志類書類杜佑通典二百卷 杜佑傳佑資嗜學雖貴猶夜分讀書先是劉秩摭百家侔六官法為政典三十五篇房琯稱其才過劉向佑以為未盡因廣其缺參益新禮為二百篇自號通典奏之優詔褒美儒者服其書約而詳 㑹要貞元十九年二月淮南節度使杜佑撰通典二百卷上之其書凡九門敘食貨十二篇禮百篇樂七篇兵六篇刑七篇州縣十四篇邊防十六篇識者知其必登公輔之位〚舊紀貞元十七年十月庚戌淮南節度使杜佑進通典凡九門二百巻〛 今通典食貨十二卷選舉六卷職官十二卷禮一百卷樂七卷兵十五卷刑八卷州縣十四卷邊防十六卷貞元十年表上〚中興舊目云通典貞元十年撰以事分類〛左補闕李翰序曰凡八門勒成二百卷非聖之書不取事非經國不録佑自叙曰所纂通典實採羣言徵諸人事夫理道之先在乎行教化教化之本在乎足衣食洪範八政一食二貨夫子曰既富而教斯之謂矣夫行教化在乎設職官設職官在乎審官才審官才在乎精選舉制禮以端其俗立樂以和其心此先哲王致治之大方也故職官設然後興禮樂焉教化隳然後用刑罰焉列州郡俾分領焉置邊防遏戎敵焉是以食貨為之首選舉次之職官又次之禮又次之樂又次之刑又次之〚大刑用甲兵十五卷其次五刑八卷〛州郡又次之邊防末之或覽之者庶知篇第之㫖(旨)也〚本初纂録止於天寶之末其有要須議論者亦便及以後之事〛 志雜家杜佑理道要訣十卷 佑表曰竊思理道不録空言由是累記修纂通典包羅數千(十)年事探討禮法刑政遂成二百卷先已奉進從去年春末更於二百卷中纂成十卷目曰理道要訣凡三十三篇〚書目云三十二篇〛詳古今之要酌時宜可行貞元十九年二月十八日上佑自序曰隋季文博理道集〚唐志法家類治道集十卷〛多主於規諫而畧(略)於體要臣頗探政理竊究始終遂假問荅方冀發明第一至第三食貨四選舉命官五禮教六封建州郡七兵刑八邊防九十古今異制議〚權徳輿以為誕章閎議錯綜古今經世立言之㫖(旨)備焉 朱文公謂非古是今之書※()内は影印本上の表記です。
咸平三年十月監修國史季沆請命官續修通典己(巳)未詔翰林承㫖(旨)宋白知制誥李宗諤編修白等又請命舒雅楊億李維石中立任隨同編修杜鎬檢討先是淳()化中命翰林學士蘇易簡與三館文學之士續修此書㑹易簡等各涖官務尋罷至是復纂四年九月丙戌書成白等上之凡二百卷目録二卷詔藏祕府命中使就祕閣張宴以勞之賜白等器幣起唐至徳初至周顯徳末凡食貨二十選舉十二職官六十三禮四十樂五兵十二刑十一州郡二十六邊防十一時論非其重複不以傳布以上です。宜しくお願いします。
志の類書類に、杜佑の通典二百巻あり。
杜佑伝に、佑、資として学を嗜み、貴なると雖も猶お夜分に書を読めり。
先に是れ、劉秩は百家を摭い、六官の法に侔えて政典三十五篇を為る。房琯其の才の劉向に過ぎたるを称す。
佑、以えらく未だ尽くさずと。因って其の欠けたるを広め、新礼を参益して二百篇と為す。自ら通典と号して之を奏す。優詔ありて褒美し、儒者其の書の約にして詳なるに服せり。
会要に、貞元十九年二月、淮南節度使杜佑、通典二百巻を撰して之を上る。其の書、凡そ九門なり。食貨十二篇、礼百篇、楽七篇、兵六篇、刑七篇、州県十四篇、辺防十六篇を叙す。識者、其の必ず公輔の位に登らんことを知れり。
(旧紀に、貞元十七年十月庚戌、淮南節度使杜佑、通典を進ず。凡そ九門二百巻。)
今、通典、食貨十二巻、選挙六巻、職官十二巻、礼一百巻、楽七巻、兵十五巻、刑八巻、州県十四巻、辺防十六巻。貞元十年に表して上る。
(中興旧目に云わく、通典は貞元十年に撰す。事を以て類に分かつ。)
左補闕李翰の序に曰わく、凡そ八門、勒して二百巻に成す。聖に非ざるの書は取らず、事の経国に非ざるは録せず。
佑、自叙に曰わく、纂する所の通典は、実に群言を採り、諸を人事に徴す。夫れ理道の先は、教化を行うに在り。教化の本は、衣食を足らすに在り。洪範の八政、一に食、二に貨。夫子曰わく「既に富ませて而して教う」とは、斯をこれ謂うなり。
夫れ教化を行うは、職官を設くるに在り。職官を設くるは、官才を審むるに在り。官才を審むるは、選挙を精しくするに在り。礼を制して以て其の俗を端し、楽を立てて以て其の心を和らぐ。此れ先哲王の治を致すの大方なり。
故に職官設けて然る後に礼楽興る。教化隳れて然る後に刑罰用いらる。州郡を列ねて分領せしめ、辺防を置き戎敵を遏む。
是を以て食貨を之が首と為し、選挙之に次ぎ、職官又之に次ぎ、礼又之に次ぎ、楽又之に次ぎ、刑又之に次ぎ(大刑には甲兵十五巻を用い、其の次は五刑八巻)、州郡又之に次ぎ、辺防之を末とす。或は之を覧る者、庶くは篇第の旨を知らんことを。
(本初、纂録すること天宝の末に止まる。其の要として議論を須うる者あらば、亦た便ち以後の方事に及ぶ。)
志、雑家の杜佑、理道要訣十巻。
佑の表に曰わく、竊かに理道は空言を録せずと思えり。是に由って累記修纂し、通典は数千(十)年の事を包羅し、礼法刑政を探討して、遂に二百巻に成る。先に已に奉進す。去る年の春末より、更に二百巻の中に於いて纂めて十巻に成り、目して理道要訣と曰う。凡そ三十三篇。古今の要を詳らかにし、時宜の行うべきを酌む。貞元十九年二月十八日に上る。
佑、自叙に曰わく、隋季の文博、理道集を(唐志法家類、治道集十巻)に、多く規諫を主として体要を略せり。臣、頗る政理を探り、竊に始終を究め、遂に問答を仮りて、方に発明せんことを冀う。第一より第三は食貨、四は選挙命官、五は礼教、六は封建州郡、七は兵刑、八は辺防、九・十は古今異制議。
(権徳輿以えらく、誕章閎議、古今を錯綜し、経世立言の旨備われりと。朱文公は之を謂わく、古を非として今を是とするの書なりと。)
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### 二、 咸平續修通典
**【讀下文】**
咸平三年十月、監修国史李沆、官を命じて通典を続修せんことを請う。己未、翰林承旨宋白に詔して、知制誥李宗諤らと編修せしむ。白ら又、舒雅・楊億・李維・石中立・任随を命じて同に編修し、杜鎬に検討せしめんことを請う。
先に是れ、淳化の中に、翰林学士蘇易簡と三館文学の士に命じて此の書を続修せしむ。会易簡ら各官務に涖み、尋いで罷む。是に至って復た纂む。
四年九月丙戌、書成る。白ら之を上る。凡そ二百巻、目録二巻。詔して秘府に蔵し、中使に命じて秘閣に就き宴を張りて以て之に労い、白らに器幣を賜う。
唐の至徳の初めに起り、周の顕徳の末に至る。
凡そ食貨二十、選挙十二、職官六十三、礼四十、楽五、兵十二、刑十一、州郡二十六、辺防十一。時論其の重複を非として、以て伝布せず。