『宋書』裴松之伝

いつか書きたい『三国志』」というブログは、「正史『晋書』完訳プロジェクト いつか読みたい『晋書』訳」というサイトも展開されている、凡庸至極の愚生から見て極めてレベルの高い方が開設されている。『三国志』関連で時折ネット検索すると、この方のサイトに遭遇し、その度にその内容に呆然とすることしばしばである。

裴松之の「上三国志注表」の釋読を試みるに際してもネット検索していて、この方の「 『宋書』裴松之の列伝から、魏晋への愛を感じる」という記事が目に止まった。『宋書』裴松之伝も注釈付きで平明な現代語訳が行われている。そりゃそうだろう。「正史『晋書』完訳プロジェクト」を公言するほどの方なら、裴松之伝の読み下しなど難儀することのあろうはずもない。

しかし、である。いつものことながら、中間生成物としての〝読み下し文〟が欲しくなる。ならば自分で立ち向かうしか無い。恥をかくのは素人の特権というものだろう。

とは気取ってみたものの、延々と辞書をめくる日々。ネットを検索する日々。それでも語義未詳の乱発である。全ての語義が判明した後でないと公開できないというのであれば、故事成句の潜んでいそうなかかる文を読み下して公開する日は、遂に訪れないかもしれない。"エイヤッ!"と掛け声をかけ、どこかで踏ん切りをつけなければ不良在庫がまた一つ増えることになるだけである。

よって、蛮勇を奮い公開することとした。諸賢の御笑読を請う。
〈原文〉 「漢籍電子文献」による。〚〛内は同校注。
裴松之字世期,河東聞喜人也。祖昧,光祿大夫。父珪,正員外郎。松之年八歲,學通論語、毛詩。博覽墳籍,立身簡素。年二十,拜殿中將軍。此官直衞左右,晉孝武太元中革選名家以參顧問,始用琅邪王茂之、會稽謝輶,皆南北之望。舅庾楷在江陵,欲得松之西上,除新野太守,以事難不行。拜員外散騎侍郎。義熙初,為吳興故鄣令,在縣有績。入為尚書祠部郎。松之以世立私碑,有乖事實,上表陳之曰:「碑銘之作,以明示後昆,自非殊功異德,無以允應茲典。大者道勳光遠,〚9 大者道勳光遠 「勳」各本並作「動」,據元龜四七一改。〛世所宗推,其次節行高妙,遺烈可紀。若乃亮采登庸,績用顯著,敷化所莅,惠訓融遠,述詠所寄,有賴鐫勒,非斯族也,則幾乎僭黷矣。俗敝偽興,華煩已久,是以孔悝之銘,行是人非;蔡邕制文,每有愧色。而自時厥後,其流彌多,預有臣吏,必為建立,勒銘寡取信之實,刊石成虛偽之常,真假相蒙,殆使合美者不貴,但論其功費,又不可稱。不加禁裁,其敝無已。以為諸欲立碑者,宜悉令言上,為朝議所許,然後聽之。庶可以防遏無徵,顯彰茂實,使百世之下,知其不虛,則義信於仰止,道孚於來葉。」由是並斷。〚10 由是並斷 「並斷」南史作「普斷」。〛高祖北伐,領司州刺史,以松之為州主簿,轉治中從事史。既克洛陽,〔松之居州行事。宋國初建,毛德祖使洛陽。〕高祖敕之曰:〚11 既克洛陽松之居州行事宋國初建毛德祖使洛陽高祖敕之曰 「松之居州至使洛陽」十六字各本並脫,據南史補。〛「裴松之廊廟之才,不宜久尸邊務,今召為世子洗馬,與殷景仁同,可令知之。」于時議立五廟樂,松之以妃臧氏廟樂亦宜與四廟同。除零陵內史,徵為國子博士。太祖元嘉三年,誅司徒徐羨之等,分遣大使,巡行天下。通直散騎常侍袁渝、司徒左西掾孔邈使揚州,〚12 司徒左西掾孔邈使揚州 「左西掾」各本並作「左司掾」,張森楷校勘記云:「司當作西。」按張校是,今改正。〛尚書三公郎陸子真、〚13 尚書三公郎陸子真 孫虨宋書考論云:「所使諸州無江州、南徐州,蓋陸子真使江州,范雍使南徐州,而史文脫去。建康實錄,元嘉四年,散騎常侍陸子真薦豫章雷次宗、尋陽陶潛。二郡並江州屬,可證也。」〛起部甄法崇使荊州,員外散騎常侍范雍、〚14 員外散騎常侍范雍 孫虨宋書考論云范雍使南徐州,說見前條。〛司徒主簿龐遵使南兗州,前尚書右丞孔默使南北二豫州,〚15 前尚書右丞孔默使南北二豫州 孔默即文帝紀及范曄傳之孔默之。東晉南北朝人名後之「之」字,有時可省去。〛撫軍參軍王歆之使徐州,冗從僕射車宗使青、兗州,松之使湘州,尚書殿中郎阮長之使雍州,前竟陵太守殷道鸞使益州,員外散騎常侍李耽之使廣州,郎中殷斌使梁州、南秦州,前員外散騎侍郎阮園客使交州,駙馬都尉、奉朝請潘思先使寧州,並兼散騎常侍。班宣詔書曰:「昔王者巡功,羣后述職,不然則有存省之禮,聘覜之規。所以觀民立政,命事考績,上下偕通,遐邇咸被,故能功昭長世,道歷遠年。朕以寡闇,屬承洪業,夤畏在位,昧于治道,夕惕惟憂,如臨淵谷。懼國俗陵頹,民風凋偽,眚厲違和,水旱傷業。雖躬勤庶事,〚16 雖躬勤庶事 「躬勤」各本並作「勤躬」,據元龜二一三乙正。〛思弘攸宜,而機務惟殷,顧循多闕,政刑乖謬,未獲具聞。豈誠素弗孚,使羣心莫盡,納隍之愧,在予一人。以歲時多難,王道未壹,卜征之禮,廢而未修,眷彼氓庶,〚17 眷彼氓庶 「彼」各本並作「被」。張元濟、張森楷校勘記云:「被當作彼。」按二張校是,今改正。〛無忘攸恤。〚18 無忘攸恤 「攸」各本並作「欽」,據元龜二一三改。〛今使兼散騎常侍渝等申令四方,周行郡邑,親見刺史二千石官長,申述至誠,廣詢治要,觀察吏政,訪求民隱,旌舉操行,存問所疾。禮俗得失,一依周典,每各為書,還具條奏,俾朕昭然,若親覽焉。大夫君子,其各悉心敬事,無惰乃力。其有咨謀遠圖,謹言中誠,陳之使者,無或隱遺。方將敬納良規,以補其闕。勉哉勗之,稱朕意焉。」松之反使奏曰:「臣聞天道以下濟光明,君德以廣運為極。古先哲后,因心溥被,是以文思在躬,則時雍自洽,禮行江漢,而美化斯遠。故能垂大哉之休詠,廓造周之盛則。伏惟陛下神叡玄通,道契曠代,冕旒華堂,垂心八表。咨敬敷之未純,慮明揚之靡暢。清問下民,哀此鰥寡,渙焉大號,周爰四達。遠猷形於雅、誥,惠訓播乎遐陬。是故率土仰詠,重譯咸說,莫不謳吟踊躍,式銘皇風。或有扶老攜幼,稱歡路左,誠由亭毒既流,故忘其自至,千載一時,於是乎在。臣謬蒙銓任,忝厠顯列,猥以短乏,思純八表,無以宣暢聖旨,肅明風化,黜陟無序,搜揚寡聞,慚懼屏營,不知所措。奉二十四條,謹隨事為牒。伏見癸卯詔書,禮俗得失,一依周典,每各為書,還具條奏。謹依事為書以繫之後。」松之甚得奉使之義,論者美之。轉中書侍郎、司冀二州大中正。上使注陳壽三國志,松之鳩集傳記,增廣異聞,既成奏上。上善之,曰:「此為不朽矣。」出為永嘉太守,勤恤百姓,吏民便之。入補通直為常侍,〚19 入補通直為常侍 張森楷校勘記云:「為字為散騎二字之譌。」〛復領二州大中正。尋出為南琅邪太守。十四年致仕,拜中散大夫,尋領國子博士,進太中大夫,博士如故。續何承天國史,未及撰述,二十八年,卒,時年八十。子駰,南中郎參軍。松之所著文論及晉紀,駰注司馬遷史記,並行於世。

〈拙訳〉
裴松之、字は世期,河東郡聞喜県の人なり。祖父は昧,光祿大夫、父は珪,正員外郎*なり。松之は年八歲にして,學びて『論語』、『毛詩』に通ず。墳籍*を博覽*し,立身*は簡素*なり。年二十にして,殿中將軍*を拜す。此の官は左右を直衞*し,晉の孝武帝太元中(376-396)名家*を革選*し以て顧問*に參(まじ)へ,始めて琅邪の王茂之*、會稽の謝輶*を用ふるも,皆南北の望*なり。

舅*(しゅうと)の庾楷*は江陵に在りて,松之を得て西上せんと欲するも,新野太守*に除され,事の難きを以て行はず。
員外*散騎侍郎*を拜す。義熙(405-418)初,吳興の故鄣令*と為し,縣に在りて績*有り。入(かえ)りて尚書祠部郎*と為す。

松之は世に立つ私碑*の,事實に乖(そむ)くもの有るを以て,上表して之を陳(のべ)て曰く:「碑銘の作は,以て後昆*に明示し,自(おの)ずから殊功*異德*に非ずして,以て茲典*に允應*するは無し。大は道勳*光遠*にして,〚9 大者道勳光遠 「勳」は各本並びに「動」に作る,『冊府元亀』四七一に據り改む。〛世に宗推*する所は,其の節行*は高妙*に次(やど)り,遺烈*は紀(しる)すべし。乃(すなは)ち亮采*の登庸*の若(ごと)く,績用*は顯著*にして,敷化*は莅(のぞ)む所,惠訓*は融遠*にして,述詠*は寄る所,賴(たよ)り有りて鐫勒*し,斯(こ)の族に非ざるや(也),則(すなは)ち幾乎(ほとんど)*僭黷*か(矣)。俗は敝(やぶ)れ偽は興(おこ)り,華煩*は已(すで)に久しく,是を以て孔悝之銘*,是を行はば人は非(そし)る;蔡邕*の制文*は,每(つね)に愧色*有り。而るに時(これ)自(よ)り厥(の)後,其の流れは彌(いよいよ)多く,預(あらかじ)め臣吏*有らば,必ず建立を為し,勒銘*は取信*の實寡(すく)なく,刊石*は虛偽の常と成し,真假*は相蒙*にして,殆(かうろうじ)て美に合(適=かな)はしむるも貴からず,但(ただ)其の功費*を論ずるは,又稱(たた)へるべからず。其の敝(やぶ)れ無き已(のみ),禁裁*を加へず。以為(おも)ふに諸(もろもろ)の立碑を欲する者は,宜(よろ)しく悉(ことごと)く言上*せしめ,朝議*の許す所と為るを以て,然る後に之を聽(ゆる)すべし。庶(こしねが)ふに可以(なるべく)防遏*は無徵*,茂實*は顯彰*し,百世*の下をして,其の虛ならざるを知らしめ,則ち義は仰止*に信じ,道は來葉*に孚(はぐく)む。」是に由り並びに斷つ。〚10 由是並斷 「並斷」『南史』は「普斷」に作る。〛

高祖は北伐し,司州刺史*を領するや,松之を以て州主簿*と為し,治中從事史*に轉ず。既に洛陽に克(勝)ちて,〔松之は州行事に居す。宋國初めて建ち,毛德祖*は洛陽に使ひす。〕高祖は之に敕して曰く:〚11 「既克洛陽松之居州行事宋國初建毛德祖使洛陽高祖敕之曰」の 「松之居州」から「使洛陽」に至る十六字は各本並びに脫す,南史に據り補ふ。〛「裴松之は廊廟*の才,久しく邊務*を尸(むなし)ふするは宜しからずして,今召して,殷景仁*と同じく世子洗馬*と為し,之を知らしむべし。」五廟*の樂を立つるを議せし時,松之は以て妃である臧氏の廟樂を亦(また)四廟と同じふするを宜(よし)とす。零陵內史*に除し,徵(め)して國子博士*と為す。

太祖の元嘉三年(426),司徒*徐羨之*等を誅するや,司徒を分遣*して,天下を巡行*す。通直散騎常侍*の袁渝、司徒左西掾の孔邈を揚州へ使(つか)わし,〚12 司徒左西掾孔邈使揚州 「左西掾」は各本並びに「左司掾」に作る,張森楷*の「校勘記」に云ふ:「司は當(まさ)に西に作るべし。」按ずるに張の校(=校勘)は是(ただ)しく,今改正す。〛尚書*三公郎*の陸子真*、〚13 尚書三公郎陸子真 孫虨の「宋書考論」に云ふ:「使わす所の諸州に江州、南徐州は無く,蓋(けだ)し陸子真*は江州に使わし,范雍は南徐州に使わし,而して史文*を脫去*す。「建康實錄」,元嘉四年(427),散騎常侍*の陸子真は豫章*の雷次宗*、尋陽*の陶潛*を薦(すす)む。二郡は並びに江州の屬なり,證すべき也。」〛起部甄の法崇*を荊州に使わし,員外散騎常侍の范雍、〚14 員外散騎常侍范雍 孫虨の「宋書考論」に云ふ范雍を南徐州に使わすは,說(と)きて前條に見ゆ。〛司徒主簿の龐遵を南兗州に使わし,前尚書右丞*の孔默*を南北二豫州に使わし,〚15 前尚書右丞孔默使南北二豫州 孔默は即ち文帝紀及び范曄傳の孔默之なり。東晉南北朝に人名の後の「之」字,省去*すべき時有り。〛撫軍*參軍*の王歆之*を徐州に使わし,冗從僕射*の車宗*を青、兗州に使わし,松之を湘州に使わし,尚書殿中郎*の阮長之を雍州に使わし,前竟陵太守の殷道鸞を益州に使わし,員外散騎常侍の李耽之を廣州に使わし,郎中の殷斌を梁州、南秦州に使わし,前員外散騎侍郎の阮園客を交州に使わし,駙馬都尉*、奉朝請*の潘思先を寧州に使わし,並びに散騎常侍を兼ぬ。

班宣*詔書して曰く:「昔、王者の巡功*するや,羣后*は述職*し,然(しか)らずんば則(すなは)ち存省之禮*,聘覜之規*有り。民を觀て政を立つる所以(ゆえん)は,事を命じ績を考へ,上下偕(とも)に通じ,遐邇*咸(皆)被(おほ)ひ,故(ゆえ)に能(よ)く功は長世*を昭(あき)らかにし,道は遠年*を歷(ふ)。朕は寡闇*なるを以て,洪業*を屬承*し,在位*を夤畏*し,治道*に昧(くら)く,夕惕*惟憂*し,淵谷*に臨むが如し。國俗*の陵頹*し,民風*の凋偽*し,眚厲*違和*,水旱*の業を傷(やぶ)るを懼(おそ)る。躬(みずか)ら庶事*を勤むると雖(いへど)も,〚16 雖躬勤庶事 「躬勤」各本は並びに「勤躬」に作る,元龜二一三乙に據り正す。〛思弘*は攸宜*にして,而るに機務*は惟殷*,顧循*は闕多く,政刑*は乖謬*にして,未だ具(つぶさ)に聞くを獲ず。豈(あに)誠素は孚(まこと)にあらず,羣心*をして盡(つ)きること莫(な)からしむるに,納隍之愧*は,予一人に在らむや。歲時*多難*を以て,王道は未壹*にして,卜征*の禮は,廢(すた)れて未(いま)だ修まらず,彼の氓庶*を眷(かえり)みて,〚17 眷彼氓庶 「彼」は各本並びに「被」に作る。張元濟、張森楷の「校勘記」に云ふ:「被當作彼。」を按ずるに二張(=張元濟、張森楷)の校は是(ただ)しく,今改正す。〛攸恤*を忘るること無し。〚18 無忘攸恤 「攸」各本並びに「欽」に作る,『冊府元亀』二一三に據り改む。〛今、兼散騎常侍の(袁)渝等をして,郡邑を周行*し,刺史や二千石の官長*を親見*し,至誠*を申述*し,廣く治要*を詢(問)ひ,吏政*を觀察し,民隱*を訪求*し,操行*を旌舉*し,疾(病=や)む所を存問*するを四方に申令*せしむ。禮俗*の得失*は,一に周典*に依り,每(つね)に各(おのおの)書を為し,還りて具(つぶさ)に條奏*し,朕をして昭然*とせしむるは,親覽*の若(ごと)きや(焉)。大夫*や君子*は,其の各(おのおの)敬事*に心を悉(つ)くし,惰(おこた)り無きは乃(すなは)ち力なり。其の遠圖*を咨謀*する有りて,中誠*を謹言*し,之を使者に陳(の)べ,或ひは隱遺*すること無し。方(なら)びて良規*を敬納*するを將(たす)け,以て其の闕を補ふ。勉哉(つとめよや)之を勗(つとめ)よ,朕の意を稱(はか)れよや(焉)。」

松之は使に反(かへ)し奏して曰く:「臣は聞くに天道は下濟*を以て光明*し,君德*は廣運*を以て極を為す。古く先哲*の后(のち),因心*は溥被*,是(ここ)を以て文思*は躬(身)に在り,則(すなは)ち時雍*は自洽*にして,禮は江漢*に行はれ,而して美化*は斯(か)く遠し。故(ゆえ)に能(よ)く大哉之休*を垂れて詠(うた)ひ,周之盛則*を廓造*す。伏して惟(おも)ふに陛下の神叡*は玄通*し,道契*は曠代*にして,冕旒*華堂*,八表*に垂心*す。之を敬敷*するに未だ純ならざるを咨(はか)り,之を明揚*するに暢(敷)く靡(無)きを慮(おもんぱか)る。下民*に清問*し,此の鰥寡*を哀(あは)れみ,渙*(あきらか)なるや(焉)大ひに號(さけ)び,周爰*四達*す。遠猷*は雅*、誥*に形(あらは)れ,惠訓*は遐陬*に播(ま)く(乎)。是れが故(ゆえ)に率土*仰詠*し,譯を重ねて咸(ことごと)く說き,謳吟*踊躍*せざるは莫(無)く,皇風*を式銘*す。或ひは扶老*攜幼*有りて,路左*を稱歡*し,誠に亭毒*に由(よ)りて既に流れ,故(ゆえ)に其の自(おの)ずから至るを忘れ,千載一時*,是(ここ)に於ひてか在る。臣は謬蒙*にして銓任*,忝(かたじけ)なくも顯列*に厠(まじ)り,猥(みだ)りに短乏*を以てし,思ひは八表に純(かがや)くも,以て聖旨*を宣暢*するは無く,肅明*は風化*するも,黜陟*は序*無く,搜揚*は寡聞*,慚懼*は屏營*にして,措(お)く所を知らず。二十四條を奉(たてまつ)り,謹んで隨事*牒*を為す。伏して癸卯詔書*を見るに,禮俗の得失は,一に周典*に依り,每(つね)に各(おのおの)書を為し,還りて具(つぶさ)に條奏す。謹しんで事に依り書を為し以て之後(=以後)に繫ぐ。」松之は甚だしく奉使之義*を得,論者は之を美(ほ)む。

中書*侍郎*、司(州)冀(州)二州の大中正*に轉ず。上(天子)は陳壽の『三國志』に注せしめ,松之は傳記を鳩集*し,異聞を增廣*し,既成*奏上*す。上(天子)は之を善(よみ)して曰く:「此(こ)れ不朽と為す(矣)。」出(いで)て永嘉太守と為し,百姓*を勤恤*し,吏民*は之を便ず。入りて通直為常侍*に補し,〚19 入補通直為常侍 張森楷の校勘記に云ふ:「為字は散騎二字之譌と為す。」〛復た二州の大中正を領す。尋出*して南琅邪*太守と為す。

十四年(437)致仕*し,中散大夫*を拜し,尋(つ)いで國子博士*を領し,太中大夫*に進み,博士は故(もと)の如し。

何承天*の國史を續(つ)ぐも,未だ撰述に及ばずして,二十八年(454),卒す,時に年八十。子は駰,南中郎參軍なり。松之の著する所の文論及び『晉紀』,裴駰注する司馬遷『史記』は,並びに世に行(おこな)はる。

〈字釈〉
正員外郎:員外郎,中國古代官職之一,原指設於正員、定員以外的郎官。後來「員外」一詞逐漸成為富有地主的另一種稱呼。by 維基百科。
墳籍:昔の書物。聖賢の書いた書籍。
博覽:広く見聞する。見聞の広いこと。
立身:りっぱな人になること。おいたち。出身。
簡素:簡単で飾り気がなく、質素なさま。手軽で飾らない。
殿中將軍:でんちゅうしょうぐん。中国の官位である。皇帝側近の侍従武官で、宿衛兵を統率し、殿中の警備を務める事を職務とした。三国時代に全ての国で設置されたが、蜀は殿中督(でんちゅうとく)、呉は殿中列将(でんちゅうれつしょう)と称された。 by Enpedia。
直衞:宿直して守る。また、その任にあたる人。
名家:名高い家がら。伝統ある家筋。名族。名門。すぐれた専門家。諸子百家の一つ。論理学派。詭弁派。
革選:淘汰、選拔。by 漢典。
顧問:天子が臣下に意見をたずねきく。また、たずねられる人。
王茂之:晉陵太守王茂之,東晉驃騎將軍王廙的孫子、司州刺史王胡之的兒子。by 族訊。
謝輶:?-?,會稽郡山陰縣(今浙江省紹興市)人。南朝《宋書》載其家族和王茂之的琅琊王氏並稱「南北之望族」。晉孝武太元曾官拜中將軍。隆安二年(公元398年)任會稽內史,復請王鎮之為山陰令。任職期間,治理鑑湖,修築古塘。東晉時五斗米道領袖孫泰謀劃作亂,會稽內史謝輶首先揭發了他的陰謀,使得孫泰之侄孫恩對其極為痛恨。 by 維基百科。
望:人から仰がれること。ほまれ。名声。声望。いえがら。門望。
舅:妻の父。おじ。母の兄弟。妻の兄弟。
庾楷:4世紀-402年,表字不詳,潁川鄢陵人。東晉征西將軍庾亮孫,會稽內史庾羲子。東晉末年官員、將領,官至西中郎將、豫州刺史。庾楷曾靠附輔政的司馬道子,後卻轉而支持王恭討伐朝廷。事後依靠桓玄,後在桓玄軍中暗中為朝廷當內應,但遭揭發,不久被殺。by 維基百科。
太守:漢以後の官名。郡の長官。知事。秦の郡守にあたる。
員外:員外郎の略。定員外に設けた官の名。
散騎侍郎:さんきじろう。中国の官位である。侍中や黄門侍郎と共に尚書の奏事を代行することを職務とする。三国時代の魏・呉で設置された。 by Enpedia。
令:おさ。長官。「県令」。
績:いさお。てがら。しあげた結果。成果。
祠部郎:官名。魏晉南北朝為尚書祠部曹長官通稱,亦稱祠部郎中,資深勤能者可轉侍郎。by 百度百科。
私碑:私的に建てた碑の意か。
後昆:子孫。あとつぎ。のちの世。昆も後。
殊功異德:指特殊的功德。by 百度百科。殊功は特にすぐれた功績。 殊勲。功德は功績と徳行。
茲典:未詳。
允應:未詳。允はまこと。あたる。ゆるす。應にもあたるの意。よって対応する、相当するの意か。
道勳:道德功業。by 漢典。
光遠:廣闊長久。by 漢典。
宗推:尊重;推崇。 by 漢典。
節行:節操のある行動。貞節な行ない。信念を堅く守って曲げない言動。by 精選版 日本国語大辞典。みさお正しい行動。
高妙:技のすぐれて巧みなこと。
遺烈:前人の残した功績。=余烈。
亮采:輔佐政事。by 漢典。政治をたすける。
登庸:人材を引きあげて用いる。登用。
績用:てがら。功績。=績功・績効。
顯著:目立つ。いちじるしい。
敷化:政治や宗教などをひろめる。布教。
惠訓:恵みを教える。情ある教え。
融遠:長久;深遠。by 漢語網。
述詠:謂以詩歌形式敘述事理。by 漢典。
鐫勒:せんろく。金属や石に刻みつける。
幾乎:ほとんど。おおかた。あやうく。by Wiktionary日本語版(中国語カテゴリ)。
僭黷:冒犯=(言葉・行動に礼を欠き)相手の機嫌を損ねる,怒らせる。(法・礼を)犯す,背く。by 漢典。
華煩:中華の混乱の意か。
孔悝之銘:孔悝は春秋末衞國人。孔圉子。嗣為卿。衞出公之父蒯聵不得立,居於戚。悝母乃蒯聵之姊,潛入蒯聵於孔氏而逼悝與盟,逐出公,立蒯聵,為莊公。次年為莊公所逐,奔宋。by 百度百科。
蔡邕:さいよう。中国、後漢(ごかん)の文人、学者。字(あざな)は伯喈(はくかい)。陳留(河南省)の人。博学で天文、音楽などの学問に通じ、文章にも優れ、琴(きん)の名手としても知られた。霊帝(在位168〜189)のときに郎中(ろうちゅう)となり東観で書物を校訂し、議郎となった。175年(熹平4)馬日磾(ばじつてい)らと六経(りくけい)の文字を校定し、自ら石に刻んで太学(たいがく)門外に立てた。これを熹平石経(きへいせきけい)という。のちに董卓(とうたく)に召されて左中郎となったが、卓が誅(ちゅう)されると捕らえられて獄中で死んだ。著書に『独断』『蔡中郎集』がある。詩人の蔡琰(さいえん)(文姫)は彼の娘である。by 日本大百科全書。
制文:撰寫文章。by 漢典。
愧色:恥じる顔色。
臣吏:家来や役人。
勒銘:明の文字を金属や石にほりつける。また、ほりつけた銘文。刻銘。
取信:取得他人的信賴。by 教育百科。
刊石:刻在石上。by 漢語詞典。
真假:真偽,真実と虚偽。by 白水社 中国語辞典。
相蒙:互相欺騙;互相隱瞞。by 漢語網。
功費:工費。工程所需的費用。by 漢語網。
禁裁:未詳。
言上:目上の人に言う。申し上げる。
朝議:朝廷の会議。=廟議。
防遏:侵入や拡大などを、防ぎとめること。防止。by Goo国語辞書。
無徵:1.沒有證明;沒有實據。 2.沒有徵兆或跡象。by 漢典。1.証拠なし、実証なし。 2.兆候や兆候はありません。
茂實:才知がすぐれていること。
顯彰:功績・善行などを明らかにあらわす。
百世:非常に長い年月。のちのちの世。=百代・万世・百葉。
仰止:仰ぎ見る。仰ぎ慕う。徳を慕う。止・之は助字。
來葉:のちの世。葉は世。来世。
刺史:漢・唐時代の州の長官。
主簿:官名。記録や文書をつかさどる下級の役。書紀。
治中從事史:官名。 亦稱治中從事,簡稱治中。 隋改治中為司馬。by 中文百科知識。
毛德祖:365年-429年,滎陽陽武人。東晉將領毛寶的族人。東晉末年及南朝宋將領。曾參與平定盧循之亂及攻滅後秦,後長期鎮守虎牢,堅拒北魏入侵,但最終因不敵北魏大軍而被俘,死在北魏。 by 維基百科。
廊廟:ひさしのある堂。表御殿の意で、政治をとる所。
邊務:邊境上的各種防守事務。by 漢典。
殷景仁:いん けいじん。太元15年(390年)- 元嘉17年11月29日(441年1月7日)は、東晋から南朝宋にかけての官僚・政治家。本貫は陳郡長平県。 by Wikipedia。
洗馬:官名。もと先馬と書き、行列の先駆をする役。漢以後は皇太子付きの役人。
五廟:中国で、諸侯の太祖の廟と二昭・二穆 (ぼく) の廟を合わせていう呼称。太祖廟を中央とし、その左方の廟が昭で第2代・第4代を、また、右方の廟が穆で第3代・第5代をまつる。by Goo辞書。
內史:漢代、諸侯の国で内政をつかさどる官。
國子博士:國子は晋以後、貴族の子弟や英才を教育した学校。博士はその教授。
司徒:官名。漢代の三公(=丞相を改称した大司徒・大司馬・大司空)の一つ。
徐羨之:じょ せんし 興寧2年(364年) - 元嘉3年1月16日(426年2月8日)は、南朝宋の政治家。字は宗文。本貫は東海郡郯県。兄の徐欽之の子は徐逵之(劉裕の長女の会稽長公主劉興弟の夫で、徐湛之の父)。南朝宋の建国者である劉裕に従い、少帝の補佐を託されるが、傅亮と謀り、文帝を即位させた。 by Wiki。
大使:国または、君主を代表する最高の使者。
分遣:分けて方々に遣わす。派遣。
巡行:見まわり歩く。めぐり歩く。
通直散騎常侍:通直散騎常侍,官名。晉代設置。by 百度百科。
司徒左西掾:官名。晋朝置,司徒府僚属,掌左西曹。多以文史之士充任。南朝沿置。梁八班,陳六品。by 詞典網。
張森楷:1858年10月14日-1928年6月23日,原名家楷,字元翰,後改名森楷,字式卿,晚號端叟,民國四年後更署石親,學者稱石親先生,四川重慶府合州人(今重慶市合川區獅灘鎮),光緒十九年癸巳恩科本省鄉試第六名舉人。by 維基百科。
尚書:官名。秦にはじまる。少府に属し、詔書の発行をつかさどり、後漢には行政の最高の官となった。
三公郎:宋唯世祖世劉勰、太宗世謝緯為三公郎,善於其事,人主及公卿並屬目稱嘆。by 漢語字典。
陸子真:陸慧曉(りく けいぎょう、439年 - 500年)の父。慧曉は、南朝宋から斉にかけての官僚。字は叔明。本貫は呉郡呉県。高祖父は陸玩。曾祖父は陸始。祖父は陸万載。
史文:未詳。
脫去:取る。脱する。
建康實錄:(けんこうじつろく)は、中国魏晋南北朝時代に建康に都した6つの王朝(いわゆる「六朝」)の歴史について記述した地方志。書名は六朝の都の名前が建康であったことによる。作者は唐代(『四庫全書総目提要』によれば粛宗時期)の許嵩(中国語版)。許嵩については伝が残っていないため、詳しい事績や本書の成立の経緯は不明である。by Wikipedia。
散騎常侍:中國、朝鮮古代官名。 漢代置有散騎,屬於皇帝侍從,又有中常侍,二者性質相同。魏文帝時將散騎和中常侍合併,職務是規諫皇帝過失。晉武帝以員外散騎常侍二人與散騎常侍,稱為「通直散騎常侍」,《晉書·任愷傳》:「愷少有識量,尚魏明帝女,累遷中書侍郎、員外散騎常侍。」by 維基百科。古代の官職。侍従の別称。
豫章:よしょう。後漢末期に登場する地名である。その名はいろいろな歴史書の隅にみられるが、『蜀書』諸葛亮伝や『献帝春秋』に多くみられる。by Wikipedia。
雷次宗:らい じそう、386年 - 448年は、東晋から南朝宋にかけての学者・隠者。字は仲倫。本貫は豫章郡南昌県。 若くして廬山に入り、慧遠に師事した。学問を好み、とくに三礼と『毛詩』に明るく、隠退して世事と関わらなかった。江州に従事として招かれ、また員外散騎侍郎として召されたが、いずれも就任しなかった。438年(元嘉15年)、宋の文帝に召されて建康に入り、鶏籠山に館を開き、学生100人あまりを集めて儒学を教授した。文帝は次宗の学館に幾度か行幸し、厚く支援した。次宗は給事中に任じられたが、就任しなかった。長らくして廬山に帰った。448年(元嘉25年)、散騎侍郎の位を与えられた。また建康に召されて赴き、鐘山の西の岩の下に室を築かせ、これを招隠館と呼んだ。次宗は文帝の命を受けて皇太子劉劭や諸王たちに『礼記』の喪服記を講義した。次宗は公の門をくぐろうとせず、華林東門から延賢堂に入って授業を行った。鐘山で死去した。享年は63。著書に『毛詩序義』2巻・『略注喪服経伝』1巻・『豫章記』1巻があった。また『文集』16巻が編纂されて通行した。子の雷粛之は、豫章郡丞となった。by Wikipedia。
尋陽:尋陽郡(じんよう-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。西晋から唐代にかけて、現在の江西省九江市一帯に設置された。by Wikipedia。
陶潛:陶淵明(とう えんめい、365年(興寧3年)[1] - 427年(元嘉4年)11月)は、中国の魏晋南北朝時代(六朝期)、東晋末から南朝宋の文学者。字は元亮。または名は潜、字が淵明[2]。死後友人からの諡にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五柳先生」とも呼ばれる。尋陽柴桑(現在の江西省九江市柴桑区)の人。郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、後世には「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれる。 by Wikipedia。
法崇:祖籍中山郡無極縣(今河北省無極縣)人,寄居於南郡,南朝宋大臣,《南史·循吏傳》有載。甄法崇出身於中山甄氏。宋武帝永初年間,擔任江陵縣令,有治績。宋文帝元嘉中,累遷尚書起部郎、少府卿,出任益州刺史,入為尚書左丞。by 百度百科。
尚書右丞:印綬や紙・筆・墨、その他様々な財物を保管する倉庫を管理します。by もっと知りたい三国志 【後漢・三国時代の官職16-3】少府の属官3(尚書台)
孔默:孔默之 ?—430,南朝宋魯郡人。孔淳之弟。治儒學。為廣州刺史,以贓貨罪下廷尉,賴彭城王劉義康保持之,得免。曾注《穀梁春秋》。by 漢語詞典。
省去:省除する,省く。by EDR日中対訳辞書。
撫軍:将軍の名称の一つ。撫軍将軍。魏から隋代に冠した。
參軍:官名。軍事をつかさどる。後漢末から置かれた。
王歆之:字叔道,南朝宋河東人。晉朝南蠻校尉王愆期曾孫,光祿大夫王尋之之孫,豫章公相王肇之之子。王歆之受到宋文帝提拔,歷任南康相[《宋書》卷42:河东王歆之尝为南康相,素轻邕。]、左民尚書、光祿大夫。在任內去世[《宋書》卷92:王歆之字叔道,河東人也。曾祖愆期,有名晉世,官至南蠻校尉。祖尋之,光祿大夫。父肇之,豫章公相。歆之被遇於太祖,歷顯官左民尚書,光祿大夫,卒官。]。王歆之的作品有《始兴记》[3]和《南康記》 by 維基百科。
冗從僕射:宮中侍衞的主官。by 百度百科。
車宗:人名。『宋書』索虜伝に【竺夔夜遣司馬車宗領五百人出城掩擊,虜眾披退。】と見える。
殿中郎:官名。三國時期魏置。即殿中曹尚書郎的簡稱。也稱尚書殿中郎。西晉時隸殿中尚書。東晉、南朝多用文學之士,由左僕射或祠部尚書領之,掌擬寫詔命,亦主宮廷禮樂之事。北魏、北齊屬殿中尚書,掌宿衛殿廷。魏、晉、南朝宋官六品,梁為五班,陳四品,北魏為六品,北齊六品上。參見“尚書郎”。 by 百度百科。
駙馬都尉:ふばとい。中国の官位である。皇帝の伴走車の馬を司る事を職務とするが、この官位は次第に皇族や外戚が担当するようになる。魏並びに西晋の時代からは皇帝の娘婿の称号になった。by Enpedia。
奉朝請:古代諸侯春季朝見天子叫朝,秋季朝見為請。因稱定期參加朝會為奉朝請。by 漢典。
班宣:宣諭。by 百度百科。宣示皇帝的旨意,使人曉諭。by 漢典。
巡功:天子が諸国をまわってその功績をみること。
羣后:四方諸侯及九州牧伯。by 漢語詞典。
述職:諸侯が天子に自分の職務についての報告をする。
存省之禮:未詳。
聘覜之規:未詳。
遐邇:かじ。遠いと近いと。遠近。
長世:永世。by コトバンク。
遠年:先年。by コトバンク。
寡闇:寡昧。知識淺陋,不明事理。by 百度百科。
洪業:大きな事業。天子の事業。=鴻業。
屬承:つらなりうけつぐの意か。
在位:天子の位にいる。
夤畏:インイ。慎みおそれる。=寅畏。
治道:政治の方法。天下を治める道。
夕惕:日夜謹慎不懈怠。by 漢典。
惟憂:おもいうれう。
淵谷:深谷。by 漢典。
國俗:国の風俗・習慣。国風。
陵頹:衰落敗壞。by 漢語網。
民風:人民の風俗。民俗。
凋偽:凋はしぼむ、おとろえる、おちぶれる、いたむ。偽はいつわる、あざむく、ごまかす。
眚厲:セイレイ。災害疾疫。眚はわざわい。厲は病む。
違和:体の調和を失う。病気になる。
水旱:大水と日照り。洪水と旱魃。
庶事:いろいろな事がら。万事。百事。
思弘:未詳。
攸宜:未詳。
機務:政治上重要な事務。機密の政務。
惟殷:未詳。思うことが多いの意か。
顧循:眷念安撫。 眷念はかえりみておもうの意か。安撫は人民を安心させるように処置すること。撫は、なでしずめる。
政刑:政治と刑罰。
乖謬:そむきあやまるの意か。
誠素:1.亦作"誠愫"。 2.情愫﹔真情實意。 by 漢典。
羣心:多くの人の心。=衆心。
納隍之愧:故事のごとし。
歲時:歳は一年。時は四時(=春夏秋冬)。
多難:災難や困難が多い。=多罐。
未壹:沒有統一。by 漢語網。
卜征:占卜天子巡狩之吉凶。古帝王五年一巡狩,先卜問吉凶,再決定出巡。by 教育百科。
氓庶:百姓。by 漢典。庶民。
攸恤:両字ともうれえる。
周行:めぐり行く。あまねく行きわたる。
官長:役人の長。長官。
親見:親しく見る。実際に自分が見る。
至誠:この上ない真実な心。
申述:もうしのべること。
治要:国を治める要点。政治の要。
吏政:官吏的政績。by 漢語網。政績は政治上の功績。治績。
民隱:人民の苦しみ。隱は痛。
訪求:たずね求める。
操行:行い。素行。品行。
旌舉:表彰舉薦。by 漢典。旌ははた。あらわす。あきらかにする。表彰する。
存問:安否をたずねる。見舞う。慰問。
申令:命令、號令。by 漢典。
禮俗:礼儀作法と風俗習慣。
得失:得ることと、失うこと。得と損。利と不利。利害。長所と短所。成功と失敗。良いことと悪いこと。
周典:指《尚書·周書》。by 百度百科。
條奏:箇条書きして上奏する。by コトバンク。
昭然:あきらかなさま。 すみきって明瞭なさま。by コトバンク。
親覽:高貴の人が直接自分で見ること。特に天子がみずからご覧になること。宸覧。天覧。上覧。叡覧。by コトバンク。
大夫:一般に官位にあるものをいう。
君子:徳の高いりっぱな人。道を修め学問に志す人。政治にたずさわる人。在位者。君主。
敬事:事をつつしんで行う。うやまって仕える。
遠圖:=遠籌。遠い先のことまで考えるはかりごと。遠算。遠謀。
咨謀:他に問はかる。
中誠:どちらにもかたよらないで、正しいこと。公平。官名。地方で人材の登用をつかさどる。
謹言:つつしんで申し上げる。
隱遺:未詳。
良規:有益的規諫。好的規範﹑準則。 by 漢典。
敬納:未詳。
下濟:指君王施恩惠于臣下百姓。by 漢語網。
光明:大いに明らかにする。輝かす。
君德:人主的德行或恩德。by 漢語詞典。
廣運:広くゆきわたる。
先哲:昔のすぐれた人。先賢。
因心:謂親善仁愛之心。by 漢典。
溥被:普遍被覆。by 漢典。
文思:天下を治める偉大な能力があって、思慮深いこと。一説に、文章と意思。
時雍:天下太平的景象。調和。by 漢典。
自洽:自相一致的。by 漢典。自己矛盾のない。by Google翻訳。
江漢:揚子江(長江)と漢水。
美化:うるわしい感化。
大哉之休:
周之盛則:未詳。盛則は美好的法則。 by 漢典。
廓造:未詳。
神叡:神明聖哲。by 百度百科。神々と賢者。
玄通:謂與天相通。暗中相通。by 漢典。
道契:以道相結交。by 漢典。
曠代:前所未有,當代無可比擬。by 漢典。前例のない、現代では比類のない。by Google翻訳。
冕旒:冕,禮帽。旒,禮帽前後端垂下的穿玉絲繩。冕旒是古代最尊貴的一種禮帽,平頂。天子的禮帽有十二旒,諸侯以下遞減。by 漢典。
華堂:拼音:huá táng釋義:1、正房,高大的房子。2、後泛指房屋的正廳 。堂前為堂,堂後為室。後世泛指正屋。因為在一些房屋喬遷對聯中經常出現華堂,所以特搜集有關資料編輯“華堂”一詞“華堂”就是華麗的堂。 華堂範圍很廣,可以指殿堂,有一定規模的建築,以及一般家庭的正屋大廳 。 by 漢語詞典。
八表:八方の遠いはて。全世界。
垂心:未詳。
敬敷:未詳。
明揚:公開張揚或宣揚。舉用;選拔。by 漢典。
下民:しもじもの民。人民。
清問:質問。
鰥寡:妻を失った男と、夫を失った女。by Goo辞書。
渙:あきらか。美しいさま。盛んなさま。
周爰:未詳。
四達:道が四方に通じていること。また、影響などが四方に及ぶこと。四通。Goo辞書。
遠猷:遠い将来までの計画。遠謀。
雅:文字の意味を解釈した書物の名。「爾雅(じが)」。
誥:「書経」の典謨以外の八編の総称。
惠訓:恵みを与えて教えること。慈しみ教えること。または、情け深い教え。by Goo辞書。
遐陬:都から遠く離れた片田舎。僻地。by Goo辞書。
率土:“率土之濱”之省。謂境域之內。by 漢典。天下中。国中。率はすべて。
仰詠:仰はあおぐ。詠はうたう。ながめる。
謳吟:歌をうたう。天子の仁徳に心服して、ほめたたえる。
踊躍:こおどりする。喜んでとび上がる。喪のとき、家族や弔問者が哀悼の意を表しておどり泣く動作。
皇風:天皇の仁政。天子の徳。by デジタル大辞泉。
式銘:規則に則り刻むの意か。
扶老:老人をそばから、いたわり助ける。老いの身を杖で支え助ける。
攜幼:幼子の手を引くの意か。
路左:みちゆきをたすけるほどの意か。
稱歡:たたえよろこぶほどの意か。
亭毒:そだて養う。毒は治。➔亭育。
千載一時:千年に1度だけ機会がある,千載一遇である。by 白水社 中国語辞典。
謬蒙:謬はあやまり。蒙はくらい。
銓任:銓は、人物をはかりしらべる。銓考。
顯列:高位。by 漢語網。
短乏:猶貧乏。by 漢語網。
聖旨:天子の考え。天子の心。天子の命令。
宣暢:1.宣揚;傳布。 2.舒散;抒發。 3.流暢。by 漢典。
肅明:未詳。
風化:徳の力で感化されてよくなる。人民の風習に応じて教育する教え。風教。それとなく遠まわしにさとして感化する。
黜陟:ちゅっ‐ちょく。功の有無により、官位を上げ下げすること。ちっちょく。
序:順序。
搜揚:訪求舉拔。by 漢典。
寡聞:見聞が狭いこと。
慚懼:恥ずかしく思って恐れること。by オンライン国語辞典。
屏營:さまようさま。不安でうろうろするさま。おそれるさま。
隨事:そのときどき。おりおり。その場に適応して行動する。
牒:公文書。回状。他の官庁への通知書。「通牒」。辞令。任命書。
癸卯詔書:
周典:周代的典章制度。 指《尚書·周書》。by 百度百科。尚書は「書経」。周書は「書経」の周代のことを記した部分。
奉使之義:未詳。
中書:官名。詔勅や宮中の文書をつかさどる。漢代に始まる。
侍郎:官名。天子のそばに仕える役。秦・漢時代には黄門侍郎といい、宮門の守護や、行幸の護衛を司った。
大中正:九品官人法において、この法は官僚を最高一品官から最低九品官までの9等に分類する(これを官品と呼ぶ)。同時に郡ごとに中正官と呼ばれる役職を任命し、管内の人物を見極めさせて一品から九品までに評価する(この人物への評価を郷品と呼ぶ)。後に中正官は司馬懿により郡の一つ上の行政区分である州にも置かれるようになり(州大中正。郡ごとの中正官は「小中正」と呼ばれた)、これが後に述べる貴族層による支配を更に強固なものとしてゆく。この制度では中正が非常に大きな役割を占める事から、この制度を九品中正制とも呼ぶ。 by Wikipedia。
鳩集:あつめる。
增廣:增加擴大。by漢典。
既成:すでにできあがっていること。
奏上:天子に申し上げる。=上奏。
百姓:多くの役人。百官。多くの人民。庶民。
勤恤:ねぎらいいつくしむの意か。
吏民:役人と人民。官民。
通直為常侍:張森楷の校勘記によれば通直散騎常侍の誤。
尋出:あちこち捜して見つけ出す。捜し出す。たずねいず。たずねいだす。by コトバンク。
南琅邪郡:中國古代的郡。東晉大興三年(320年)僑置琅邪郡,初無實土。咸康元年(335年),桓溫為太守,分江乘縣地立郡,治所在金城(今江蘇省句容市北)。轄境約相當今南京市雞鳴寺以東,龍潭以西,北至大江地。屬徐州。劉宋永初二年(421年)改為南琅邪郡。南齊永明六年(488年)左右[《南齊書》卷四十·列傳第二十一]時,徙治白下城[《南齊書》卷十四·誌第六·州郡上:「南琅邪郡本治金城,永明徙治白下。」][《南齊書》卷十四·誌第六·州郡上:「南琅邪郡本治金城,永明徙治白下。」](在今江蘇省南京市)。下轄五縣:臨沂縣、江乘縣、蘭陵縣、承縣(建武三年省)、譙縣(建元二年,平陽郡流民在臨江郡者,立宣祚縣,尋改為譙。永明元年,省懷化一縣並屬)。陳太建十年(578年)罷南琅邪郡,置建興郡[南京市地方誌編纂委員會. 南京市志(第1冊)總述·大事專記·地理·人口·環保. 北京: 方志出版社. 2009]。by 維基百科。
殷景仁:いん けいじん。太元15年(390年)-元嘉17年11月29日(441年1月7日))は、東晋から南朝宋にかけての官僚・政治家。本貫は陳郡長平県。 by Wikipedia。
致仕:辞職する。官職を君主に返す意。
中散大夫:中國古代官職。漢時有中散大夫,屬光祿勳,秩六百石。中散大夫在漢時屬於皇帝從官的行列。無固定員額,也無固定職事,有時承擔傳達聖旨的任務。後隨著散官系統的發展,轉變成只有秩祿沒有職務的閒官,多作為加官。較為著名者有曹魏時竹林七賢中的嵇康,世稱嵇中散。by 維基百科。
國子博士:學官名。晉武帝咸寧四年(公元278年)立國子學,始立國子博士,始置一員,限取履行清淳,通明經義者擔任,如散騎常侍、中書侍郎、太子中庶子以上,乃得召試。
太中大夫:たいちゅうたいふ。中国の官位である。光禄勲府に属し、皇帝の諮問に答えることを職務とするいわば皇帝の顧問役である。三国時代には全ての国家で設置された。 by Enpedia。
何承天:中国の南北朝時代の天文学者、数学者、思想家。東海郯(とうかいたん)(現在の山東省郯城県)に生まれる。劉宋朝(りゅうそうちょう)に仕えた。義父の観測記録と彼自身の観測に基づき、それまでの景初暦(魏(ぎ)の明帝が制定し約200年使われた)のずれを指摘して、新たに元嘉暦(げんかれき)を443年に上奏した。元嘉暦は445年から509年まで用いられた。当初、日月食と朔望(さくぼう)のずれを修正するために月の運行の不等を取り入れる定朔を提案したが採用されなかった。元嘉暦の一番の改良点は調日法である。調日法とは実数を有理数で近似する方法である。1か月の長さを計算して日の端数を分数で表すときに、観測値を二つの分数、強率(大きいほう)と弱率(小さいほう)で挟んで観測値に近づける方法を考案し、1か月を29+(399/752)日と計算した。また宋の国書(のちの『宋書』)の編纂(へんさん)にも携わったが、生前には完成できず、弟子たちが作業を引き継いだ。by 日本大百科全書(ニッポニカ)。