>>そのように想定することで、多くの史料事実を最も無理なく理解するができると考えています
>それでも冊府元亀の「支」は説明できないのですよね

どうしてですか?『冊府元亀』の「支」は『梁書』の引き写しですから、「支」であることに何の不自然さもありません。

>その「支」が問われている当の梁書をもちだすという無理を

問われているのは『通行本魏志』の「一大」でしょ。『梁書』『翰苑所引魏略』『北史』『隋書』に見える「一支」の方を「問われている」と考えるのは、本末転倒かと思いますが・・・。

>いっそのこと「前と後」を通して「大」とするものと「支」とするものの写本魏志があったと想定すれば、全ての史料事実が無理なく理解できますよ

そうすると、その「一大」とする『写本魏志』は、『太平御覧』にいたるまで、どの史書にも引かれることのない『写本魏志』だったというわけですね。

そして11世紀『三国志』刊行の折りに用いられたのは、それまで誰にも相手にされなかった『写本魏志』だったということですね?よく陳寿の時代から純潔を守って生き延びてきたものですね!
これは メッセージ 33293 runsunnole さんに対する返信です

re^23:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/ 8 21:37 [ No.33426 / 67873 ]
>はい、何も問題はありませんね。

梁書は魏志の引き写しではないが、ただ「一支」だけは魏志の引き写しであるから、何も問題はないということですか。


>「古いから重い」という法則が、すべてのケースに適用できるわけではありません。

今度はあのケースにはあの法則を、このケースにはこの法則を適用する二重法則という妖術ですね。


>どこが「二重想定」なのか、よくわかりません。

こういうことです。

>「一支」とあった写本が時とともに「一大」と誤写されたことは想像できることです。


>問われているのは『通行本魏志』の「一大」でしょ。

問うているのは通行本魏志の「一大」は写本魏志を引く梁書の「一支」かということです。


>『梁書』『翰苑所引魏略』『北史』『隋書』に見える「一支」の方を「問われている」と考えるのは、本末転倒かと思いますが・・・。

隋書の「一支」も写本魏志の引き写しだということでしょうか。
これは メッセージ 33390 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^24:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/ 8 21:50 [ No.33429 / 67873 ]
>梁書は魏志の引き写しではないが、ただ「一支」だけは魏志の引き写しであるから、何も問題はないということですか

おかしなことを仰る!なんで

>ただ「一支」だけは魏志の引き写しであるから

なのですか?『魏志』と『梁書』の比較をなさったことがおありですか?おありなら

>ただ「一支」だけは魏志の引き写しであるから

なんて仰るはずがない。また、比較をなさったことがないのなら、もとより反論の土台が形成されていないと云わざるを得ません。

>今度はあのケースにはあの法則を、このケースにはこの法則を適用する二重法則という妖術ですね

無意味な言葉を乱発しないようにしましょう。具体的に、runsunnoleさんは、どのような状況を想定されているのですか?『写本魏志』の状況について。もちろん、種々の資料事実を踏まえた上での想定になりますが・・・。ぜひご紹介ください。

>>どこが「二重想定」なのか、よくわかりません
>こういうことです
>>「一支」とあった写本が時とともに「一大」と誤写されたことは想像できることです

これのどこが「二重想定」なのですか?写本が時とともにその姿を変容してゆくのは当然考えられることですよ。簡単な例として「呉志断簡」を挙げました。

>問うているのは通行本魏志の「一大」は写本魏志を引く梁書の「一支」かということです

「一大」は「一支の誤」・・・、ただそれだけです。それでは何か不都合なことがありますか?あったら述べてください。

>隋書の「一支」も写本魏志の引き写しだということでしょうか

それは違うでしょう。当時の表記が「一支国」だったのでしょう。「対馬」と「都斯麻」、「邪馬臺」と「邪靡堆」は書き分けられていますからね。

とにかく、runsunnoleさんの想定されている状況をご紹介いただきたい。
これは メッセージ 33426 runsunnole さんに対する返信です

re^25:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/ 8 22:05 [ No.33431 / 67873 ]
>当時の表記が「一支国」だったのでしょう。「対馬」と「都斯麻」、「邪馬臺」と「邪靡堆」は書き分けられていますからね。
>とにかく、runsunnoleさんの想定されている状況をご紹介いただきたい。

振り出しにもどる・・・。

隋唐の時代には「邪馬臺」の表記も「邪摩堆」に書き変えられます。
一大が正しい表記だったが、唐の時代には本当の地名が一支だったので、梁書の姚思廉や翰苑の張楚金が魏志を引くときに一支に訂正した、などということは非常に考えにくいことでしょうか?
これは メッセージ 33429 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^26:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/ 8 23:02 [ No.33434 / 67873 ]
>隋唐の時代には「邪馬臺」の表記も「邪摩堆」に書き変えられます。一大が正しい表記だったが、唐の時代には本当の地名が一支だったので

「本当の地名」というより、当時の表記ということでしょう。それは、実際に裴清が訪倭しているのですから、その報告に基づく記述でしょうね。

>梁書の姚思廉や翰苑の張楚金が魏志を引くときに一支に訂正した、などということは非常に考えにくいことでしょうか

考えにくいと思います。もちろん「一大は一支の誤」という理解に比べて・・・という意味ですが。なぜ「誤」とするのをそれほど躊躇されるのか?全く理解に苦しみます。

>一大が正しい表記だった

ということで、何かうまく説明ができる事柄があるのでしょうか?
これは メッセージ 33431 runsunnole さんに対する返信です

re^27:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/ 9 21:09 [ No.33437 / 67873 ]
>「本当の地名」というより、当時の表記ということでしょう。それは、実際に裴清が訪倭しているのですから、その報告に基づく記述でしょうね。

同感です。


>考えにくいと思います。もちろん「一大は一支の誤」という理解に比べて・・・という意味ですが。

「比べて」ということなら、「考えにくい」のでしょうね。
なんせ、「一大」は今の壱岐のことですからね。


>なぜ「誤」とするのをそれほど躊躇されるのか?全く理解に苦しみます。

「誤」を「誤」とするのを躊躇する人はそれほどいないと思いますよ。
躊躇なく「誤」とするか、「誤」とするに躊躇するかの違いだけではないでしょうか。


>>一大が正しい表記だった
>ということで、何かうまく説明ができる事柄があるのでしょうか?

うまくかどうかは分かりませんが、写本魏志に「大」とするものと「支」とするものがあったなんて想定せずとも、事柄を説明できるということですかね。
ですから、Strom_dorfさんのように『陳寿が自筆本に書いた段階ですでに「一大國」と誤記していた』という考えもあるのかなって思っています。
これは メッセージ 33434 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^28:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/ 9 22:20 [ No.33440 / 67873 ]
>>「本当の地名」というより、当時の表記ということでしょう。それは、実際に裴清が訪倭しているのですから、その報告に基づく記述でしょうね
>同感です

よかった!

>>考えにくいと思います。もちろん「一大は一支の誤」という理解に比べて・・・という意味ですが
>比べて」ということなら、「考えにくい」のでしょうね。なんせ、「一大」は今の壱岐のことですからね

これまた、よかった!

>「誤」を「誤」とするのを躊躇する人はそれほどいないと思いますよ。躊躇なく「誤」とするか、「誤」とするに躊躇するかの違いだけではないでしょうか

なんとか問答のようで・・・。でもこれはさほど躊躇するケースでは無いと思いますよ。以前にも挙げましたが、ほんの少しでも似ていると「誤写」します。刊本間でこれですからね。写本だともはや絶望的かと思います。学究の場にいる方々は、勢い慎重にならざるを得ないのでしょうが、「壹は臺の誤なること、いふまでもなし」でよろしいとおもいますよ。

>うまくかどうかは分かりませんが、写本魏志に「大」とするものと「支」とするものがあったなんて想定せずとも、事柄を説明できるということですかね

書写というものは「系統樹」を形成すると考えられます。書写されては時とともにどんどん滅んでゆきます。戦乱や災害・火災などで。残った比較的いい状態のものが珍重され、そこからまた書写の「系統樹」が展開されてゆきます。

一度間違えた表記は訂正されることなく、伝写されてゆきます。

>Strom_dorfさんのように『陳寿が自筆本に書いた段階ですでに「一大國」と誤記していた』という考えもあるのかなって思っています

それは先行するとされる『魏略』の「一支」に配慮した考えかたなのでしょうか?

唐代に「一支」から「一大」への誤写が発生したと考えるのが、一番無理のない理解だと思います。
これは メッセージ 33437 runsunnole さんに対する返信です

re^29:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/ 9 23:26 [ No.33442 / 67873 ]
>唐代に「一支」から「一大」への誤写が発生したと考えるのが、一番無理のない理解だと思います。

梁書の「一支」も刊本魏志の「一大」も誤写・改定はないということですね。
これは メッセージ 33440 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^30:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/ 9 23:42 [ No.33443 / 67873 ]
>>唐代に「一支」から「一大」への誤写が発生したと考えるのが、一番無理のない理解だと思います
>梁書の「一支」も刊本魏志の「一大」も誤写・改定はないということですね

『刊本魏志』の「一大」は誤写ですよ。刊行するときの誤写・誤刻ではなく、刊行のテキストとなった写本に既に見えていた誤写です。
これは メッセージ 33442 runsunnole さんに対する返信です

re^31:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/10 21:30 [ No.33445 / 67873 ]
>『刊本魏志』の「一大」は誤写ですよ。刊行するときの誤写・誤刻ではなく、刊行のテキストとなった写本に既に見えていた誤写です。

「一大」をそのまま正しく「一大」と写しても、それも誤写だというわけですか。
ははん、それで刊本呉志の「一宇内」は断簡として現存する写本呉志の「壹宇内」の誤写としないで、わざわざ刊行のテキストとなった写本を想定し、そこには「一宇内」とあったとされるわけですね。
何もそうまでしなくても、刊行するときにも『同じこった』で、誤写・誤刻の可能性はありますよ。
だから今、刊本魏志の「一大」は刊行のテキストとなった写本の誤写か、と問われているのです。
『「一大」は「一支の誤」・・・、ただそれだけです。』の「それ」とは、刊行するときの誤写のことではなかったのですか。
『問われているのは『通行本魏志』の「一大」でしょ。』とおっしゃるhyena_no_papaさんは、一体、通行本魏志の「一大」の何を問われているのですか。
これは メッセージ 33443 hyena_no_papa さんに対する返信です

「一大国」外伝 hyena_no_papa 2005/ 8/10 20:24 [ No.33444 / 67873 ]
古田氏によれば、この「一大国」というのは壱岐島全体のことを指し、「一支国」というのは「いしこく」と読む。現在の「石田町」(平成の大合併で壱岐市となりましたが)のこととか。

「石田町」の「石」が「一支」で「いし」だそうです。

さて、古田氏のこの説が一体、どの著書に書かれていたのか、幾ら探しても見つけることが出来ません。古田派の方々でご存じの方がいらっしゃったら、ご教示ください。
これは メッセージ 33437 runsunnole さんに対する返信です

re^32:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/10 22:51 [ No.33452 / 67873 ]
>「一大」をそのまま正しく「一大」と写しても、それも誤写だというわけですか

なんか、日本語が正しく伝わっていないような気がするのですが・・・。上記のrunsunnoleさんのレスは私の申し上げたいことを理解していないゆえの発言かと承知します。今一度ご説明します。最初の刊本である『咸平本』刊行の折り用いられたテキスト(写本)には既に「一大国とあった」と想定しているわけです。ですから「一大」を「一大」と刊刻したのは「誤刻」とは言えません。「誤写」というのは、オリジナルの「一支」を、いつの時点かで「一大」と変わったことを指しているわけです。

>それで刊本呉志の「一宇内」は断簡として現存する写本呉志の「壹宇内」の誤写としないで、わざわざ刊行のテキストとなった写本を想定し、そこには「一宇内」とあったとされるわけですね

runsunnoleさんがご希望なら、『咸平本』のテキストたる写本には「壹宇内とあった」と想定しても構いませんよ。で、それが何か私の論に不利益をもたらすとでも?

>刊本魏志の「一大」は刊行のテキストとなった写本の誤写か、と問われているのです

ですから「写本」の誤写でしょう。『太平御覧』が「一大」ですから、その時点ではすでに誤写が発生したと言えます。

>『「一大」は「一支の誤」・・・、ただそれだけです。』の「それ」とは、刊行するときの誤写のことではなかったのですか

いいえ、既に見えていた誤写です。

>hyena_no_papaさんは、一体、通行本魏志の「一大」の何を問われているのですか

あれれ?問題提起されたのは、runsunnoleさんのほうじゃ?何度でも繰り返しますが、通行本の「一大」は「一支」の誤・・・ということです。誤写発生の時期は唐代だろう・・・と推定しています。

しかし、なぜこのように自明なことを詮索するのか甚だ理解に苦しみます。
これは メッセージ 33445 runsunnole さんに対する返信です

>re^32:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/10 23:14 [ No.33456 / 67873 ]
>>刊本魏志の「一大」は刊行のテキストとなった写本の誤写か
>ですから「写本」の誤写でしょう。

私の書き方がまずかったのでしょう。
「写本の誤写か」とは、「写本からの誤写か」「写本を誤写したものか」「写本の一支の誤写か」ということです。
これは メッセージ 33452 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^33:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/10 23:39 [ No.33458 / 67873 ]
>「写本の誤写か」とは、「写本からの誤写か」「写本を誤写したものか」「写本の一支の誤写か」ということです

言葉の定義を少し整理しておきます。「誤写」というのは、書写上で発生するものですね。テキストとなる写本から刊刻する際の誤は「誤刻」です。

「一支→一大」は「誤刻」ではありません。既にテキスト時点で誤写されていたものです。

時系列で整理しておきます。

3世紀・・・「一支」・・・『魏略』『魏志』
  ↓
7世紀・・・「一支」・・・『北史』『隋書』(『翰苑所引魏略』)    『梁書』         
  ↓                                    ↓
10世紀・・「一大」・・・『太平御覧所引魏志』            ↓
  ↓                                    ↓
11世紀・・「一大」・・・『咸平本魏志』(←推定)           ↓

  〃                          「_支」・・・『冊府元亀』
  ↓ 
12世紀・・「一大」・・・『紹煕本』『紹興本』『通志』
  ↓
14世紀・・「一大」・・・『文献通考』
これは メッセージ 33456 runsunnole さんに対する返信です

re^34:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/11 22:03 [ No.33464 / 67873 ]
>言葉の定義を少し整理しておきます。「誤写」というのは、書写上で発生するものですね。テキストとなる写本から刊刻する際の誤は「誤刻」です。

版刻する際には、まず版下を作らなければなりませんが、、、。
私には版刻の際に海を馬、馬を海に誤刻するとは到底思えません。
誤写は似た字ばかりで起こるわけではないそうですから、「対海・対馬」は版下を作る際の誤写の可能性もあるのではと思っています。
そうは言っても「誤写」と「誤刻」の定義がこういうことなら、私的な意見を言っても詮無いことです。
で、
命題は『刊本魏志の「一大」は刊行のテキストとなった写本の「一支」の誤刻か』ということでよろしいでしょうか。

>「一支→一大」は「誤刻」ではありません。既にテキスト時点で誤写されていたものです。

命題に対しては結論は同じですね。
私も刊本のテキストには「一大」とあったのであり、『刊本魏志の「一大」は刊行のテキストとなった写本の「一支」の誤刻ではない』と思います。
これは メッセージ 33458 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^35:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/11 23:12 [ No.33467 / 67873 ]
>命題は『刊本魏志の「一大」は刊行のテキストとなった写本の「一支」の誤刻か』ということでよろしいでしょうか

はい。これが“核心”なのです。やっとたどり着きましたね。で、答えは当然、No.です。

『刊本魏志』に「一大」「対海」「二年」「邪馬壹国」etc...とあることは誰しも確認できる事実です。

それと、他の史書にみえる、それらと相違する表記をどう考えるか?というのが、問題の核心ですね。

何もないところから突然、上記のような異同が発生したわけでは無いと考えます。つまり、刊刻のテキストとなった写本が『太平御覧』に引かれた『魏志』のような姿であったのに、刊刻時に誤られた・・・とは考えないということです。

『太平御覧』から『咸平本』までの間に新たにもたらされた「写本」こそが、『咸平本』のテキストとなったのだと考えているのです。

これから先の話は、かなり長くなりますので、ゆっくりと時間を掛けて話を進めて行きましょうか。
これは メッセージ 33464 runsunnole さんに対する返信です

re^36:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/11 23:34 [ No.33468 / 67873 ]
>「一大」「対海」「二年」「邪馬壹国」etc...
>刊刻時に誤られた・・・とは考えないということです。

確か、古田武彦氏もこれらは誤刻とは考えないみたいですね。
これは メッセージ 33467 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^37:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/11 23:53 [ No.33470 / 67915 ]
>>「一大」「対海」「二年」「邪馬壹国」etc...
>>刊刻時に誤られた・・・とは考えないということです
>確か、古田武彦氏もこれらは誤刻とは考えないみたいですね

古田史は基本的には「誤写・誤刻」を認めていません。それでいながら「無謬性を主張しているのではない」と語られるのですから、古田氏の主張を理解するのには忍耐が必要です。

上記諸異同については、それぞれ意味があるのだ・・・というスタンスですね。
これは メッセージ 33468 runsunnole さんに対する返信です

re^38:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/12 6:05 [ No.33471 / 67915 ]
>古田史は基本的には「誤写・誤刻」を認めていません。それでいながら「無謬性を主張しているのではない」と語られるのですから、古田氏の主張を理解するのには忍耐が必要です。

「無謬性を主張しているのではない」なら、「誤写・誤刻」を認めているということです。
古田氏の論理は「複合的かつ立体的」で、私にもその論理がなかなかうまく辿れません。
ついつい「騙しのレトリック」を使っているなどと非難したくなる事情もよく分かるのですが、古田氏の主張を理解するのには忍耐が必要です。
これは メッセージ 33470 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^39:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/12 22:38 [ No.33475 / 67915 ]
>「無謬性を主張しているのではない」なら、「誤写・誤刻」を認めているということです

それがそうじゃないのです。『魏志倭人伝』の問題とされる異同について、かねてから云われている「誤写・誤刻説」を否定し、通行本の表記こそ、陳寿オリジナルなのだと唱えています。

ところが、じゃ「無謬」を主張するのか?と反論されると、いやそうじゃない!と云います。「誤謬の可能性を想定したから、字形の検証をした」と。

でも、その結果「誤写・誤刻とすることはできない」と云われる。

>古田氏の主張を理解するのには忍耐が必要です

この「理解」という言葉は、runsunnoleさんと私とでは意味合いが違うでしょうね。runsunnoleさんは「容認」という含みかと推察します。わたしは「云っている意味・理路を受け止める」といういみです。もちろん、結論は「否」ですが・・・。

それはそうと、お盆休みのせいか、投稿数がめっきりですね。私はどこへも行く予定がありませんので、夜は時間が取れます。よろしく。
これは メッセージ 33471 runsunnole さんに対する返信です

re^40:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/13 1:11 [ No.33477 / 67916 ]
>『魏志倭人伝』の問題とされる異同について、かねてから云われている「誤写・誤刻説」を否定し、通行本の表記こそ、陳寿オリジナルなのだと唱えています。

『「一大」「対海」「二年」「邪馬壹国」etc...は誤刻ではない。』

誤刻説を否定するのはhyena_no_papaさんも一緒ですよね。
だったらhyena_no_papaさんも、通行本の表記こそ陳寿オリジナルなのだと唱えることができますよ。
hyena_no_papaさんの論理からすれば、
陳寿オリジナル:一大
↓        ↓
第1次写本  :一支
↓        ↓
第2次写本  :一大
↓        ↓
刊本     :一大
としたって不都合はないですよね。

>ところが、じゃ「無謬」を主張するのか?と反論されると、いやそうじゃない!と云います。「誤謬の可能性を想定したから、字形の検証をした」と。

古田氏がすべきことではないですね。
実証は無謬(誤刻)を主張する人がすべきことです。
これは メッセージ 33475 hyena_no_papa さんに対する返信です

訂正 runsunnole 2005/ 8/13 1:17 [ No.33478 / 67916 ]
実証は誤刻を主張する人がすべきことです。
これは メッセージ 33477 runsunnole さんに対する返信です

re^40-2:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/13 22:02 [ No.33484 / 67916 ]
昨夜のレスに洩れが、、、


>でも、その結果「誤写・誤刻とすることはできない」と云われる。

「誤写・誤刻とすることはできない」は結果ですから、古田氏は始めから誤写・誤刻を認めているのです。

>この「理解」という言葉は、runsunnoleさんと私とでは意味合いが違うでしょうね。
>わたしは「云っている意味・理路を受け止める」といういみです。

わたしも「云っている意味・理路を受け止める」といういみです。

>もちろん、結論は「否」ですが・・・。

古田氏の主張を理解するのには忍耐が必要です、って仰っているじゃありませんか。
古田氏の「云っている意味・理路を受け止める」のを拒否するのには、何か事情がおありなのですか?

>それはそうと、お盆休みのせいか、投稿数がめっきりですね。

めっきりですね。
私は16日から遅いお盆休みをとります。
これは メッセージ 33477 runsunnole さんに対する返信です

re^41:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/13 22:38 [ No.33486 / 67916 ]
>実証は誤刻を主張する人がすべきことです(#33478)

そりゃ、逆でしょう。無謬を主張する人がすべき事だとおもいますよ。

「台湾中央研究院 漢籍電子文獻」の正史は全部で4千万文字とされます。大雑把な計算として三国志でその100分の一、40万文字あるとしましょう。

張元済の『三国志校勘記』によると、指摘される異同は4600カ所です。頻度数約1%ですね。これらはあくまでも「写本間の異同」です。他の文献との異同を挙げたら、それこそ、ひとつ桁があがるでしょう。それくらい、文字の異同は多いのです。

>>>
陳寿オリジナル:一大
↓        ↓
第1次写本  :一支
<<<

という可能性を想定すること自体は、何ら問題はありません。さて、それによって何が説明できるか?ということです。陳寿オリジナルが「一大」で、第一次写本が「一支」だとすると、どういう問題が解決されるのでしょうか?


私が先に指摘した「異同群」は動かしがたい事実です。それとの整合性は取れるでしょうか?
これは メッセージ 33477 runsunnole さんに対する返信です

訂正 hyena_no_papa 2005/ 8/13 23:46 [ No.33492 / 67917 ]
>これらはあくまでも「写本間の異同」です

「刊本間の」の誤。謹んで訂正します。
これは メッセージ 33486 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^42:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/13 22:51 [ No.33487 / 67917 ]
>「誤写・誤刻とすることはできない」は結果ですから、古田氏は始めから誤写・誤刻を認めているのです

それは、古田説というものを理解していないゆえの発言ですね。はじめは、「認めていない」のです。これははっきりしています。でも、自分に都合がわるい論理が提出されると、言を翻して、「認めている」というのです。それは言い訳に過ぎません。

>古田氏の「云っている意味・理路を受け止める」のを拒否するのには、何か事情がおありなのですか?

それは、おおありですよ。私事になりますが、私のHN「hyena_no_papa」というのは、「ハイエナのようなパパラッチ」の略称なのです。パパラッチは、あのダイアナ妃を追い回して結局は死に至らしめた、あのパパラッチです。私が追いかけたのは「古田説」なのです。

「古田説」はおかしいことだらけですよ。反・古田説の立場で、古代史雑誌に投稿して掲載されたことも何度かあります。反・古田説では同じ立場の安本美典氏からもお電話を頂き、氏の・・・・・・(伏せ字)・・・・・・頂きました。

古田説というのは、ひとつのカルトを形成していますね。ただ、論争の場を閉じていない分だけ、宗教的カルトから見ると、まだ救いがあるのかも知れないとも思います。

>めっきりですね。私は16日から遅いお盆休みをとります

昨夜も福岡空港で航空機のトラブル・・・。遠出をされるのなら、安全第一でお出かけください!
これは メッセージ 33484 runsunnole さんに対する返信です

re^43:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/14 0:59 [ No.33493 / 67917 ]
>そりゃ、逆でしょう。無謬を主張する人がすべき事だとおもいますよ。

刊本の無謬を主張する人(古田武彦、hyena_no_papaさん)

訂正の補記。
誤:実証は無謬(誤刻)を主張する人がすべきことです。  
正:実証は誤謬(誤刻)を主張する人がすべきことです。

>第一次写本が「一支」だとすると、どういう問題が解決されるのでしょうか?
>私が先に指摘した「異同群」は動かしがたい事実です。それとの整合性は取れるでしょうか?

第1次写本:一支
↓     ↓
第2次写本:一大
↓     ↓
刊本    :一大

はhyena_no_papaさんの主張です。

>はじめは、「認めていない」のです。これははっきりしています。

『刊刻時に誤られた・・・とは考えない』という人こそが、「認めていない」人なのではないでしょうか。
古田氏は、結果「刊刻時に誤られた誤刻とは考えない」と言っているのです。

>パパラッチは、あのダイアナ妃を追い回して結局は死に至らしめた、あのパパラッチです。>私が追いかけたのは「古田説」なのです。

なんだか凄い事情があったみたいですけど、追いかけた結果としては、刊本の無謬を主張するということでは古田説だったわけですね。

>「古田説」はおかしいことだらけですよ。
>反・古田説では同じ立場の安本美典氏からもお電話を頂き、氏の・・・・・・(伏せ字)・・・・・・頂きました。

「古田説」にもおかしいことはあります。
「到官」の解釈では安本美典氏を支持しています。

>古田説というのは、ひとつのカルトを形成していますね。

コメントできません。

>遠出をされるのなら、安全第一でお出かけください!

ありがとうございます。
孫たちに連れられて3泊4日の「花咲く大地北海道」ツアーです。
これは メッセージ 33487 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^44:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/14 23:08 [ No.33507 / 67917 ]
>刊本の無謬を主張する人(古田武彦、hyena_no_papaさん)

ありゃりゃ?なんかrunsunnoleさんってのは、捉え方が形式的ですね。古田氏と私の違いが理解できないのですか?


第1次写本:一支
↓     ↓
第2次写本:一大
↓     ↓
刊本    :一大

>はhyena_no_papaさんの主張です

もちろんそうですよ。

>古田氏は、結果「刊刻時に誤られた誤刻とは考えない」と言っているのです

違いますよ。刊本と陳寿原本との間に誤謬がない、と云っているのです。というか、古田氏は当初、刊本・写本についての概念を把握しておられなかったようですよ。後々まで「すべての刊本に邪馬壹(一)とある」なんて言い続けているのですから・・・。

>「古田説」にもおかしいことはあります

おかしいことだらけですね。ですから、行き着くところは『東日流外三郡誌』なのです。

>刊本の無謬を主張するということでは古田説だったわけですね

これまたなんともおかしな理解をされるようで・・・。私は「刊本の無謬」など主張しておりませんが。

>「到官」の解釈では安本美典氏を支持しています

少なくとも倭韓の部分に「短里」らしきものを想定しているところは共通していますね。

ご旅行のあとにしますかね?核心にはいるのは?
これは メッセージ 33493 runsunnole さんに対する返信です

re^45:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/15 0:58 [ No.33508 / 67917 ]
>古田氏と私の違いが理解できないのですか?

hyena_no_papaさんは古田氏の『「一大」「対海」「二年」「邪馬壹国」etc...は誤刻ではない。』という主張と違うのですか?

>もちろんそうですよ。

だったら
陳寿原本 :一大
↓      ↓
第1次写本:一支
↓      ↓
第2次写本:一大
↓      ↓
刊本   :一大
としたって不都合はないですよね。

>>古田氏は、結果「刊刻時に誤られた誤刻とは考えない」と言っているのです
>違いますよ。刊本と陳寿原本との間に誤謬がない、と云っているのです。

古田氏は刊本の『誤謬の可能性を想定し』、つまり刊本の誤刻の可能性を検証の結果、「刊刻時に誤られた誤刻とは考えない」から、陳寿原本には刊本のとおりにあったと考えるのです。
hyena_no_papaさんは『刊刻時に誤られた・・・とは考えない』、つまり、始めから刊本には誤謬はないと考えて史料事実(「一大」「対海」「二年」「邪馬壹国」etc...)は筆写時の誤写としているのです。

>後々まで「すべての刊本に邪馬壹(一)とある」なんて言い続けているのですから・・・。

「すべての刊本に邪馬壹(一)とある」のではないのですか?

>ですから、行き着くところは『東日流外三郡誌』なのです。

事情って、これの事?
パパラッチって、ハ行とラ行とタ行?

>私は「刊本の無謬」など主張しておりませんが。

hyena_no_papaさんは『「一大」「対海」「二年」「邪馬壹国」etc...は誤刻ではない。』と主張しているのではないのですか?

>少なくとも倭韓の部分に「短里」らしきものを想定しているところは共通していますね。

「到官」の解釈では安本説と古田説のどちらを支持しますか?

>ご旅行のあとにしますかね?核心にはいるのは?

(再掲)
>>命題は『刊本魏志の「一大」は刊行のテキストとなった写本の「一支」の誤刻か』ということでよろしいでしょうか
>はい。これが“核心”なのです。やっとたどり着きましたね。

hyena_no_papaさんは核心に対し「刊本に誤刻はない」との結論に辿り着いたのではないのですか。
これは メッセージ 33507 hyena_no_papa さんに対する返信です

re^46:一大国は・・・ hyena_no_papa 2005/ 8/15 22:12 [ No.33516 / 67917 ]
>hyena_no_papaさんは古田氏の『「一大」「対海」「二年」「邪馬壹国」etc...は誤刻ではない。』という主張と違うのですか

こりゃ、runsunnoleさんに私の考えを理解してもらうのに、相当時間がかかりそうだ!

問題は陳寿原本と刊本との関係なのです。

>>>
だったら
陳寿原本 :一大
↓      ↓
第1次写本:一支
<<<

ここでなぜ、「陳寿原本=一大」が出てくるのですか?そんなことを想定するから、七世紀段階での一斉改変などという次の、より拡大した想定になってしまうのです。

>不都合はないですよね

ですから、不都合です。そんな奇態を想定する必要がなぜあるのか?理解に苦しむのです。

>古田氏は刊本の『誤謬の可能性を想定し』、

違いますよ。runsunnoleさんは、古田氏の第一書の「はじめに」をお読みになっていないのですか?その証拠に「二と三」「大と支」「海と馬」などの誤写の可能性を検証していないでしょう。それらの異同について『通行本』の文面こそが陳寿原文なのだという想定の元に、古田流の解釈をしていっただけのことです。

>「すべての刊本に邪馬壹(一)とある」のではないのですか?

そうですよ。古田氏の云われている趣旨はご存じでしょう。「すべての刊本に邪馬壹(一)とあるから、代々書写された『魏志』、ひいては陳寿原本まで邪馬壹とあった」と主張されるわけです。

コピーの原本が「邪馬壹」なのですから、以後なんど刊行しても「邪馬壹」です。

>「到官」の解釈

については承知しておりません。しかし、いっこうに核心に入ることが出来そうにありません。ご旅行後に続きをやりたいと思いますので、英気を養ってきてください。
これは メッセージ 33508 runsunnole さんに対する返信です

re^47:一大国は・・・ runsunnole 2005/ 8/16 6:37 [ No.33523 / 67917 ]
>問題は陳寿原本と刊本との関係なのです。

ですから、
命題:『刊本魏志の「一大」は刊行のテキストとなった写本の「一支」の誤刻か』が“核心”なのです。

>ここでなぜ、「陳寿原本=一大」が出てくるのですか?

命題に対する結論(「刊本に誤刻はない」)から出てくるのです。

>>不都合はないですよね
>ですから、不都合です。そんな奇態を想定する必要がなぜあるのか?理解に苦しむのです。

「理解に苦しむ」というのはhyena_no_papaさんの都合です。

>コピーの原本が「邪馬壹」なのですから、以後なんど刊行しても「邪馬壹」です。

刊本間には誤謬がないということですか。

>>「到官」の解釈
>については承知しておりません。

古田説:「王[斤頁]が帯方太守となって郡治に着任したこと。」
安本説:「その八年、(帯方郡の)太守王[斤頁]が(魏国)の官(庁)に到(着)した(そして以下のことを報告した)。」

どちらを支持しますか?

>しかし、いっこうに核心に入ることが出来そうにありません。ご旅行後に続きをやりたいと思いますので、英気を養ってきてください。

そろそろ羽田に向かいます。
それでは、、、
これは メッセージ 33516 hyena_no_papa さんに対する返信です