『冊府元亀』朝貢一の「八年」について

twitter上で、kensyou_jikenbo氏が、佐伯有清氏の『魏志倭人伝を読む 下』180頁の『冊府元亀』朝貢一の「八年」という記述を引かれ、私へ質問を向けられたので、以下のごとく返信した。まずは、佐伯氏の記述を引用しておく。同書180頁から181頁にかけてである。ママを含むルビは省いた。
倭の大夫掖邪狗らの派遣

正始四年(二四三)、魏に遣わされた掖邪狗が、同八年(二四七)に倭に派遣されてきた塞曹掾史の張政らが帰るのを帯方郡に送るために、ふたたび渡海することになり、帯方郡から、さらに足をのばして魏の都洛陽に使いした。
この遣使の年代は、倭人伝に記されていないが、正始九年(二四八)ころとみられている。ただし『冊府元亀』外臣部、朝貢一は、正始八年のこととし、「八年、倭国女王一與、大夫掖邪狗等を遣わす。臺に詣り、一に男女生口三十人を献じ、白珠五千枚、青大句珠二枚、異文雑錦二十匹を貢す」とある。なかには、この遣使は、『晋書』武帝紀などにみられる泰始二年(二六六)の遣使に対応するものとみる指摘がある。しかし、掖邪狗ら二〇人の遣使は、帯方郡の塞曹掾史張政らの帰国を送るのにあわせてのものであったから、張政らが、正始八年の派遣から泰始二年までの一九年間も、倭国に滞在していたとは考えられないであろう。
kensyou_jikenbo氏のツイートによれば、渡邉義浩氏も「同様の見逃しのようです」とのこと。氏の『魏志倭人伝の謎を解く』は読んだが、その点についての記憶は残っていない。尚、「一に男女生口」とあるが、『冊府元亀』の原文はこの通りである。これは『魏志』の「獻上」の「上」の誤であることは言うまでもない。
午後10:05 · 2020年3月24日
kensyou_jikenboさん、早速佐伯書の効果が出ましたね!
>『冊府元亀』は信頼できる資料と見て良いのでしょうかね?
考え方次第ですね。どういう意味かと言うと、『三国志』や『後漢書』などから何百年も経て編纂され、しかもそれら先行史書を引いているのですから、〝新たな情報〟という意味では?
午後10:13 · 2020年3月24日
ただ、今日我々が見る刊本よりは早く成立し、流布しているのですから、微妙な字句の相違点について校勘の対象にはなります。問題の「八年」ですが、これを張政帰還の年次と解釈するのは失当だと思います。碩学の言うことに逆らうようですが、間違いないでしょう。
午後10:17 · 2020年3月24日
どうして、そんな自信たっぷりに言えるか?そもそも『三国志』から700年以上も経った11世紀初頭に、張政の帰還についての新たな情報が『冊府元亀』に取り込まれたと考えるのは難があります。『冊府元亀』外臣部の倭に関する記事は、正史などおおよそ周知の史書から引文しています。
午後10:24 · 2020年3月24日
では、「八年」の記事はどこから来たか?同じ倭人伝の「六年」の記事に続く「其八年」から来ているんですね。現行の『魏志』では【太守王頎到官】と続くんですが、「太守」以降【政等以檄告喻壹與】までの長文が欠落し、「八年」がその後の【壹與遣倭大夫率善中郎將】につながってしまってるんです。
午後10:29 · 2020年3月24日
その欠落した部分をお読み頂けばわかるかと思いますが、狗奴国とのこと、卑弥呼の死と大作冢、男王立てるも国中不服、壹與の共立、、、と様々な事態が出来しています。その部分が「朝貢一」では抜け落ちています。では、その間の諸事態について『冊府元亀』に記されていないか?というとそうではなく、
午後10:35 · 2020年3月24日
卑弥呼の死、男王立つも国中不服、壹與共立については「継襲」に、書かれてあります。しかし、『魏志』からの引文ではなく、『梁書』あるいはほぼ同文の『北史』からの引文となっています。以上を要するに、張政の帰還を「八年」とするのは『冊府元亀』に囚われすぎた早計だと言えます。
午後10:40 · 2020年3月24日
その、何よりの証拠に、佐伯氏の180頁の引用中に〝送政等還〟の訳文が有りませんよね?壹與が掖邪狗らを遣わしたときに、張政を送っていったことは『魏志』によれば正しいのでしょうが、引用するに闕文の多い史料を取り扱う際には、引用元の原文との校合が必須だと思います。
午後10:42 · 2020年3月24日
いくら高名な碩学と言えども、一字一字文献の文字を地道に追いかけて来た人間の〝眼〟には及ばない部分もあるんだろうと思います。
午後11:18 · 2020年3月24日
ですから、張政の帰還を泰始二年に求めるのも、即・却下!とはいかないでしょう。同様のことが『通典』でもありました。『通典』の記事は、主に正史からの文をつなぎ合わせて成文しているんですが、そのつなぎ合わせた文を、ひとつながりの文として読んだのですね。
午後11:42 · 2020年3月24日
>実際に「晋書」にここまで詳しく書かれているとしたら
『晋書』は倭人伝が乏しいので、あまり注目されませんが、重要な情報満載のようですよ。当然、司馬宣帝司馬懿から説き起こされていますので、すらすら読めれば、かなり大切な歴史的経緯が理解できるんでしょうが、、、
午後11:48 · 2020年3月24日
そうそう、あんまり注目されませんが、『晋書』宣帝紀魏正始元年春正月に【東倭重譯納貢】って記事がありますね。「東倭」って何でしょう?「倭」のことだとしたら『魏志』の正始元年記事と整合性は?