文献名 | 成立年代 | 邪馬臺 | 壹與 | 仮定Aのばあい | 仮定Bのばあい | 備考 | (注) | |
三國志 | 297? | 邪馬壹国 | 邪馬壹国 | 邪馬臺国 | ||||
壹與 | 壹與 | 臺與 | ||||||
後漢書 | 432 | 邪馬臺国 | 5世紀の呼称 | そのまま | ||||
梁書 | 636 | 祁馬臺国 | 改訂 | そのまま(「祁」は「邪」の誤 | 本文(『魏志』等参照) | |||
臺與 | 改訂 | そのまま | ||||||
隋書 | 636 | 邪馬臺 | 改訂 | そのまま | 本文(『魏志』『後漢書』参照) | 【都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也】 | ||
北史 | 659 | 邪馬臺国 | 改訂(注) | そのまま | 本文(『梁書』『隋書』参照) | 『梁書』を踏襲 | ||
臺與 | 改訂(注) | そのまま | ||||||
翰苑 | 660 | 馬臺 | (別の字義か、改訂) | そのまま「邪」節略(あるいは別の字義) | 本文 | |||
臺與 | 改訂 | そのまま | 本文 | |||||
邦臺 | (別の字義か) | 誤写・節略、あるいは別の字義 | 所引『後漢書』 | |||||
臺與 | (注) | (注) | 所引『後漢書』 | 注)『後漢書』には「臺與」は見えないので『魏志』の文の混入か? | ||||
邪馬嘉国 | (注:古田によると別の字義) | そのまま(「嘉」は「臺」の誤写) | 所引『廣志』 | 注)邪馬嘉を山鹿とする。『邪馬一国への道標』p234 | ||||
通典 | 801 | 邪馬臺国 | そのまま(注) | そのまま | 本文(『魏志』『後漢書』『魏略』『隋書』等参照) | 注)『後漢書』によるとすれば、そのまま。 | ||
臺輿 | 改訂 | そのまま(「輿」は「與」の誤) | ||||||
太平御覧 | 984 | 耶馬臺国 | 改訂 | そのまま(「邪」を「耶」に改) | 所引『魏志』 | |||
臺舉 | 改訂(注:古田によると壹與では名前としておかしい) | そのまま(「舉」は「與」の誤) | 所引『魏志』 | 注)『邪馬台国の常識』所収「邪馬壹国の史料批判」p166 | ||||
邪馬臺国 | そのまま | そのまま | 所引『後漢書』 | |||||
壹與 | そのまま | 「臺」「壹」の誤写発生 | 「珍宝部」所引『魏志』 | |||||
太平寰宇記 | 976-984 | 邪為台国 | そのまま(誤字・略字) | そのまま(誤字・略字) | 本文・四至(『通典』引用) | |||
一奥 | そのまま(「與」「奥」の誤) | 誤写発生(「與」「奥」の誤) | 本文(『通典』引用) | |||||
宋刊本・三國志 | 1002- | 邪馬壹国 | 写本そのまま | 誤写写本により刊刻 | 元代以降の刊本に「邪馬一」とするものあり。 | |||
壹與 | 写本そのまま | 誤写写本により刊刻 | 刊本すべて「壹與」 | |||||
冊府元亀 | 1013 | 邪馬臺国 | そのまま | そのまま | 「国邑一」所引『後漢書』 | |||
邪馬臺国 | そのまま(「祁」「邪」の誤はなし) | そのまま(「祁」「邪」の誤はなし) | 「国邑一」所引『梁書』 | |||||
一與 | 刊本「壹與」の略字 | 刊本「壹與」の略字 | 「継襲」所引『魏志』 | 最初の『三國志』刊本「咸平本」刊行の直後 | ||||
通志 | 1161 | 邪馬臺 | 刊本に依らず「臺」 | 刊本によらず「臺」 | 『魏志』参照 | 校勘の結果か校勘に供しうる写本によるか? | ||
臺與 | 刊本に依らず「臺」 | 刊本によらず「臺」 | 『魏志』参照 | |||||
文献通考 | 1317 | 邪馬臺国 | そのまま | そのまま | 本文(『後漢書』引用) | |||
邪馬一国 | 刊本の「壹」を略 | 刊本の「壹」を略 | 所引『魏志』 | 同時代(元)の刊本には「邪馬一」につくる。 | ||||
壹與 | 刊本そのまま | 刊本そのまま | 本文 | |||||
大明一統志 | 1458- | 邪馬臺国 | そのまま | そのまま | 本文(『後漢書』引用) | |||
邪馬一国 | 刊本「壹」を略(注) | 刊本「壹」を略(注) | 本文(『魏志』引用) | 注)あるいは元代以降の「邪馬一国」表記刊本に依るか。 | ||||
壹與 | 刊本そのまま | 刊本そのまま | 本文(『魏志』引用?) |
表中の「赤系色枠」は、古田による『魏志』「壹」の改訂。「青系統枠」は、そのまま書写・引用したと考えた場合。濃淡はその度合い。