濊伝 わが糞尿譚

濊は糞尿の民族か?

2020年7月末から8月にかけて〝濊〟についてツイートしたものをまとめてみた。


>糞尿まみれの歴史

これはまた手厳しい!
>宮廷の真ん前も含めて糞尿まみれ
つい一二世紀前まではロンドン(パリだっけ?)では2階から尿瓶に入ったオシッコを通りに垂れ流していたんだとか、、、日本人のほうが幾分マシだったかも、、、
午後6:15 · 2020年7月29日

おはようございます。
ゆららよさんの仰る「糞尿」のネタ元、検索したら出てきましたよ。このあたりでしょ?
「ところが、濊というのは、糞尿のことです。しかもその濊に、わざわざサンズイを充てています。どれだけ汚い不潔な民族だったのかということです。」
http://jaft.info/index.php?QBlog-20150122-1
午前9:54 · 2020年7月30日

同様のサイトは他にもありそうで、YouTubeでもヒットします。しかし『魏志』濊伝の記述内容はそんなこと一切書かれていません。男子は襟に「銀花」をつないでいるとあります。銀花の意味が不明ですが不潔なものでもないでしょう。

「濊」一時で「糞尿」と結びつけるのはどう思いますか?
午前10:00 · 2020年7月30日

多くの人は『三国志』魏書濊伝など読まないだろうと見込んでの虚言です。

これで〝嫌韓アピール〟のつもりなんでしょうか?こんなこと言う人は自国民をバカにしているんだと思いますよ。

こんなことでいちいち目くじら立てるのもいかがなものかと思いましたが、一言申し上げました。
午前10:06 · 2020年7月30日

YouTubeで同様の発言をしているのが小名木善行さんという方ですね。この「濊=糞尿」の話は既視感があったんですよね。それで検索したら思い出したんです。「目からウロコの日本の歴史」という氏の出演する動画です。ひどい内容で、私のブログに感想を書いています。
https://hyenanopapa.blog.fc2.com/blog-entry-1193.html
午前10:38 · 2020年7月30日

そもそも、濊=朝鮮などと捉えるのは間違いです。濊は半島中部の日本海に面した一部のことで、北は高句麗東沃沮、西は楽浪郡帯方郡、南は辰韓馬韓弁韓それに倭(?)が占めています。高等学校で使った歴史地図を見れば明示してあるはずです。下図は東洋文庫『東アジア民族誌1正史東夷伝』扉裏の図です。
午前11:04 · 2020年7月30日

『三国志』魏書東夷伝濊伝を読み下してみました。
http://hyenanopapa.obunko.com/sangokushi_waiden.html

一部YouTubeに、この「濊」をもって糞尿と結びつけ、濊族がいかにも不潔な民族であったかのような発言をしているものがありますが、少なくとも『三国志』濊伝を読む限り事実無根に揶揄中傷に他なりません。
午後7:17 · 2020年8月1日

この濊伝の一節に【疾病死亡輒損棄舊宅更作新居】とあります。病気で死人が出たら旧宅は壊して新居を作る、という意味ですね。当時も病気は未知の恐怖だったのでしょうから当然かも知れません。

日本でも以前はある種の病気で同様のことをやってたような、、、今では消毒技術の向上でやらない?
午後6:32 · 2020年8月3日

長崎は鎖国時代に海外への窓口として開港していましたが、当然疫病も持ち込まれ、伝染病も多発しました。江戸初期に倉田水樋というのが作られ、生活用水や消火用水として水を供給していました。ところが木製ですから劣化します。上流の汚水が紛れ込んで下流で伝染病が蔓延したと言われています。
午後6:38 · 2020年8月3日

上流のどんなところから取水しているか?下流の人はその状況をよく知らなかったんですね。どうもし尿なんかが流れ込んでいたのではないか?という話も読んだような記憶があります。それを知らずに下流の人は飲んでいた。伝染病は当然だったんでしょう。
午後6:41 · 2020年8月3日

長崎市のホームページに「長崎水道の歴史」があります。
https://city.nagasaki.lg.jp/shimin/150000/156000/p007120.html
明治になって横浜、函館についで三番目に近代水道が長崎に完成します。それには居留地の外国人の要求があったようです。以後長い間かけた水道の発展により、こんにち安全な水が豊富に供給されるようになったわけです。
午後6:47 · 2020年8月3日

糞尿と言えば、私の子供の頃までは庭の畑に肥料として自家のし尿を撒いていました。便所の汲取口から柄杓で組み上げ、肥桶に入れて家を半周し、畑に播くのです。根菜類を収穫すると、落し紙の新聞紙の細かい破片がくっついていることも。よく洗ってから食するんですが、、、もちろん戦後の話です。
午後6:52 · 2020年8月3日

小学校の頃、クラスに一人二人くらいはいましたね。野壺にハマったことのあるヤツが、、、野壺、若い人はご存じないかも。畑の広がっている農地では一角に肥溜めが設けられていました。糞尿を溜めておいて肥料とするんですね。特に囲いなども無いので、おっちょこちょいの元気者は勢い余ってドボン!
午後6:56 · 2020年8月3日

んで、教室でその話が出ると、落ちたヤツはみんなから冷やかされるんですが、といっても結構まんざらでも無いんですね。人の輪の中心にいるんですから!照れながらも多数の視線を浴びているというのは、それなりに気持ちのいいものだったのかも知れません。幸い、私は落ちた経験はありませんが、、、
午後6:59 · 2020年8月3日

今どきのトイレはどこへ行っても清潔ですね。真っ白くてピカピカ。TOTOとINUXが勢力争いをしていて、私の印象では前者がやや優勢のようです。しかし、水洗トイレなど無い昔は大便器の真下は肥壺でした。結構深いのですが、それでも落下物の勢いによっては黄金色のお釣りが戻ってくることもありました。
午後7:06 · 2020年8月3日

落し紙も最初は新聞紙でした。新聞紙をおばあちゃんが適切な大きさに切って便器の横の小箱に平積みに。やがてちり紙に変わりました。少し生活も豊かになったのでしょう。でも真っ白ではなく灰色でした。新聞紙などを再生したものだったのかも知れません。灰色はインクの色なんでしょう。
午後7:12 · 2020年8月3日

生意気盛りの若い人だって、乳幼児の頃はおしめが〝う■こまみれ〟になってお母さんにさんざんお世話になったはずですよね?先日TVで聞いた話。人間死ぬ時は内臓の筋肉が緩んで糞尿がダダ漏れするんだとか、、、生まれたときから死ぬ間際まで糞尿とは切っても切れない縁というか、道連れというか。
午後7:21 · 2020年8月3日

さて、濊と糞尿を結びつけての某国ディスりを見て、子供の頃を思い出しました。子供の諍いでよく口にした言葉、、、

〝お前の母ちゃん 出~べ~そ~〟

そう野次られて泣きべそで家に帰る子もいましたっけ、、、んで、野次った子の母ちゃんは出べそじゃないのかしらん、、、
午後7:37 · 2020年8月3日

糞尿の話をしていると、色々と思い出されて。高度成長の頃までは長崎市のし尿は海洋投棄されていました。バキュームカーで各家庭から汲み取ったし尿は港で平べったい大きな船に積み込まれ、港外沖まで運んでいって投棄されました。風向きや潮の流れによっては黄色い帯が陸地の方へ漂ってきたり。
午前9:50 · 2020年8月4日

今ではマンション数棟が立ち並ぶ団地になっているF地区ですが、昔人気の海水浴場が。年に一度くらいはバスに乗って行ったものです。ある時、水中に潜って浮き上がりプハーッと大きく息をすると、目の前に大きな〝う■こ〟がぷか~りぷか~りと漂っていて、、、河口に近かったのでどうやら上流から?
午前9:55 · 2020年8月4日

自動車が今ほど普及する前は、街中では馬が結構活躍していました。大八車を引くんですね。馬も動物ですから便意を催すと所構わず、ぼたっ!ぼたっ!と落として行きます。ウカツに踏んでしまうこともあるのですが、馬糞はそれほど嫌われませんでしたね。足が速くなる!という迷信が。牛糞だと鈍足に。
午前10:04 · 2020年8月4日

糞尿ディスりのサイトで見かけたのですが、糞尿酒というのがあるとか。へえ?と思ってググったら日本でも何かの糞からビールを作ってみた人がいて、飲んでました。さすがに私はご遠慮しますが、、、近代文明以前の社会では、動物の糞は貴重な資源で、燃料なんかにするんですよね。人糞は豚の餌とか。
午前10:08 · 2020年8月4日

糞を燃料にしたり豚の餌にしたりというのは、究極の〝循環型社会〟だと言えるでしょう。思想的には現代社会より上を行ってるのかも、、、「芙蓉鎮」といいましたか、中国映画の中で「豚になっても生きろ」というセリフがありました。人々は〝豚になって〟生命をつないできたのかも知れません。
午前10:14 · 2020年8月4日

話がそれますが、曹操が赤壁で敗れて華容道を敗走する時の兵卒は牛馬以下の扱いでしたね。三国から南北朝にかけての本を読むと、何万何十万という人々が殺されるシーンを漢字何文字かでサラリと書いてるんですね。延々と続く殺し合いの果てに生き残った人々の子孫が、今の中国人ということに。
午前10:22 · 2020年8月4日

そう言えばYahoo!掲示板時代にも糞便を話題にしたことがありました。例の関が原の戦いですね。東西両軍合計兵力20万くらいですか?人は1日1回は大便をするでしょうから、関が原には20万人分の糞便が撒き散らされたことになります。屍臭と糞便臭で近隣の農民は大迷惑!それでも武具漁りに。
午前10:30 · 2020年8月4日

戦いは9月15日。西暦では10月21日とWikiに。米の収穫は済んでいたんでしょうか?済んでいれば獲得した武具は迷惑代としての臨時収入。済んでいなければたまったもんではなかったでしょう。東軍の大将・徳川家康は遡る三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れて逃げる際に脱糞したとか。真偽は?
午前10:44 · 2020年8月4日

色々ググってると〝スカトロジー〟という言葉がヒット。『古事記』では,次に屎(くそ)になれる神は波邇夜須毘古神、波邇夜須毘売神。尿(ゆまり)になれる神は弥都波能売神、和久産巣日神が生まれると。

まさしく糞尿は神代の昔から、、、
午後7:24 · 2020年8月4日

そうそう、天照大神の弟・須佐之男命の非道は有名ですが、そこでも「大嘗を聞こしめす殿に屎まり散らしき」と。須佐之男命の乱暴狼藉で天照は岩屋戸に隠れます。高天が原もかなり臭かったでしょうね。けど、どういうわけか不潔な感じもしないんですよね。神話だからでしょうか?それとも糞尿は伴侶?
午後7:33 · 2020年8月4日

『東アジア民族誌1 正史東夷伝』を開いたついでに挹婁伝を。こちらはバッチリ「人々は不潔で」「法制的にも習俗的にも〔東夷諸族の中で〕最も乱れていて綱紀がない。」濊や沃沮などと全く違いますね。で、挹婁がどこか?というと中国東北部黒龍江省から北はアムール川あたりまで。
午後10:55 · 2020年8月4日

んで、その『東アジア民族誌1 正史東夷伝』p66注五には、次のようにあります。「挹婁人は、人尿を身体洗浄等に用いた。詳細は三上論文参照。」

この三上論文というのは同頁の注四にある三上次男『古代東北アジア史研究』のことでしょう。〝スカトロジー〟に関心をお持ちのむきはお奨めかも。
午後11:09 · 2020年8月4日

挹婁のその後を歴史地図で見てみますと、後の女真族の地のよう。日本の平安時代には渤海という国が勢力を張り、日本とも通交があった模様。その後は金という王朝が建って趙宋を南遷させます。ずっと後代になると清朝もこの辺りにルーツが。しかし清朝が挹婁の末裔とは考えたくないような、、、
午後11:23 · 2020年8月4日

「挹婁人は、人尿を身体洗浄等に用いた」で思い出したんですが、若い頃性的探究心旺盛で人目を気にしながら、そっち方面の本を読んでました。その中で〝尿を飲む〟という性癖があるんだと知りました。げっ!と思いましたが、好きな人には何ともないんでしょう。
午後11:43 · 2020年8月4日

糞尿の話になると書くことが尽きないのは何故でしょうか?そろそろ就寝時間なのに、まだまだ色々と思い出します。きっと糞尿が人生の伴侶だからでしょう。オギャーから南無阿弥陀仏までずっと伴侶、、、
午後11:46 · 2020年8月4日