丸山晋司「40年目の再検討」

ーー季刊『邪馬台国』18号(1983年冬)所収 所功氏「まぼろしの“九州年号”」に寄せてーー


当ページは古代史研究家にして特に私年号(逸年号、九州年号)について造詣の深い丸山晋司氏が、標記所功氏論文にかかる一稿を認めた往時を振り返り、現在の認識を当該稿を再読しつつ、2023/1/6~1/7、twitter上に連投したものの集成である。氏の快諾を得て拙サイトに公開することとしたが、引用関係よりも時系列を優先して表示してあるので、その点を踏まえて読んでいただければ幸いである。丸山氏の吐露を味わう一助とすべく、氏の2019年5月26日のツイートを参考のため以下に掲げておく。
手前味噌になるが、所功氏の『二中歴』紹介(月刊邪馬台国)を経て、わたしは旬間誌『季節』に『二中歴』論を書いた(現鹿砦社社長松岡氏の肝入り古田武彦特集)。古代年号群はここまで(平安朝後期まで)遡り得るんだよということだったが、古田氏はそれを拾って「九州王朝文書」としてしまった。
午前10:29 · 2019年5月26日

(連ツイです。)
午前10:38 · 2023年1月6日

まずわたしが「大チョンボ」を犯していた↓ ことに「気付いた」原田実(@gishigaku
)氏の文章をもう少し引用させて戴きたい。

(『幻想の多元的古代』35〜36ページにて、『二中歴』成立年が鎌倉期初頭であることに間違いないことが縷縷説明されたあと。)→
人の文章を書き写すことでようやくその意味を掴むことがある。
令和5年1月4日、わたしは原田実氏『幻想の多元的古代』の一部を読み返し書き写すことで、自身の大チョンボを「発見」してしまった。
鹿砦社『季節』における所功氏への「『二中歴』論大批判」はなんだったのか。
そうなんですさ。わたしも読み返してみて、「古代年号群」部分が鎌倉後期に付加された可能性にも気付かされました。わたしは『掌中歴』にあったものと思い込んでいたのですが...。
午後11:28 · 2023年1月4日
午前3:54 · 2023年1月5日
午後7:04 · 2023年1月6日

「しかし、本文が鎌倉初期に成立したものだといっても筆写時の加筆がなかったとは必ずしも言い切れない。たとえば、書写時に、新しい時期の註文がまぎれこむといったようなことは古写本の場合、しばしば起こりがちなことではないだろうか。」と「当たり前」なことが書かれている。
これをわたしは、→
午前7:50 · 2023年1月7日

「年号部分」も例外ではなかろうと受け止めた。
それと、このスクショ部分↓。わたしは自分の本でも「尊経閣文庫本」は「鎌倉後期書写」と書いていたのにそのことをすっかり忘れていて、所氏の「(異年号部分が)出揃った時期は、もう少し古く鎌倉末期ころとみて差しつかえない」の言を批判していた。

午前8:34 · 2023年1月7日

所功氏の「差しつかえない」の後ろには「けれどもそれ以上に遡るのはむずかしい」とあって、わたしは、その部分を「勝手にむずかしいとしてはならない」と批判していたのだったが、史料状況から考えるならば、この時、「異年号が作られた時期は平安中期から鎌倉後期まで」と規定しても良かったのだ。
午前10:18 · 2023年1月7日

(二つ上で枝別れ)
午前10:20 · 2023年1月7日

と言うのは、所氏は(1)から(31)の(異)年号が「平安中期」の『掌中歴』や『懐中歴』に書かれていたなら、「手」ないしは「心」の注記がされているはずとまで宣言↓ しておられたから...。→

午前10:49 · 2023年1月7日

この、「手」ないしは「心」の注記があるはずとの宣言は、わたしには「必ずそうなっている」というニュアンスでの宣言と思われる。
そうならば、所氏を批判するものは、『掌中歴』や『懐中歴』から引き継がれているのに(注記なしに)『二中歴』の中にあることもある事実を探し出せば良かったはずだ。

午後1:05 · 2023年1月7日

当時のわたしだが、所氏はそう宣言しているけれど、「注記のない二歴からの引用例」はあるに違いないと簡単に考えていた。
考えていたと言うより、所氏がそのような宣言をしていたことを「簡単に」忘れていた。
気分が、「異年号群」を出来るだけ古く遡らせたいというようになっていたのだ。
午後1:17 · 2023年1月7日

それでわたしは、今でも↓ このようなこと(異年号偽作の契機は、治承年頃にあった)を思っていて良いように思うのだが、それはどうだろうか?
何故なら、所氏も(必ず)「手」「心」の注記があったとするなら、顕著な凡例を示し「これこの通り」とやらなければならない。
したがって、(「古代年号」の偽作には)それ相応の政治的契機が必要と思われるに加えて、鎌倉期初頭成立の『二中歴』の史料態様を加味することで、それらは治承年頃の二年号並立時代に偽作されたものと規定しておきたい。
午後2:03 · 2022年5月7日
※hyena注)以下はスレッドを参照されたい。
午後2:37 · 2023年1月7日

所氏が↓ のようなことを宣言しても、それは事実かどうか分からない。
ましてや素人読者がなるほどと、すぐさまそのように思う訳にはいかないはずだ。
この場でいきなり「手」や「心」の注記があるはずと言われても俄には納得出来ない。
そのような分析論文を示すべきではないのか。

午後2:45 · 2023年1月7日

他方、「異年号偽作時期」を古く持っていきたいもの(←わたし)、古代にそのまま実在したと思いたいものは、努力して、所氏の宣言を否定すれば良いということになる。
まあそんな均衡状態の中にいるのかなとは、思うところとなってしまった。

午後2:53 · 2023年1月7日

此処で一つの史料名を紹介しておきたい。
宮内庁書陵部所蔵の『本朝皇代記』というもので、わたしの本(289頁など)で1256年前後成立(高野山金剛峯寺古本の写本)とされているが、宮内庁で実見しコピーも貰っているはずだが手元には無い。
愛知のさる方に上げてしまったから...。
午後3:41 · 2023年1月7日

こうなってくると、素人には何も分からないのだが、『皇代記』と呼ばれる文献は無数に残っている。その名前の付く文献には何かの共通点があるのか無いのか。
「異年号」を持っているのもあれば無いのもあり、記述が複雑なものもあればそうでないものもあったような気がする。
学者が自分の知り得た→
午後3:50 · 2023年1月7日

『皇代記』について論文を書いていても、それと他の『皇代記』と関係するのかしないのか。
恐らくしないと思うのだがそういうことすら分からない。
他にも『年代記』というのも多数で、『皇代記』と史料状況は同じだ(ったと思う)。
要するに分からない。
午後3:56 · 2023年1月7日

で、何故『本朝皇代記』を紹介したかと言うと、成立年代が鎌倉中期だからで、書陵部のは何年書写のものか記録しなかったから分からない。
その「皇代記」は「異年号」を搭載していたのだが、成立時点でどうだったかは分からない。
でも「普通は」写本に「異年号」があれば成立時点もそうと思いがち..。
午後4:07 · 2023年1月7日

この点、『水鏡』は原本がしっかり伝わっており(多分)、途中から「異年号」が付け加えられていく経過を明らかにすることが出来る。
『水鏡』・古活字本(註五)『水鏡』の年号立てはこのようにして生まれたものであるから、後代になって何故このように書き変えられたかという、中世知識人の思考過程をさぐる以外には、何の史料価値もないということになろう(それゆえ、わたしは、巻末の「異同対比表」から『水鏡』を削除したので
午前11:40 · 2020年6月21日

ある)。(今の註:ちょっと書き過ぎと思っている。)
〔註五〕『逸号年表』に古代年号をもつ古活字本が存在するとされているものの、そのような『水鏡』古活字本は存在しなかったのではなかろうか。もしそれが存在したのなら、静嘉堂文庫内の藤原旧蔵本群のなかにそれが現存していても良さそうな
午前11:48 · 2020年6月21日

ものではないか。わたしは藤原の書くことに一部うたがいをもっている(第Ⅶ章。また、竹居明男「藤原貞幹の古代研究」『考古学の先覚者たち』もそのようである)。
わたしは『市民の古代研究』1987年5月号において、藤原貞幹『好古日録』(十九、活字水鏡)の"御厨子所預ノ家所蔵ノ水鏡、活字本也。
午前11:57 · 2020年6月21日

其文、印板ノ水鏡ト大異同アリ。水鏡ノ原本ナラム。印板ノ水鏡ハ、後人猥ニ日本紀ニ拠テ取捨シタル所有トミユ。”を引き、この活字本が先の古代年号をもつものと想定していたのであったが、静嘉堂文庫の“御厨子所預ノ家所蔵”の奥書をもつ活字本には古代年号が見られなかったので、右のように訂正して
午後2:36 · 2020年6月21日

おきたい。(引用終わり)
以下、「文中外の参考文献」、「『水鏡』各種写本所収古代年号対照表」を挙げているが省略する。
午後10:10 · 2020年6月21日
※hyena注)以下はスレッドを参照されたい。
午後6:00 · 2023年1月7日

『三国合運』というものも、『神皇正統記』を北朝側から見て書き直し、それに三国(日本・インド・中国)の歴史を合わせて年表にしたものであるから、来歴ははっきりしている。
後代になり(写本が)建仁寺塔頭の如是院に所蔵され『建仁寺年代記』とも「言われ、」
③『三国合運』は、『三国一覧合運』をさらに抄記した年表で、特徴として31の古代年号群を記事の中に採り入れ朱書している。本文の中に扶桑略記型の年号を持ち、並行して古代年号群を大きく挿入しているのである。
東大史料編纂所に『三国合運』(柏木貨一郎所蔵本の写し)がある。
午後8:53 · 2015年11月5日
※hyena注)以下はスレッドを参照されたい。
午後6:14 · 2023年1月7日

(塙保己一に発見され)『如是院年代記』として『群書類従』に収録されたのは、わたしだけが言う「事実」である。

このような史料状況下にあって、わたしが、なお、「異年号が群として偽作されたのは治承のころではないか」と言えると思う理由は、→
午後6:32 · 2023年1月7日

もちろん、↓ のような考えもあるからだが、それだけでは弱く、それに付け加えて「31の異年号の原形問題」がある。→
午後6:35 · 2023年1月7日

失敗した。
上のツイの冒頭に「言われ、」の語を入れて下さい。🙏
(上で枝別れ)
午後6:44 · 2023年1月7日

また、「事実」というのは言い過ぎで、『建仁寺年代記』を『和漢合運』と決めたのはわたしです(と思う←何かヒントを読んだかも知れない)。(わたしの本では、字面と共に)キチンとした理路は書いているつもりなのでご批判戴ければ幸いです。
午後8:39 · 2023年1月7日

「原形問題」というのは、古田氏熱烈応援者以外は「継体年号」などを持つ『二中歴』が(「偽作されたもの」としても)「原形」とは誰も思わないでしょ、というところから始まります。
その他に、『日本書紀』が686年を「朱鳥」とするところに「大化」を持ってくる史料がベラボーに多い。これは何か。
午後10:29 · 2023年1月7日

とにかくこれは、『二中歴』の書写者が鎌倉後期に思いついて其処へ書き込んだというテイのものではないはずで、少なくともの二系統の年号群が(偽作であったとしても)長い空間を漂っていた問題ではないのだろうか? どの程度の「空間の漂い」を想定するのが正しいのかは分からないが、所氏の宣言に→
午後10:38 · 2023年1月7日

無理があるとの想定が可能なら「異年号群」は『掌中歴』に書かれていたと言いたいところへ戻ってしまう。
とまあ、こんなもんです。
@hyena_no
さま。
後、所氏がいろいろ書かれていることで「不記年号問題」があると思いますが、これはもう(より)決着が付きそうに思えません。
午後10:49 · 2023年1月7日

【追補】所功氏は、後代写本=実暁本で論じていたので、尊経閣文庫本を知らないのかという「素人風」の驕った気分になって、『季節』所収論文を書いていた。(終わり)
まあ、実暁本で論ずるのでは、いろいろ見誤るところがあったと思う。
午後0:40 · 2023年1月8日