「九州年号」についてのある日の連投ツイート

九州年号についての素朴な疑問

所謂「九州年号」については、古田武彦氏がその著『失われた九州王朝』で採り上げて以来、九州王朝説支持者の中では九州王朝の存在を裏付ける史料だとの底堅い認識がある。

かつて鶴峯戊申が『襲国偽僭考』の中で「九州年号」という言葉を用い、「九州年号と題したる古写本」の存在を示唆している(前掲書p386-)。

この「九州年号」は所謂逸年号・私年号と言われるもので、久保常晴『日本私年号の研究』、丸山晋司『古代逸年号の謎』など、深く掘り下げられた研究も既出だが、それでも九州王朝の存在を裏付けるものだとする主張もネット上などに絶えない。

二氏の研究レベルとは月とスッポンだが、愚生としても九州年号説については素朴な疑問を持っており、折に触れてツイートすることもある。2022/7/23、それについてたまたまツイートを連投したのでそれらをまとめて1頁を作成し公開することとした。
『歴史読本 2008年1月号 日本の年号』p87に東野治之氏の調査について遠藤慶太氏が紹介。

光背銘文が蝋型によって本像と同時に作成されたことを主張している(「法隆寺金堂釈迦三尊像の光背銘」、『日本古代金石文の研究』岩波書店、平成十六年)。
法隆寺釈迦三尊像光背銘

光背銘を最近実見・調査された東野治之氏は、仏像が作られたあと、後代の人が鐫刻したとはとり難く、仏像が一通りできあがった段階で施された鍍金以前に刻字されていることなどから、仏像製作時に刻み込まれたことが確実である。
午後1:37 · 2021年4月28日

古田氏は法隆寺金堂釈迦三尊像の光背銘が九州王朝のものだ!と仰ってましたよね?『古代は輝いていたⅢ 法隆寺の中の九州王朝』でしたか。1985年刊です。
「平成十六年」なら古田氏はまだご存命中。何か反応があったのでしょうか?
午前11:53 · 2021年7月23日

古田氏の『古代は沈黙せず』p292

これはこの「法興」が近畿天皇家中の天皇の凶事(崇峻の殺害)と全く無関係に使用されていたのと、きわ立った対照をなしている。この点からも、「法興」が近畿天皇家内の年号ではなく、九州年号の一つと見なすべき斉合性は、これを疑うことが出来ない。
午後1:20 · 2021年7月23日

同書は1988年刊。1998年の『失われた日本』では「法興」に触れていないようですね。
午後1:34 · 2021年7月23日

所氏は前掲書p19で、

ところが、古田氏はこの『二中歴』にまったく言及しておられない。

と書いていますが、掲示板時代に同様なことを仰ってた方がおられたように記憶します。確かに第2書p391(『古代は沈黙せず』p291再掲)には『二中歴』が取り上げられていません。

これまたどこかで触れてる?
午後1:47 · 2021年7月23日

「九州年号」関係史料:
掌中歴、懐中歴1124-30(二中歴の藍本)
二中歴 1318-1339
和漢年代記1381-1384
麗気記私抄1401(F)
海東諸国紀1471(F)
如是院年代記1570+(F)
襲国偽僭考1820(F)

所功『年号の歴史〈増補版〉』より。(F)は古田氏の一覧表在中。
午後6:09 · 2021年7月23日

『古代は沈黙せず』p310から伊予温泉碑の「法興」を取り上げます。p291の表中に細かく「別系列の一説をあぐ。」として「伊予風土記」に「法興」年号があることを注記していますが、温泉碑詳述の個所では、同時期に別系統の年号群が存在することには言及していないようですね。
午後6:53 · 2021年7月23日

碑文中の「法王大王」「恵総法師」「葛城臣」について、いずれも聖徳太子に因むものではないと述べます。

推古紀では「恵総」ではなく碑文の「慧慈」と異なる。崇峻元年に「恵総」が見えるが聖徳太子との類縁が無い。崇峻四年の葛城烏奈良臣も大将軍で格別〝聖徳太子の類従者〟とは見られない、と。
午後7:01 · 2021年7月23日

『日本書紀』推古4年(596)11月 法興寺造竟、則以大臣男善德臣拜寺司。是日、慧慈・慧聰二僧始住於法興寺。

この年は法興六年にあたりますし、記事中「法興寺」も。何より「二僧」の一人「慧聰」は温泉碑の「恵総」を思わせませんか?「総」は旧字体で「總」。糸偏と耳偏の違い。「慧」「恵」は通用。
午後7:09 · 2021年7月23日

葛城烏奈良臣は用明2年(587)7月に見える「葛城臣烏那羅」のことでしょう。物部守屋大連を亡ぼした際に、蘇我馬子が廐戸皇子を含む諸皇子、群臣を集めて謀議した席に顔を連ねていました。

古田氏の言われる「格別〝聖徳太子の類従者〟とは見られない」というのはいかがかと思いますね。
午後7:22 · 2021年7月23日

それより「葛城臣」が九州王朝の人間か?という疑問を想定したのか、またぞろ地名漁りに奔っています。p312

これに対し、「和名抄」によれば、
葛木郷―備前、赤坂
葛木郷―肥前、三根〈加都良木〉
というように、「葛城」と記しうる地名は、大和以外にも存するのであるから〈続く〉
午後7:26 · 2021年7月23日


これもまた本碑文中の「法王大王」を聖徳太子と同一視する証拠とはなりえず、むしろ〝この法王大王は聖徳太子ならず〟という、一種の示唆を与えるものである。〈引用終わり〉

は?じゃ、九州王朝に「恵総」だの「葛城臣」だの言う人物がおられるとでも?
午後7:29 · 2021年7月23日

p312-313から引用します。名文ですが、、、

この点、もっとも重要なるべきは、〝聖徳太子の伊予温泉巡行〟記事など、推古四年項はおろか、全「日本書紀」中、一切皆無の事実である。もしこのような巡行が事実であれば、なにゆえこの種の華やかな記事を割愛することがあろう。〈続く〉
午後7:38 · 2021年7月23日


当然、伊予温泉に至り着くためには、その前に、瀬戸内海の各地に寄港せざるをえず、その一つ一つは、当然、きらびやかな聖徳太子寄港記事の記載として書紀を飾るべきではあるまいか。〈続く〉
午後7:39 · 2021年7月23日


そしていわゆる「葛城臣」や「恵総」以外にも、この巡行に〝動員〟された大和の宮人や現地各地の人々の記憶は鮮明であろうから、百余年にしてたやすく忘れ去られるはずはない。〈続く〉
午後7:39 · 2021年7月23日

そして舎人親王以下、近畿天皇家のフル・メンバーの念頭から、きれいにその事実が拭い去られるにしては、百余年の時間は、あまりにも短すぎるのである。

 このようにしてみれば、ここでも「法王大王=聖徳太子」という等号は、ついに拒否されざるをえないであろう。〈引用終わり〉
午後7:40 · 2021年7月23日

「もしこのような巡行が事実であれば、なにゆえこの種の華やかな記事を割愛することがあろう。」って、『書紀』にそんな「華やかな」「巡行」記事があるんですかね?もちろん私は『書紀』全体を知悉しているわけではないのでとっさには浮かびません。

古田氏はそのような「巡行」記事を挙げるべし。
午後7:43 · 2021年7月23日

「きらびやかな聖徳太子寄港記事の記載として書紀を飾るべき」に類する記事の幾つかでも『書紀』の中から列挙し、それに比して聖徳太子の伊予巡行が記されていない!というのであれば、傾聴に吝かでもありませんが、、、

実体の無い美麗修辞は痛々しくさえ感じられます。
午後7:45 · 2021年7月23日

似たようなことは『隋書』裴清の道行き文についても言ってました。裴世清が畿内ヤマトを目指したのなら、瀬戸内海や大和三山が書かれて然るべき、みたいな。阿蘇山は書いてある!とか。

瀬戸内海とか大和三山なんて中国人には珍しくもないでしょうに、、、無意味な言辞を弄する。
午後9:38 · 2021年7月23日

ヤマトの話にはしこたまケチつけるのに、九州王朝には何の史料的根拠もないことには口をつぐむ。いかにも自分の主張に正当性があるかのごとく、、、でも、何にもないんですよね。

それに「法興」って同時期に別の九州王朝の年号群が存在してた!なんじゃらほい!
午後9:42 · 2021年7月23日

p313に書いてあることが面白い。

伊予温泉碑
天寿国繍帳
法起寺露盤銘
上宮聖徳法王帝説
法隆寺伽藍縁起并流記資材帳
等が「実は聖徳太子に仮託された「法隆寺伝説」成立史上の初期造作物であったことを追証できたのである。」

へえ?それで九州王朝との関係は?
午後9:49 · 2021年7月23日

p317では、多利思北孤を持ち出して、

〝年号をもたぬ天子〟などという概念が果して実在するであろうか。

と。それを調べるのが古田流でしょうに、、、中国正史中から天子の用例を拾い上げ、全て年号を持っていることを実証すべし。その上で、上掲のごとく謳うべし!
午後10:11 · 2021年7月23日

参考にはならないかも知れませんが:
『隋書』突厥伝【沙鉢略遣使致書曰 辰年九月十日,從天生大突厥天下賢聖天子 、伊利俱盧設莫何始波羅可汗致書大隋皇帝】

突厥可汗である沙鉢略が隋文帝の開皇四年送った書に「大突厥天下賢聖天子」とありますが、書中の年次は十二支の「辰年」。年号持ってた?
午後10:20 · 2021年7月23日

なんて手間掛ける必要もなし。多利思北孤はもちろん、多利思比孤の誤で、ヤマトの王。裴清の道行き文読むヨロシね。何?推古は女だ?そんなこと中国人は知ってましたっけ?天皇は御簾の向う側だし、直接使者と話もしないし、、、

午後10:29 · 2021年7月23日

こうやって古田氏の本に首突っ込んでいくと、繁りに繁った巨木という感じがするんですが、ハッと気がつくと、その巨木には〝根っこ〟も〝幹〟も無いんですよね。枝葉だけが大きく広がって宙に浮いているんです。

遠くから見たら、根や幹が無いとは思えないんですがね、、、
午後10:40 · 2021年7月23日