『後漢書集解』扉
『後漢書集解』扉裏
本文
序
范蔚宗氏後漢書拔起眾家之後獨至今存其褒尚學術表章節義旣不蹈前人所譏班馬之失至於比類精審屬詞麗密極才人之能事雖文體不免隨時而學識幾於邁古矣司馬續志經劉氏注補自今觀之其禮儀祭祀分部不明光武即位祝文已載帝紀而文內竄入誅赤眉靑犢後事祭祀宗廟誤以元成哀平四帝三世代四親廟與范書紀傳不合乃其巨失昔人言八志因范書幸存葢微詞也唐章懷注成於眾手皆以爲美猶有憾國朝惠棟全書補注刊見粵海堂叢書中無人爲之合倂余服膺此書有年於遺文奧義覆加推闡惠氏外廣徵古說請益同人所得倍夥爰取而刊行之因念是書章懷注後厯千年而惠氏爲補注更二百年而余爲集解篹述之事何其遼哉而余以衰年又値流離奔走之際孤心獨力未一輟業緜厯數載黽勉有成未始非是書之幸也琴川毛氏汲古閣序云刊范史時適當崇禎順治之際今余再刊又丁國變倘亦有運數存其間邪烏虖唏已乙卯仲秋月朔長沙王先謙撰
范蔚宗(范曄)氏の『後漢書』は、衆家の後に抜起し、独り今に至るまで存す。其の学術を褒尚し、節義を表章する、既に前人の譏る所の班(班固)・馬(司馬遷)の失を蹈まず。 比類(事物の分類)精審、属詞(文章の綴り)麗密にして、才人の能事を極む。文体は随時(時代の風潮)に学うを免れずと雖も、学識は幾んど古を邁ぎたり。 司馬(司馬彪)の『続志』は劉氏(劉昭)の注補を経て、今より之を観れば、其の礼儀・祭祀、分部(分類)明らかならず。光武即位の祝文は已に帝紀に載するに、文内に赤眉・青犢を誅する後の事を竄入(紛れ込ませること)し、宗廟を祭祀するに、誤りて元・成・哀・平の四帝を以て三代に世ぎ四親の廟と為す。范書の紀伝と合わず、乃ち其の巨失(大きな誤り)なり。昔人「八志は范書に因りて幸いに存す」と言えるは、蓋し微詞(遠回しな批判)なり。 唐の章懐(李賢)の注は衆手に成り、皆以て美と為すも、猶お憾有り。国朝(清朝)の惠棟の『全書補注』、粤海堂叢書の中に刊見(刊行)せらるるも、人の為に之を合併する無し。 余、此の書に服膺(心に刻むこと)して年有り、遺文・奥義において、覆ねて推闡(推し広めて明らかにすること)を加う。惠氏の外、広く古説を徴し、同人に請益(教えを請うこと)し、得る所倍夥し。爰に取めて之を刊行す。 因りて念うに、是の書は章懐注の後、千年を歴て惠氏、補注を為し、更に二百年を経て余、集解を為す。篹述(編纂)の事、何ぞ其れ遼かなるや。而るに余、衰年を以て、又た流離奔走の際に値い、孤心独力、未だ一たびも業を輟めず。数載を緜歴(経ること)し、黽勉(努力すること)して成る有り。未だ始めより是の書の幸いに非ざるならず。 琴川の毛氏(毛晋)『汲古閣』の序に云わく、「范史を刊する時、適たま崇禎・順治(明末清初)の際に当たる」と。今、余の再刊するも、又た国変(辛亥革命等の動乱)に丁る。倘しくも亦た運数の其の間に存する有らんや。 烏虖、唏けるかな。 乙卯(1915年)仲秋月朔、長沙の王先謙、撰す。字釈(固有名詞・専門用語)
- 范蔚宗(はんうつそう): 『後漢書』の著者、范曄。蔚宗は彼の字。
- 班馬(はんま): 『漢書』の班固と『史記』の司馬遷のこと。
- 司馬続志: 司馬彪が著した『続漢書』の「志」の部分。范曄が志を完成させる前に処刑されたため、後世の校・訂により范曄の紀伝と合わされた。
- 劉氏注補: 梁の劉昭が、司馬彪の志に対して施した注釈と補完。
- 章懐注: 唐の章懐太子・李賢による注。現在の『後漢書』の標準的な注釈。
- 恵棟(けいとう): 清代の考証学の大家。
- 粤海堂(えつかいどう): 清代の著名な叢書(全集)の一つ。
- 琴川毛氏汲古閣: 明末の蔵書家・毛晋による書庫。多くの古典を出版した。
- 国変(こくへん): ここでは清朝滅亡(辛亥革命)後の混乱期を指しています。王先謙は清朝の遺臣としての意識が強かったことが伺えます。
後漢書集解述略
范氏撰後漢書原定十紀十志八十列傳合爲百篇〚本史通正史篇〛葢取與班氏前漢書相應其敘例論贊始均別行〚范獄中書云紀傳例爲舉其大略劉昭補志序云范叙例所論備精與奪章懷注光武紀安紀並曾引范叙例之文自應別有傳述隋志別有范氏後漢讚論四卷唐志作論贊五卷宋志始不著錄當由巳無單行本〛紀傳先成十志未及徧作久遂全佚〚章懷注帝后紀十皇女下云沈約謝儼傳范所撰十志一皆託儼捜撰垂畢遇范敗悉蠟以覆車不復得按此所引沈約儼傳宋書不載今無可考但范有百官志已見帝后紀有禮樂志輿服志見東平王蒼傳有五行志天文志見蔡邕傳又南齊書文學傳檀超掌史職議立十志百官依范曄合州郡是范志齊時尚有存者超目見能舉其例至梁乃全佚恐蠟以覆車之說特指餘志未成者也〛序例疑亦未備〚劉昭補志序云序或未周〛
范氏の撰する所の『後漢書』は、原と十紀・十志・八十列伝を定め、合せて百篇と為す。〚本『史通』正史篇にあり〛字釈(固有名詞・専門用語)
蓋し班氏(班固)の『前漢書』と相応ずるを取るなり。其の叙例・論・讃は、始め均しく別に、行わる。〚范氏が獄中の書に云わく、「紀伝の例は、其の大略を挙げることを為す」と。劉昭の補志の序に云わく、「范氏の叙例に論ずる所、精しく与奪(評価)を備う」と。章懐注、光武紀・安紀に並べて曾て范氏の叙例の文を引く。自ずから応に別に伝述有るべし。隋志には別に范氏『後漢讃論』四巻有り、唐志には『論讃』五巻に作る。宋志には始めて録せられず。当に巳に単行本の無きに由るべし。〛
紀伝は先に成るも、十志は未だ徧く作るに及ばず、久しくして遂に全く佚(逸)せり。〚章懐注、帝后紀・十皇女の下に云わく、沈約の「謝儼伝」に、范氏の撰する所の十志は、一に皆儼に託して捜撰せしめ、垂として畢らんとす。范の敗(処刑)に遭い、悉く蠟を以て車を覆い、復た得べからず、と。按ずるに、此の引く所の沈約「儼伝」は、『宋書』に載せず、今は考うべき無し。但し、范に「百官志」有るは、已に帝后紀に見え、「礼楽志」「輿服志」は東平王蒼伝に見え、「五行志」「天文志」は蔡邕伝に見ゆ。又た『南斉書』文学伝に、檀超が史職を掌り、十志を立て、百官は范曄に依りて州郡を合せんと議す。是れ范氏の志、斉の時には尚お存する者有り。超、目に見て能く其の例を挙ぐ。梁に至りて乃ち全く佚す。恐らくは「蠟を以て車を覆う」の説は、特に余志の未だ成らざる者を指すなり。〛
序例も疑わくは亦た未だ備わらず。〚劉昭の補志の序に云わく、「序、或いは未だ周からず」と。〛
- 叙例(じょれい): 書物の記述方針や凡例を記したもの。范曄はこれを紀伝とは別に独立した巻として作成していましたが、後に失われました。
- 論・讃(ろん・さん): 史伝の末尾に付される著者自身の評。范曄の論讃はその文彩の美しさで高く評価され、一時は独立した書物として流通していました。
- 謝儼(しゃげん): 范曄の友人。范曄は「志」の執筆を彼に託していましたが、范曄の刑死に伴い、その草稿は散逸したと伝えられています。
- 蠟以覆車(ろうをもってくるまをおおう): 蠟を塗って防水布の代わりにし、荷車を覆う(=原稿を反古として粗末に扱う)こと。貴重な原稿が失われたことを示す有名な故事です。
- 宋書(そうじょ): 沈約による南朝宋の正史。現在伝わっている『宋書』には「謝儼伝」が含まれておらず、王先謙は引用元を検証しています。
- 檀超(だんちょう): 南朝斉の学者。彼が范曄の志の体裁に言及していることから、王先謙は「斉代までは一部の志が現存していたのではないか」と推測しています。
寖至並亡范傳載范獄中爲書與甥姪敘其作後漢書大略自負特甚然固不愧體大而思精也〚書云吾狂釁覆滅豈復可言汝等皆當以罪人棄之然平生行已在懷猶應可尋至於能不意中所解汝等或不悉知吾少嬾學問晩成人年三十許政始有向耳自爾以來轉爲心化推老將至者亦當未已也往往有微解言乃不能自盡爲性不尋注書心氣惡小苦思便憤悶口機又不調利以此無談功至於所通解處皆自得之於胷懷耳文章轉進但才思少難所以每於操筆其所成篇殆無全稱者常恥作文士文患其事盡於形情急於藻義牽其旨韻移其意雖時有能者大較多不免此累政可類工巧圖繢竟無得也常謂情志所託故當以意爲主以文傳意以意爲主則其旨必見以文傳意則其詞不流然後抽其芬芳振其金石耳此中情性旨趣千異故也性别宮商識淸濁斯自然也觀古今文人多不全了此處縱有會此者不必從根本中來言之皆有實證非爲空談年少中謝莊最有其分手筆差易文不拘韻故也吾思乃無定方特能濟難適輕重所稟之分猶當未盡但多公家之言少於事外遠致以此爲恨亦由無意於文名故也本未關史書政恆覺其不可解耳旣造後漢轉得統緒詳觀古今著述及評論殆少可意者班氏最有高名旣任情無例不可甲乙辨後贊於理近無所得唯志可推耳博贍不可及之整理未必愧也吾雜傳論皆有精意深旨旣有裁味故約其詞句至於循吏以下及六夷諸序論筆勢縱放實天下之奇作其中合者往往不減過秦篇嘗共比方班氏所作非但不愧之而已欲徧作諸志前漢所有者悉令備雖事不必多且使見文得盡又欲因事就卷內發論以正一代得失意復未果贊自是吾文之傑思殆無一字空設奇變不窮同含異體乃自不知所以稱之此書行故應有賞音者紀傳例爲舉其大略耳諸細意甚多自古體大而思精未有此也恐世人不能盡之多貴古賤今所以稱情狂言耳吾於音樂聽功不及自揮但所精非雅聲爲可恨然至於一絕處亦復何異邪其中體趣言之不盡弦外之意虛響之音不知所從而來雖少許處而旨態無極亦嘗以授人士庶中未有一毫似者此永不傳矣吾書雖小小有意筆勢不快餘竟不成就每愧此名案此書官本錄附全書之後題曰自序依南史省去吾狂釁覆滅至汝等或不悉知四十三字汲古閣本不載〛
寖く並びに亡ぶに至る。范伝(『宋書』范曄伝)には、范氏が獄中にありて書を為し、甥・姪と其の後漢書を作るの大略を叙するを載す。自負すること特だ甚だしきも、然れども固より「体大にして思精なり」に愧じざる也。字釈(固有名詞・専門用語)
〚書に云わく、吾狂釁(狂気による罪)にて覆滅す、豈復た言うべけんや。汝等皆当に罪人を以て之を棄つべし。然れども平生行い己れを懐うに、猶お応に尋ぬべし。能く意中に解せざる所に至りては、汝等或いは悉くは知らざらん。吾、少きときは学問に嬾く、晩くして成る人なり。年三十許りにて、政に始めて向う所有るのみ。自爾以来、転じて心化と為り、老の将に至らんとする者も、亦た当に未だ已まざるべき也。往往にして微解(わずかな理解)有るも、言は乃ち自ら尽くす能わず。性として注書を尋ねず、心気悪しくして、小か苦思すれば便に憤悶す。口機(口先)又た調利ならず、此を以て談功(語る功績)無く、所通の解処に至りては、皆自ら之を胸懐に得るのみ。
文章は転じて進むも、但才思少しく難し。所以に筆を操るごとに、其の成る所の篇、殆ど全く称う者無し。常に文士と作るを恥ず。文は其の事の形に尽き、情の藻に急まり、義の其の旨を牽き、韻の其の意を移すを患う。時として能き者有りと雖も、大較多くはこの累を免れず。政に工巧の図緜に類すべく、竟に得る無き也。常に謂えらく、情志の託する所、故より意を以て主と為し、文を以て意を伝うべしと。意を以て主と為せば、則ち其の旨必ず見われ、文を以て意を伝うれば、則ち其の詞流れず。然る後その芬芳を抽き、其の金石を振うのみ。此の中に情性旨趣の千異なる故也。性として宮商(音律)を別ち、清濁を識る、斯れ自然也。
古今の文人を観るに、多くは全くは此の処を了らず。縦い此に会する者有るも、必ずしも根本の中より来たらず。之を言わば皆実証有り、空談と為すに非ず。年少の中にては謝荘、最も其の手分(腕前)有り、手筆(文章)は差易し。文、韻に拘らざるが故也。吾が思いは乃ち定方(定まった形)無く、特に能く難を済い重軽に適う。所稟の分、猶お当に未だ尽くさざるべきも、但公家の言多く、事外の遠致(奥深い風情)に少なし。此を以て恨みと為す。亦た意の文名に無きに由る故也。
本より未だ史書に関らず、政に恒に其の解くべからざるを覚うるのみ。既に後漢を造りて、転じて統緒を得たり。古今の著述及び評論を詳観するに、殆ど意に可う者少なし。班氏(班固)は最も高名有るも、既に情に任せて例無く、甲乙を辨つべからず。後の賛は理に於いて近く得る所無し。唯だ志のみ推すべきも、博贍は及ぶべからざるも、整理は必ずしも愧じざる也。吾が雑伝の論、皆精意深旨有り、既に裁味(趣きを整えること)有るが故に、其の詞句を約めたり。循吏以下及び六夷諸序論に至りては、筆勢縦放、実に天下の奇作なり。其の合う者は往往にして『過秦篇』に減ぜず。嘗て共に班氏の作る所と比方するに、但に之に愧じざるのみに非ざるなり。
諸志を徧く作らんことを欲し、前漢の所有る者は、悉く備わらしめんと令む。事は必ずしも多からざるも、且く文をして尽くすを得せしめん。又た事に因りて巻内に就いて論を発し、以て一代の得失を正さんと欲するも、意復た果たさず。賛は自ずから是れ吾が文の傑思(すぐれた考え)、殆ど一字も空しく設けず、奇変窮まらず、同にして異体を合む。乃ち自ら称うる所以を知らず。此の書行われ、故に応に賞音(理解者)有るべし。紀伝の例は其の大略を挙げることを為すのみ。諸の細意甚だ多し、自古体大にして思精なる、未だ此れ有らざる也。恐らくは世人能く之を尽くさざらん。多くは古を貴び今を賤しむ、所以に情を称わして狂言するのみ。
吾、音楽に於ける聴功(聞き分ける力)、自ら揮くに及ばず。但だ精しくする所、雅声に非ざるを恨みと為すべきも、然れども一の絶処に至りては、亦た復た何ぞ異ならんや。其の体趣、之を言いて尽きず、弦外の意、虚響の音、従りて来る所を知らず。少許の処と雖も、旨態無極なり。亦た嘗て以て人士庶中に授くるに、未だ一毫も似たる者有らず。此れ永く伝わらず。吾が書は小小に意有ると雖も、筆勢快からず、余は竟に成就せず、常に此の名を愧ず、と。
案ずるに此の書、官本は全書の後に録附し、題して「自序」と曰う。南史に依りて「吾が狂釁覆滅」より「汝等或いは悉くは知らざらん」までの四十三字を省き去る。汲古閣本は載せず。〛
- 狂釁(きょうきん): 狂気による罪、ここでは反乱の罪を指します。范曄は南朝宋の彭城王・劉義康を擁立しようとした陰謀に加担したとして処刑されました。
- 宮商(きゅうしょう): 中国の五音(宮・商・角・徴・羽)の代表。転じて音律や音楽の美学のこと。
- 謝荘(しゃそう): 南朝宋の文人。若くして文名が高く、范曄もその才能を認めていました。
- 博贍(はくせん): 知識が広く豊富であること。班固の『漢書』の志を評しています。
- 過秦篇(かしんへん): 前漢の賈誼が記した、秦の滅亡の教訓を説く名文「過秦論」のこと。
- 賞音(しょういん): 音楽の微妙な調べを理解する者。転じて、真の理解者、知己のこと。
- 体大思精(たいだいしせい): 構想が雄大(体大)で、細部の考察が緻密(思精)であること。范曄が自著を評した有名な言葉です。
論摩太史別攄見解往往突過蘭臺贊體用詩以代序述亦馬班之遺範殆自劉昭作注早合紀傳並行〚論贊至隋唐尚有單行本則初原別行自屬可據然謂宋志始無單行之著錄疑合紀傳始於宋則章懷注已先合之矣謂卽始於唐則蕭子顯南齊書論後著贊史通謂卽依范書誤本是梁世又已先合之矣惟謂合自劉昭集注本者最爲近之〛第范見刑時書末大成以贊繼論原末必范意如此〚唐志論贊五卷隋志原作讚論四卷卷數出入雖不可曉但論贊必係各爲卷故贊亦可置論前也且某論某贊先亦必各有小題乃可單行而紀傳之合數人爲一卷者卷仍止一贊論則隨人而立或有或無勢不能論與贊共一題尤非各爲卷不能編次自小題爲合者所省遂全失眞面否則旣可別行者卽可附於書後另爲卷矣〛而晁公武陳振孫洪邁輒援史通所指摘一二事過相菲薄雖范之夸詡有同空穴來風而劉知幾徧訶前人卽馬班亦訾謷備至何有於范顧所指如創爲皇后紀及傳王喬左慈詭譎事何焯巳明其不足爲累矧呂后有紀昉自馬班〚本陳浩官本考證校語〛華嶠著後漢書且以皇后配天作合前史作外戚傳以繼末編爲非其義特易爲皇后紀以次帝紀〚本晉書華嶠傳〛則范之后紀固因而非創柏翳石槨史記秦紀書之𡉏上授書穀城化石前書張良傳仍載之王左詭譎雖多旣巳迸之方術尚安足疵范獄中書沈約巳云自序並實劉昭首爲范畫作注亦云良跨眾氏知幾雖嘗短范然仍極稱其長曰簡而且周疏而不漏論早定矣翟公巽作東漢通史偶議范書冗漏王應麟歎曰史裁如范千古能有幾人公巽何物妄加譏貶耶然則晁陳洪之於范拾史通牙後慧以人廢言並力詆贊辭謂爲佻巧失史家之體而忘改述呼贊范實同班其說亦著於史通蕭選輯文於史論史述贊班范並取體豈有異蜉蚍撼樹亦與公巽同爲不自量也論は太史(司馬遷)を摩し、別に解釈を攄べ、往往にして蘭台(班固)を突過(追い抜くこと)す。賛の体、詩を用いて以て序述に代うるも、亦た馬班(司馬遷・班固)の遺範なり。殆(ほとん)ど劉昭の注を作るより、早く紀伝と並び行わる。字釈(固有名詞・専門用語)
〚論・賛は隋・唐に至るまで尚お単行本有り、則ち初め原別に、行わるるは自ずから拠るべきに属す。然れども「宋志に始めて単行の著録無し」と謂うは、紀伝に合わするを宋に始まると疑わば、則ち章懐注、已に先に之を合わせり。之を「即ち唐に始まる」と謂わば、則ち蕭子顯の『南斉書』、論の後に賛を著すを、『史通』に「即ち范書の誤本に依る」と謂えるは、是れ梁の世に又た已に先に之を合わせり。惟うに「劉昭の集注本より合う」と謂う者、最も之に近しと為す。〛
第し范氏の刑せらるる時、書は未だ大成せず。賛を以て論に継ぐは、原より必ずや范の意、此の如くならん。
〚唐志に「論賛五巻」、隋志に「原は讃論四巻」と作る。巻数に出入有りと雖も、曉るべからざるも、但だ論・賛は必ず係に各々巻を為す。故に賛も亦た論の前に置くべき也。且つ某の論、某の賛、先には亦た必ず各々小題有り、乃ち以て単行すべく、紀伝の合せて数人を一巻と為す者の巻、仍お一に止まらん。賛・論は則ち人に随いて立ち、或いは有り或いは無し。勢い論と賛とを一題を共にする能わず、尤も各々巻を為すに非ざれば編次する能わず。小題より合わせらるる者、省かるる所に遂に全く真面(真実の姿)を失う。否ざれば、既に別行すべき者は即ち書に附して、後に別に巻と為す。〛
而るに晁公武・陳振孫・洪邁らは、輒ち『史通』の指摘する所の一二の事を援き、過ぎて相い菲薄(軽んじること)す。
范の夸詡(自慢)には空穴の来風(根拠があること)と同じきもの有りと雖も、劉知幾は前人を徧く訶り、即ち馬・班すらも亦た訾謷(謗ること)備に至る。何ぞ范に於いてせんや。
顧うに指す所の「創めて皇后紀を為す」及び「王喬・左慈の詭譎なる事を伝う」が如きは、何焯已に其の累と為すに足らざるを明かにせり。矧や呂后に紀有るは馬・班より昉まる。〚陳浩の官本考証校語に本づく。〛
華嶠の著せる『後漢書』、且つ皇后を以て天に配して作合し、前史の外戚伝を作りて末編に継ぐを、其の義に非ずと為す。特に皇后紀を易えて以て帝紀に次ぐ。〚晋書の華嶠伝に本づく。〛
則ち范の「后紀」は、固より因りて創るに非ざるなり。柏翳の石槨は『史記』秦紀に之を書き、𡉏上の授書・穀城の化石は『前書』(前漢書)張良伝に仍お之を載す。王・左の詭譎(不思議な術)多しと雖も、既に已に之を方術(伝)に迸く、尚お安くんぞ范を疵るに足らんや。
范の「獄中の書」、沈約已に云わく「自序なり」と。並びに実なり。劉昭、始めて范の為に画けて注を作る。亦た云わく「良に衆氏を跨ぐ」と。知幾(劉知幾)、嘗て范を短ると雖も、然れども仍お極めて其の長を称す。「簡にして且つ周く、疏にして漏らさず」と、論、早く定まれり。
翟公巽(翟汝文)、『東漢通史』を作りて、偶たま范書の冗漏を議す。王応麟嘆じて曰わく、「史裁(史書の体裁)、范の如きは、千古に能く幾人か有らんや。公巽は何物ぞ、妄りに譏貶を加えんや」と。
然れば則ち晁・陳・洪の范に於ける、史通の牙後の慧を拾い、人を以て言を廃し、並び力めて賛辞を詆りて、謂えらく「佻巧にして史家の体を失う」と。而るに「述を改めて賛と呼ぶ、范は実に班に同じ」を忘る。其の説も亦た『史通』に著わる。
『文選』(蕭選)に史論・史述賛を輯めるに、班・范を並び取る。体、豈に異なること有らんや。
蜉蚍(ふぴ)の樹を撼かす、亦た公巽と同じく不自量(身の程知らず)と為す也。
- 蘭台(らんたい): 漢代の図書保管所。転じて『漢書』の著者・班固を指します。
- 牙後の慧(がごのけい): 他人の説を鵜呑みにして、さも自分の手柄のように言うこと。ここでは劉知幾(史通)の批判をそのまま繰り返す後世の学者を指します。
- 菲薄(ひはく)・訾謷(しごう)・譏貶(きへん): いずれも「謗る」「軽んじる」「けなす」といった意味の言葉です。
- 王喬(おうきょう)・左慈(さじ): 『後漢書』方術伝に記載された、仙人のような不思議な術を使う人物たち。
- 皇后紀: 范曄が皇后を単独の「紀」として立てたことに対し、伝統的な史学からは批判もありましたが、王先謙はそれが先例(華嶠など)に基づいた正当なものだと擁護しています。
- 簡而周、疏而不漏(簡にして周、疏にして漏らさず): 文章は簡潔だが内容は網羅されており、大まかなようでいて重要なことは漏らしていない。范曄の文章を讃える定評のある言葉です。
- 蜉蚍撼樹(ふぴじゅをゆりうごかす): 大アリ(蜉蚍)が大きな木を揺り動かそうとする。自分の力を考えずに大それたことに挑む、身の程知らずの例え。
後漢著述在范前者自東觀漢記以下無慮數十家〚東觀漢記其始班固陳宗尹敏孟異作世祖本紀及光武時功臣列傳劉珍李尤作建武以後至永初間紀傳伏無忌黄景作諸王王子功臣恩澤侯表南單于西羌傳地理志邊韶崔實朱穆曹壽作皇后外戚儒林傳實壽又與延篤雜作百官表及順帝功臣傳共成一百十四篇其後馬日磾蔡邕楊彪盧植著作東觀又就紀傳之可成者接續之詳見史通隋志載一百四十三卷專家之作則謝承後漢書一百三十卷薛瑩後漢記一百卷司馬彪續漢書八十三卷華嶠後漢書九十七卷謝沈後漢書一百二十二卷張瑩後漢南記五十五卷袁山松後漢書一百卷袁宏後漢紀三十卷張璠後漢紀三十卷袁曄獻帝春秋十卷劉芳〚唐志作劉艾〛漢靈獻二帝紀六卷樂資山陽公載記十卷王粲漢末英雄記十卷侯瑾漢皇德記三十卷及漢獻帝起居注五卷均見隋志又劉義慶後漢書五十八卷孔衍後漢尚書六卷後漢春秋六卷張溫後漢尚書十四卷見新舊唐志〛范氏原以東觀記爲本書〚見明八王傳首〛又廣集學徒窮覽舊籍刪煩補略取資實宏然進退眾家以成一家之言筆削所關談何容易王鳴盛推詳書法類次信其悉合班書則整理之間彌見良工心苦乃孔歐孟章宗源以皇后作紀及紀傳論序偶取華嶠之言遂謂范書全本華書趙翼亦謂後漢成書旣多范氏采擇自易斯不然矣史通嘗謂言漢中興史者唯范袁二家袁紀出范之前且抑居范後觀袁紀自序謂眾漢書煩穢雜亂多不次敘華書卽在袁指斥之中范獄中書且欲淩班豈復措意華氏華書遭晉東徙又三唯存一少可依據三譜十典范氏未倣其例亦未沿其名而曰全本華書可云孟浪昔班造前漢太半據龍門成書而潛精積思猶至二十餘年始就范時舊籍唐志多存而章懷注中識其所因於華氏者亦僅寥寥六事不關紀傳正文〚劉趙湻于江劉周趙傳序袁安傳論桓馮傳論猶失之於馮衍以上中興二十八將論首七句肅宗紀論首二句章懷皆著爲華嶠之辭又班固傳論然亦身陷大戮以上則著爲略華嶠之辭蓋實以嶠辭未善改之〛他書末聞有可取焉視班之因於史記者抑又甚艱皇云易乎後漢の著述、范氏に前だつ者は、『東観漢記』以下、無慮(およそ)数十家なり。字釈(固有名詞・専門用語)
〚『東観漢記』、其の始め班固・陳宗・尹敏・孟異、世祖本紀及び光武時の功臣列伝を作る。劉珍・李尤、建武以後より永初の間に至る紀伝を作る。伏無忌・黄景、諸王・王子・功臣・恩沢侯表・南単于・西羌伝・地理志を作る。辺韶・崔実・朱穆・曹寿、皇后・外戚・儒林伝を作る。実・寿、又た延篤と雑えて百官表及び順帝功臣伝を作り、共に一百十四篇を成す。其の後、馬日磾・蔡邕・楊彪・盧植、東観に著作し、又た紀伝の成るべき者に就きて之を接続す。詳細は『史通』に見ゆ。隋志には一百四十三巻を載す。専門家の作には、則ち謝承『後漢書』一百三十巻、薛瑩『後漢記』一百巻、司馬彪『続漢書』八十三巻、華嶠『後漢書』九十七巻、謝沈『後漢書』一百二十二巻、張瑩『後漢南記』五十五巻、袁山松『後漢書』一百巻、袁宏『後漢紀』三十巻、張璠『後漢紀』三十巻、袁曄『献帝春秋』十巻、劉芳〚唐志には劉艾に作る〛『漢霊献二帝紀』六巻、楽資『山陽公載記』十巻、王粲『漢末英雄記』十巻、侯瑾『漢皇徳記』三十巻、及び『漢献帝起居注』五巻、均しく隋志に見ゆ。又た劉義慶『後漢書』五十八巻、孔衍『後漢尚書』六巻・『後漢春秋』六巻、張温『後漢尚書』十四巻、新旧唐志に見ゆ。〛
范氏、原より『東観記』を以て本の書と為す。〚明の八王伝の首に見ゆ〛
又た広く学徒を集め、旧籍を窮覧し、煩を削り略を補い、資を取ること実に宏し。然れども衆家を進退して、以て一家の言を成す。筆削(添削)に関すること、談ること何ぞ容易ならんや。王鳴盛、書法・類次を推し詳かにし、其の悉く班書(漢書)に合うを信ず。則ち整理の間、弥良工心苦(名工が苦心すること)を見わす。
乃るに孔(孔道輔)・欧(欧陽修)・孟(孟祺)・章(章衡)・宗(宗沢)・源(源潜)ら、皇后を以て紀と作る及び紀伝・論序の、偶たま華嶠の言を取るを以て、遂に「范書は全く華書(華嶠の書)に本づく」と謂う。趙翼も亦た「後漢の成書、既に多くして、范氏の采択自ずから易し」と謂えるは、斯れ然らず。
『史通』に嘗て「漢の中興(後漢)の史を言う者は、唯だ范・袁(袁宏)の二家のみ」と謂えり。袁紀は范の前に出で、且つ范の後に抑居(後塵を拝すること)す。袁紀の自序を観るに、「衆の漢書、煩穢にして雑乱し、多くは次叙(順序)せず」と謂えり。華書(華嶠の書)は即ち袁の指斥する所の中に在り。范の「獄中の書」に、且つ班(班固)を凌がんと欲す。豈復た華氏に意を措かんや。
華書は晋の東徙(南遷)に遭い、又た三(三分の二)は唯だ一(三分の一)のみ存す。少か依拠すべきは「三譜十典」のみなるも、范氏、未だ其の例に倣わず、亦た其の名に沿らず。而るを「全く華書に本づく」と曰うは、孟浪(とりとめがないこと)と云うべし。
昔、班(班固)の『前漢書』を造るや、太半(大半)は龍門(司馬遷)に拠りて書を成すも、潜精積思、猶お二十余年に至りて始めて就る。范の時、旧籍は唐志に多く存し、章懐注の中に、其の華氏に因る所を識す者は、亦た僅かに寥寥として六事のみ。紀伝の正文に関わらず。
〚劉趙(劉縯・趙憙)湻于江、劉周(劉寛・周燮)趙(趙孝)伝の序、袁安伝の論、桓馮(桓栄・馮衍)伝の論、「猶お之を馮衍に失す」以上、中興二十八将論の首の七句、粛宗紀の論の首の二句。章懐皆著して華嶠の辞と為す。又た班固伝の論、「然れども亦た身、大戮に陥る」以上は、則ち著して「略華嶠の辞なり」と為す。蓋し実は嶠の辞の未だ善からざるを以て、之を改むるなり。〛
他書に未だ取るべき有るを聞かず。班(班固)の『史記』に因るに視ぶれば、抑又た甚だ艱し。皇ぞ易しと云わんや。
- 東観漢記(とうかんかんき): 後漢代に、国立図書館である東観で代々の学者が書き継いだ公式記録。范曄以前の「後漢書」の最重要資料。
- 謝承・薛瑩・司馬彪・華嶠・謝沈・袁山松: 范曄以前に『後漢書』を著した学者たち。范曄の書が完成すると、これらの多くは散逸してしまいました。
- 一家の言: 独自の境地を開いた、完成された著作のこと。
- 良工心苦(りょうこうしんく): 優れた工匠が、一つの作品を作り上げるために並々ならぬ苦心をすること。杜甫の詩に由来する表現。
- 三譜十典: 華嶠が立てた独自の体裁(譜や典)。范曄はこれらを採用しなかったため、王先謙は「丸写し説」を否定する根拠としています。
- 潜精積思(せんせいしきし): 精神を集中させ、思考を積み重ねること。
- 寥寥(りょうりょう): 非常に数が少なく、まばらな様子。
- 中興二十八将: 光武帝(後漢の祖)の建国を支えた28人の功臣。
范書隋志載九十七卷新舊唐志則云九十二卷宋志則云九十卷以十紀八十列傳篇各爲卷計之惟宋志卷數與今本合隋唐志所載或多七卷或多五卷當由就紀傳之毓重者分出子卷隋所分者唐又間取而合之是以卷數不同實則此書厯代相承紀傳具在並無亡佚也前爲范書作注者劉昭而外尚有吳均劉熙二家均有齊春秋三十卷遞見隋唐志而後漢書注九十卷〚見梁書文學巻〛隋志已不著錄必由早亡熙有孟子注七卷亦遞見隋唐志而范注一百二十二卷惟新唐志載之宋志復不著錄則亦晚出旋佚其得失舉無可考至昭所爲范後漢書注劉知幾有吐核棄滓之譏知其采輯眾漢異同略如裴松之之注三國志昭既爲范書作注病其無志復取司馬彪續漢書八志注而補之其自序甚詳可爲明證〚全序巳刻入續志集解中〛溯梁書昭傳昭集注范後漢書本一百八十卷隋志則云一百二十五卷新舊唐志則惟存補注五十八卷宋志則惟存補注後漢志三十卷似其注至隋已稍殘闕至唐遂無幾存知幾雖猶及見其書亦未必果睹其全矣第唐時功令習後漢書者並昭所注志爲一史〚見通志選舉略〛故續志注三十卷得以保存至宋不廢耳章宗源乃謂唐志所載之五十八卷旣稱補注疑專指馬彪志注又謂新唐志所載之劉熙范注一百二十二卷亦劉昭之誤以唐志范書本九十二卷合以續志三十卷適成一百二十二卷也此無論昭之注范梁書隋志所載分卷皆有不符且續志僅八篇昭猶分卷三十豈范書紀傳爲篇九十而僅分多二卷抑唐志范書卷數已不同隋豈梁人著書反能默合唐志卷數至疑補注爲專指補志則尤失審詳史通補注之名稱本謂掇眾史之異辭補前書之所闕若裴松之三國志陸澄劉昭兩漢書劉彤晉紀劉孝標世說之類又云劉昭采范所捐以爲補注是昭所爲後漢書注本通稱補注後世惟見昭續志注不見昭范書注故疑或有別也宗源世推好學而亦有此誤說何耶
范書の『隋志』(隋書経籍志)に載する所は九十七巻、『新旧唐志』には則ち九十二巻と云い、『宋志』には則ち九十巻と云う。十紀・八十列伝を以て、篇ごとに各々巻を為すを計れば、惟だ『宋志』の巻数のみ今本と合う。『隋唐志』の載する所、或いは七巻多く、或いは五巻多きは、当に紀伝の毓重(分量の多いもの)に就きて、子巻(分冊)を分出するに由るべし。隋の分つ所を、唐は又た間に取めて之を合わす。是を以て巻数同じからざるも、実には則ち此の書、歴代相承して紀伝具に在り、並びに亡佚無き也。字釈(固有名詞・専門用語)
前に范書の為に注を作る者は、劉昭の外、尚お呉均・劉熙の二家有り。均に『斉春秋』三十巻有り、遞いに『隋唐志』に見えるも、『後漢書注』九十巻〚『梁書』文学巻に見ゆ〛は、『隋志』已に著録せず。必ずや早く亡わるるに由らん。熙に『孟子注』七巻有り、亦た遞いに『隋唐志』に見えるも、范注一百二十二巻は、惟だ『新唐志』のみ之を載す。『宋志』復た著録せず、則ち亦た晩く出でて旋ち佚せり。其の得失、挙く考うべき無し。
昭が為す所の范『後漢書注』に至りては、劉知幾「吐核棄滓(核心を吐き出し滓を捨てる、転じて冗長であること)」の譏り有り。其の衆漢の異同を采輯すること、略裴松之の『三國志注』の如くなるを知る。昭、既に范書の為に注を作るも、其の「志」無きを病い、復た司馬彪『続漢書』八志を取りて注して之を補う。其の自序甚だ詳かなれば、明証と為すべき也。〚全序は已に『続志集解』の中に刻入せり〛
『梁書』昭伝を溯るに、昭の集注せる范『後漢書』は、本一百八十巻なり。『隋志』には則ち一百二十五巻と云い、『新旧唐志』には則ち惟だ補注五十八巻を存すとす。『宋志』には則ち惟だ補注「後漢志」三十巻を存すとす。其の注の隋に至りて已に稍残闕し、唐に至りて遂に幾ど存する無きに似たり。知幾、猶お其の書を見るに及ぶと雖も、亦た必ずしも果して其の全を睹ざらんや。
第唐時の功令、『後漢書』を習う者は、昭の注する所の「志」を並せて一史と為す。〚『通志』選挙略に見ゆ〛故に『続志注』三十巻は保存せらるるを得て、宋に至るまで廃せざるのみ。
章宗源は乃るに、『唐志』に載する所の五十八巻、既に「補注」と称すれば、専ら司馬彪の志注を指すかと疑い、又た謂えらく『新唐志』に載する所の劉熙の范注一百二十二巻も、亦た劉昭の誤りなり。唐志の范書本九十二巻を以て、『続志』三十巻に合わすれば、適一百二十二巻を成すを以て也。
此れ昭の注せる范、梁書・隋志に載する所の分巻、皆不符有るを論ずること無く、且つ『続志』は僅かに八篇にして、昭、猶お巻を分かつこと三十。豈范書紀伝の篇九十にして、僅かに多きこと二巻を分かたんや。抑また『唐志』の范書の巻数、已に隋と同じからず。豈に梁の人(劉熙)の書を著すに、反って能く『唐志』の巻数に默合せんや。
補注を以て専ら「補志」を指すと為すに至りては、則ち尤も審詳を失えり。『史通』補注の名称、本衆史の異辞を掇り、前書の闕くる所を補うを謂う。裴松之の『三國志』、陸澄・劉昭の両『漢書』、劉彤の『晋紀』、劉孝標の『世説』の類の如し。又た云わく、劉昭は范の捐つる所を采りて以て補注と為すと。是れ昭が為す所の『後漢書注』は、本通じて補注と称す。後世惟だ昭の『続志注』を見て、昭の『范書注』を見ざる故に、疑わくは或いは別有らんとする也。宗源、世に好学と推さるるも、亦た此の誤説有るは何ぞや。
- 隋志・唐志・宋志:各正史の「経籍志(芸文志)」。当時の国立図書館の蔵書目録。
- 毓重(いくちょう):草木が茂るように、内容や分量が多いこと。
- 吐核棄滓(とかききし):果実の核(種)を吐き出し、滓を捨てる。劉知幾が劉昭の注釈を「不必要な情報が多く、肝心なところが少ない」と批判した言葉。
- 裴松之(はいしょうし):『三国志』に膨大な注(裴注)を施した人物。劉昭の注も、彼と同様に諸本の異同を網羅するスタイルだったと推測されています。
- 続漢書八志:范曄が書けなかった「志(制度史)」を補うため、劉昭が司馬彪の『続漢書』から転用して注を加えたもの。
- 功令(こうれい):国家の法令、特に科挙などの試験科目に関する決まり。
- 章宗源(しょうそうげん):清代の学者。王先謙は彼の巻数計算や「補注」の定義について、論理的矛盾を突いて厳しく反論しています。
以續志補范昉自劉昭昭之後漢書注固已合志於紀傳矣〚昭自序有云迺借舊志注以補之分爲三十卷以合范史〛然此自劉氏一家之學范書原本則仍止紀十卷傳八十卷未嘗闌入續志也章懷爲范作注自係據范原本間引續志之說必別之曰續漢志又析范書九十卷爲一百卷以展成數明見唐志〚新舊志同〛皆爲無志之證宋志不數章懷分出之卷故仍題九十卷推攷太宗湻化五年初刻本及眞宗景德二年校定本猶無續志也及眞宗乾興元年孫奭誤以續志三十卷爲昭自作以述范者始奏請合刻補闕國子監奉牒依奏施行〚牒云中書門下牒國子監翰林侍講學士尚書工部侍郞知審官院事兼判國子監孫奭奏臣忝膺朝命獲厠近班思有補於化文輒干塵於睿覽竊以先王典訓在述作以惟明厯代憲章微簡策而何見鋪觀載籍博攷前聞制禮作樂之功世存沿襲天文地理之說率有異同馬遷八書於焉咸在班固十志得以備詳光武嗣西漢而興范曄繼東觀之作成當世之茂典列三史以並行克由聖朝刊布天下雖紀傳之類與遷固以皆同書志之間在簡編而或闕臣竊見劉昭注補後漢志三十卷〚據宋志作補注此或誤倒〛蓋范瞱作之於前劉昭述之於後始因亡逸終遂補全綴其遺文申之奧義至於輿服之品具載規程職官之宜各存制度儻加鉛槧仍俾雕䤹庶成一家之書以備前史之闕伏況晉宋書等例各有志獨茲後漢有所未全其後漢志三十卷欲望聖慈許令校勘雕印如允臣所奏乞差臣與學官同共校勘兼乞差劉崇超都大管句伏候敕旨牒奉敕宜令國子監依孫奭所奏施行牒至准敕故牒乾興元年十一月十四日牒案此牒乾興監本刻列卷首奭謂范作於前劉述於後雖誤以志爲卽昭所撰述尚知非范原著景祐初余靖重校後漢亦云十志未成至梁劉昭補成之亦仍奭說也自洪邁以下則直以八志爲范作劉注失之彌遠矣〛遂共成一百二十卷而後世必謂范書原已析爲一百卷章懷作注始復爲九十卷宋志因而題之不思范氏原書亦從無百卷之說惟章懷注本始有之安得據宋志九十卷之題並沒在前之新舊唐志或又謂章懷注范全本劉昭八志注用昭原文故仍昭名以爲識別甚且謂章懷於紀傳則改昭注於八志注則不改者以注紀傳易注志難乃避難而趨易不思昭之補注唐志所載巳僅存五十八卷除去志注三十卷屬於紀傳者僅矣章懷果何從全據之乎抑詳觀章懷之注范不減於顏監之注班惜非一手所成〚據新唐書與章懷共任爲後漢注者有張大安劉訥言革希玄許叔身成玄一史藏諸周寶寧等見章懷本傳又見張公謹涔長倩傳〛不免有蹖駮漏略之處然多主故訓與昭補注之體旣殊而所引據各書率爲唐志所著錄亦何事借徑於昭惟皆誤以章懷所注後漢書本有八志疑其旣全取昭志之注必不能不並取昭紀傳之注耳夫章懷果已合昭所注志於紀傳則唐時習後漢書者自已兼習八志何又於選舉別申功令以後漢並劉昭所注志爲一史宋時孫奭何又特請合刊不經之談所當深辨也
続志(司馬彪の志)を以て范書に補うは、劉昭に昉まる。昭の『後漢書注』は、固より已に志を紀伝に合せり。〚昭の自序に云う有り、「迺いよ旧志の注を借りて以て之を補い、分かちて三十巻と為して以て范史に合わす」と〛字釈(固有名詞・専門用語)
然れども此れ自ずから劉氏一家の学なり。范書の原本は、則ち仍お紀十巻・伝八十巻に止まり、未だ嘗て続志を闌入(紛れ込ませること)せざる也。
章懐(李賢)が范の為に注を作るは、自ずから范の原本に拠るに係わる。間に続志の説を引くも、必ず之を別ちて「続漢志」と曰う。又た范書の九十巻を析ちて一百巻と為し、以て成数(きりのよい数)を展ばす。明かに『唐志』に見ゆるは、〚新旧志同じ〛皆志無きことの証なり。
『宋志』は章懐の分出する所の巻を数えず、故に仍お九十巻と題す。推し攷うるに、太宗の淳化五年の初刻本、及び真宗の景徳二年の校定本には、猶お続志無き也。
真宗の乾興元年に至り、孫奭誤りて続志三十巻を以て、昭が自ら作りて以て范に述うる者と為し、始めて奏請して合刻して国子監の補闕(欠けた部分)を為し、牒(通達)を奉じて奏に依り施行す。
〚牒に云わく、中書門下、国子監に牒す。翰林侍講学士、尚書工部侍郎、知審官院事、兼判国子監の孫奭奏す。「臣忝くも朝命を膺け、近班(皇帝の側近)に厠わるを獲たり。化文に補う有らんことを思い、輒か睿覧(皇帝の閲覧)に干む。
竊かに以れば、先王の典訓は述作に在りて惟明なり。歴代の憲章は、簡策(書物)に微ざれば何によってか見えん。載籍(文献)を鋪観し、前聞を博攷するに、礼を制し楽を作るの功、世に沿襲を存し、天文地理の説、率ね異同有り。馬遷の『八書』、焉に咸く在り。班固の『十志』、備に詳かにすることを得。
光武は西漢を嗣いで興り、范曄は東観の作を継ぎ、当世の茂典(優れた法典)を成す。三史(史記・漢書・後漢書)を列して以て並び行われ、克く聖朝により天下に刊布せらる。
紀伝の類は遷・固(司馬遷・班固)と皆同じと雖も、書志の間、簡編に在りて或いは闕けたり。臣、竊かに見る、劉昭注補の『後漢志』三十巻〚宋志に拠れば補注に作る。此れ或いは誤倒なり〛は、蓋し范曄之を前に作り、劉昭之を後に述ぶ。始め亡逸に因り、終に遂に補全す。其の遺文を綴り、之を奥義に申ぶ。輿服の品に至りては具に規程を載し、職官の宜は各々制度を存す。
儻し鉛槧(筆記用具)を加え、仍お雕䤹(版木に刻むこと)せしめば、庶くは一家の書を成し、以て前史の闕を備えん。伏して況うに『晋』『宋』書等の例は各々志有り、独り茲の後漢にのみ未だ全からざる所有り。其の『後漢志』三十巻、聖慈を望み、校勘・雕印せしめんことを許したまえ。……」
案ずるに此の牒、乾興の監本には巻首に刻列せらる。奭は「范、前に作り、劉、後に述ぶ」と謂い、志を以て即ち昭の撰述する所と為すと誤ると雖も、尚お范の原著に非ざるを知れり。景祐の初め、余靖が後漢を重校するも亦た云わく、「十志成らず、梁の劉昭に至りて之を補成す」と。亦た仍お奭の説なり。
自ら洪邁以下は、則ち直ちに八志を以て范の作と為し、劉の注とす。失の之れ弥遠き也。〛
遂に共に一百二十巻を成す。而るに後世必ず「范書は原已に析たれて一百巻と為り、章懐注を作るに始めて復た九十巻と為り、宋志は因りて之を題す」と謂えり。范氏の原書に亦た曾て百巻の説無きを思わず。惟だ章懐の注本に始めて之れ有り。安くんぞ『宋志』九十巻の題に拠りて、並せて前の新旧『唐志』を没しくせんや。
或いは又た謂えらく、「章懐は范を注するに全く劉昭の八志注に本づき、昭の原文を用う、故に仍お昭の名を以て識別と為す」と。甚だしきに至りては「章懐、紀伝に於いては昭注を改め、八志注に於いては則ち改めざる者は、紀伝を注するは易く志を注するは難きを以て、難を避けて易に趨く」と謂う。
昭の補注、『唐志』に載する所已に僅かに五十八巻を存し、志注三十巻を除けば、紀伝に属する者は僅かなり。章懐、果して何に従いて全く之に拠らんや。
抑また章懐の范を注するを詳観するに、顔監(顔師古)の班(漢書)を注するに減ぜず。惜しむらくは一手の成す所に非ず。〚『新唐書』に拠れば、章懐と与に任ぜられて『後漢』の注を為る者は、張大安、劉訥言、格希玄、許叔牙、成玄一、史蔵諸、周宝寧等有り。章懐の本伝に見え、又た張公謹、岑長倩の伝に見えたり。〛萟駁(不揃い)漏略の処あるを免れずと雖も、然れども多く故訓を主とし、昭の補注の体と既に殊なり。而るに引拠する所の各書は、率ね『唐志』の著録する所にして、亦た何んぞ昭に借径することを事とせんや。
惟だ皆誤りて、章懐の注する所の『後漢書』本八志有りと以て、其の既に全く昭の志の注を取れば、必ず並せて昭の紀伝の注を取らざる能わずと疑えるのみ。夫れ章懐果して已に昭の注する所の志を紀伝に合せば、唐時に『後漢書』を習う者は、自ら已に兼ねて八志を習わん。何ぞ又た選挙に別に功令を申べ、『後漢』を以て劉昭の注する所の「志」を並せて一史と為さん。宋時の孫奭、何ぞ又た特に合刊を請わん。不経の談(でたらめな話)、深く弁ずべき所なり。
- 孫奭(そんせき): 北宋の経学者。彼が皇帝に奏上したことで、范曄の紀伝と司馬彪の志(劉昭注)が合体して一つの『後漢書』として出版されるようになりました。
- 成数(せいすう): 計算しやすい、きりの良い数字。章懐太子(李賢)が90巻を100巻に分けたのは、単にきりを良くするためでした。
- 不経(ふけい)の談: 経典(道理)に基づかない、いい加減な話。
- 借径(しゃっけい): 近道をする。ここでは、他人の注釈をそのまま利用することを指します。
- 萟駁(しゅくばく): 草が乱れ生えるように、一貫性がなくバラバラなこと。
- 章懐(章懐太子・李賢): 唐の高宗の次男。当代一流の学者を集めて『後漢書』に詳細な注を施しました。これが現在私たちが目にしている「章懐太子注」です。
学士たちの顔ぶれ:
- 張大安: 唐の功臣・張公謹の子。
- 格希玄: 詩人としても知られる格輔元の父。
- 岑長倩: 唐の宰相。
- 本伝・伝に見えたり: これらの人名や注釈編纂の経緯は、『新唐書』の「章懐太子賢伝」や、それぞれの列伝(張公謹伝、岑長倩伝など)に詳しく記載されている、という典拠の提示です。
宋本後漢書景德以前旣尚無志則後世疑無志者爲宋民間俗本或不盡然自乾興改刊志復附入迄仁宗景祐元年余靖又上言文字舛譌爰命王洙與靖偕赴崇文院讎對靖洙悉取館閣諸本參校凡增五百一十二宇損一百四十三字攺正四百一十一字〚見景祐二年九月中書門下牒文此文亦刻景祐刊誤本卷首官本己節錄〛及嘉祐七年仁宗讀後漢書見墾田字皆作懇又詔劉攽等分手校正故兩漢刊誤世傳三劉同作〚謂攽與兄敞及敞子奉世〛而東漢刊誤史乃專屬之攽〚見宋史攽本傳〛高宗南遷至紹興末重刊監本蓋始以攽說附入注文之後今原書久佚反賴監本存之官本巳照轉刊而汲古本原未有此集解以汲古本爲主故幷攽說於解中孝宗湻熙間吳仁傑又撰兩漢刊誤補遺今存十卷雖與宋志卷數適合而言後漢書者僅得兩卷解中仍從采掇元胡三省注通鑑於章懷注時有引伸所取亦多通標曰通鑑胡注
宋本の『後漢書』、景徳(1004年〜1007年)以前には既に尚お志無ければ、則ち後世、志無き者を以て宋の民間俗本と為すは、或いは尽くは然らず。字釈(固有名詞・専門用語)
乾興(1022年)より改刊して志復た附入せらる。仁宗の景祐元年(1034年)に迄り、余靖又た「文字舛譌(誤り)」を上言し、爰に王洙と靖とに命じ、偕に崇文院に赴きて讎対(校対)せしむ。靖・洙、悉く館閣(宮廷図書館)の諸本を取りて参校し、凡て五百一十二字を増し、一百四十三字を損り、四百十一字を改正す。
〚景祐二年九月の中書門下牒文に見ゆ。此の文も亦た景祐の『刊誤』本の巻首に刻せらる。官本は已に節録せり。〛
嘉祐七年(1062年)に至り、仁宗『後漢書』を読み、墾田の字の皆「懇」に作るを見て、又た劉攽等に詔して手を分かちて校正せしむ。故に『両漢刊誤』は世に三劉の同作と伝わる。〚攽と兄の敞及び敞の子の奉世を謂う。〛
而るに『東漢刊誤』史は、乃ち専ら之を攽に属す。〚『宋史』の攽の本伝に見ゆ。〛
高宗の南遷(南宋)し、紹興(1131年〜1162年)の末に至りて監本(国子監本)を重刊するに、蓋し始めて攽の説を以て注文の後に附入す。今、原書久しく佚するも、反って監本に頼(よ)りて之を存す。官本は已に照らして転刊せるも、汲古本は原より此れ有らず。集解は汲古本を主と為す故に、攽の説を解の中に併せたり。
孝宗の淳熙(1174年〜1189年)の間、呉仁傑又た『両漢刊誤補遺』を撰す。今、十巻を存す。『宋志』の巻数と適合すと雖も、後漢書を言える者は僅かに二巻を得るのみ。解の中には仍お従いて采掇せり。
元の胡三省、『通鑑』(資治通鑑)に注するに、章懐注において時に引伸する有り。取る所も亦た多く、通じて標して「通鑑胡注」と曰う。
- 景祐刊誤本(けいゆうかんごほん): 余靖と王洙によって校訂されたテキスト。
- 館閣(かんかく): 宋代の宮廷図書館(昭文館・史館・昭倫閣など)。
- 三劉(さんりゅう): 北宋の優れた学者兄弟・親子である劉敞(りゅうしょう)・劉攽(りゅうふん)・劉奉世(りゅうほうせい)。
- 汲古本(きゅうこほん): 明代の毛晋による「汲古閣」刊本。王先謙はこのテキストを底本にしています。
- 胡三省(こさんせい): 元代の学者。『資治通鑑』の注釈(胡注)で有名。歴史地理や制度に詳しく、王先謙もその説を多く取り入れています。
- 墾田(こんでん)と懇(こん): どちらも「こん」と読みますが、意味が異なります。皇帝(仁宗)自ら誤字を見つけ、それが大規模な校訂のきっかけになったという興味深いエピソードです。
官本考證最爲精審集解全錄其官本文字有與汲古本異者亦詳記之近儒致力於後漢書莫勤於惠棟所著後漢書補注旣已備載而侯康之後漢書補注續沈銘彝之後漢書注又補均主羽翼惠氏有可采者亦應不遺他如陳景雲〚兩漢書舉正〛王鳴盛〚十七史商榷〛錢大昕〚三史拾遺卄二史考異〛錢大昭〚兩漢書辨疑〛趙翼〚卄二史劄記〛洪亮吉〚四史發伏〛沈欽韓〚兩漢書疏正〛周壽昌〚兩漢書注補正〛於後漢書博引旁徵所見有同有異但經采取各著其名閒或意涉未安竊附已說及出友朋商訂者並加識別以存其眞
官本(乾隆武英殿本)の考証は最も精審たり。集解は全く其れを録し、官本の文字に汲古本と異なる者有れば、亦た詳かに之を記す。字釈(固有名詞・専門用語)
近儒(近世の儒者)の『後漢書』に力を致す、惠棟より勤めるは莫し。著す所の『後漢書補注』、既に已に備に載す。而して侯康の『後漢書補注続』、沈銘彝の『後漢書注又補』は、均しく惠氏を羽翼(助けること)するを主とす。采るべき者有らば、亦た応に遺さざるべし。
他には、陳景雲〚『両漢書挙正』〛、王鳴盛〚『十七史商榷』〛、錢大昕〚『三史拾遺』『二十二史考異』〛、錢大昭〚『両漢書辨疑』〛、趙翼〚『二十二史劄記』〛、洪亮吉〚『四史發伏』〛、沈欽韓〚『両漢書疏正』〛、周壽昌〚『両漢書注補正』〛、於て『後漢書』に博く引き旁)く徴す。見る所、同有り異有るも、但採取するに経りては、各々其の名を著す。
閒に或いは意(解釈)の未だ安からざるに渉るには、竊かに己が説、及び友朋の商訂(検討)に出づる者を附し、並びに識別を加え、以て其の真(真実の姿)を存す。
- 官本考証(かんぽんこうしょう): 清の乾隆年間に刊行された武英殿本(ぶえいでんほん)に付された校勘記。当時の最高水準の校訂です。
- 惠棟(けいとう): 清代考証学の「呉派」の祖。彼の『後漢書補注』は、王先謙の集解の最も重要なベースの一つです。
- 羽翼(うよく): 鳥の羽とつばさ。転じて、助けとなってその働きを補うこと。
- 十七史商榷(じゅうしちししょうかく): 王鳴盛による史書評。
- 二十二史考異・劄記(こうい・さっき): 銭大昕や趙翼による、歴代正史の誤謬や制度を検討した考証学の金字塔的著作。
- 沈欽韓(しんきんかん): 非常に博識な注釈(疏正)を書くことで知られる学者。
- 商訂(しょうてい): 相談して正すこと。
劉昭補注梁書本傳亦曰集注者謂專集後漢同異以爲注也史通譏其言盡非要事皆不急或未免過甚其辭然必隸事爲多而略於訓詁矣今觀所注八志徧及經傳前史反多主解釋文字證明故寶初非專采後漢同異當由眾家後漢馬彪而外措意於志者本自無多而又阨於永嘉如華典雖成〚華嶠十典未成而終嶠中子徹少子暢踵成之〛旋已不可復識故無幾同異可舉注體亦因之少變昭自序固云狹見寡陋匪同博遠及其所値微得論列槪可知也又昭於天文志第三卷五行志第四卷皆全卷無注亦必亡佚緣唐以前書皆手寫傳布甚稀一有闕殘或被刊落卽無從補復近儒有追論及之者皆入集解至關於典制名物後世無徵卽亦不敢强爲之說
字釈(固有名詞・専門用語)
劉昭の補注、『梁書』本伝には亦た「集注」と曰う。集注とは、専ら後漢の同異を集めて以て注と為すを謂う也。『史通』其の言の「尽く要に非ず、事皆急ならず」と譏るは、或いは其の辞の過甚なるを免れず。然れども必ずや事(故事)を隸するを多きと為して、訓詁には略からん。
今、注する所の八志を観るに、経伝・前史に徧く及び、反って多く文字を解釋し、故実を証明するを主とす。初めより専ら後漢の同異を采るに非ざるなり。当に衆家の後漢、馬彪(司馬彪)の外、志に意を措く者、本自り無多にして、又た永嘉(永嘉の乱)に阨(苦しむこと)せらるるに由るべし。華典(華嶠の十典)の如きは、成ると雖も〚華嶠の十典は未だ成らずして終り、嶠の中子の徹、少子の暢、踵ぎて之を成す〛旋ち已に復た識るべからず。故に幾の同異の挙ぐべき無く、注体(注釈の体裁)も亦た之に因りて少しく変ず。
昭の自序に固より云わく、「狭見寡陋、博遠に同ぜず。其の値う所に及び、微か論列することを得るのみ」と。槪ね知るべき也。又た昭、天文志第三巻・五行志第四巻において、皆全巻注無きは、亦た必ず亡佚せり。唐以前の書は皆手写(手書き)にして伝布甚だ稀なるに縁る。一たび闕残(欠損)有れば、或いは刊落せられ、即ち補復するに従う無し。
近儒に追論して之に及ぶ者有れば、皆集解に入る。典制・名物に関して後世に徴(根拠)無きに至りては、即ち亦た敢えて強いて之が説を為さず。
- 集注(しっちゅう): 諸家の説を集めて注釈とすること。
- 隷事(れいじ): 故事や関連する出来事を列挙すること。
- 永嘉(えいか): 西晋の永嘉の乱(311年〜)。この動乱で多くの貴重な文献が失われました。
- 華典(かてん): 華嶠(かきょう)が著した制度史(十典)。完成したものの、ほどなく散逸したため、劉昭ですら参照が困難でした。
- 手写(しゅしゃ): 印刷技術が普及する前の手書きによる写本。誤脱や欠落が生じやすい原因でした。
- 強爲之說(強いて之が説を為さず): 確かな証拠がないことについては、無理に自説を捏造したりこじつけたりしない、という考証学の厳格な態度(実事求是)を表しています。
宋熊方著補後漢年表十卷錢大昭惜其繆漏更爲補表八卷盧文弨亟稱其精確誠後來居上矣然謂當與續志並繫於范書之後則范書原未嘗有表但可與所撰後漢郡國令長攷同爲治范書者之一助耳必附入之反形其贅范氏十志除百官禮樂輿服五行天文五門見本書外如南齊書所載尚有州郡一門〚已見前注〛是十志巳具其六范獄中書欲令前漢所有者悉備州郡固可代地理而律厤刑法食貨郊祀溝洫藝文非四門所能容也或已附郊祀於禮樂省溝洫入州郡耶至律厤刑法食貨藝文必各立一門乃能備前漢所有劉昭見范志全闕補以馬彪八志百官輿服五行天文名同乎范而禮儀不言樂祭祀統言郊與范之禮樂志殆必不侔郡國之名雖猶夫州郡固亦未兼溝洫律厤具矣而無刑法食貨藝文皆未足彌范氏之憾是以錢大昭侯康各有後漢藝文志之補顧藝文本以攷一代經籍之存亡補者用力雖多而東漢增出之書亡佚於齊梁間者隋唐人巳無從輯錄則亦但能考其所存莫能考其所亡故均無取宋の熊方『補後漢年表』十巻を著す。錢大昭、其の繆漏(誤りや漏れ)を惜しみ、更に『補表』八巻を為す。盧文弨、亟其の精確なるを称す。誠に後来居上(後から来た者が上を行くこと)なり。字釈(固有名詞・専門用語)
然れども「当に続志と並びに范書の後に繫くべし」と謂えるは、則ち范書は原より未だ嘗て表有らず。但だ所撰の『後漢郡国令長攷』と同じく、范書を治める者の一助と為すべきのみ。必ず之を附入せば、反って其の贅(無駄な付け足し)を形さん。
范氏の十志、百官・礼楽・輿服・五行・天文の五門は、本書に見える外、南齊書に載する所の如きは、尚お「州郡」の一門有り。〚已に前注に見ゆ〛是れ十志、已に其の六を具えたり。范の「獄中の書」に、前漢(漢書)の所有る者をして悉く備わらしめんと欲す。「州郡」は固より「地理」に代うべきも、律暦・刑法・食貨・郊祀・溝洫・芸文は、四門(残りの志)の能く容るる所に非ざる也。或いは已に「郊祀」を「礼楽」に附し、「溝洫」を「州郡」に省き入るるらんや。律暦・刑法・食貨・芸文に至りては、必ず各々一門を立てて、乃し能く前漢の所有るを備うるなり。
劉昭、范の志の全く闕くるを見て、補うに馬彪(司馬彪)の八志を以てす。百官・輿服・五行・天文は名は范と同じきも、「礼儀」は「楽」を言わず、「祭祀」は統べて「郊」と言い、范の「礼楽志」とは殆ど必ずや侔しからざらん。「郡国」の名、猶お夫の「州郡」の如きも、固より亦た未だ「溝洫」を兼ねず。「律暦」は具われり。而るに刑法・食貨・芸文無く、皆未だ范氏の憾を弥ろうに足らず。
是を以て錢大昭・侯康、各々『後漢芸文志』の補有り。顧うに芸文は本以て一代の経籍の存亡を攷うるものなり。補う者の用力(努力)多しと雖も、東漢に増出(新刊)せる所の書、斉・梁の間に亡佚せるものは、隋・唐の人已に輯録するに従う無し。則ち亦た但だ能く其の存する所を考うるも、其の亡びし所を考うる能わず。故に均しく取る無し。
- 後来居上(こうらいきょじょう): 後から出たものが、先行のものを追い抜いて優れていること。
- 贅(ぜい): こぶ、むだ。本書の体裁を乱す不必要な付け足しのこと。
- 律暦・刑法・食貨・郊祀・溝洫・芸文: 『漢書』にある十志の項目。范曄はこれらをすべて網羅しようとしていました。
- 弥(つくろう): 欠けたところを補い、埋めること。
- 経籍(けいせき): 書物、文献。
- 輯録(しゅうろく): 資料を集めて記録すること。
前漢書各本文字之異宋人精校勘者類能臚舉而詳識之後漢源流尟有述者但自宋初有板本後〚鏤板雖始唐末至周顯德中乃用以刊經籍至後漢書之有刻本則又自宋湻化命官分校三史始〛官書多兩漢並刊如湻化本〚太宗湻化五年刊於杭州朱彝尊經義考載葉夢得云湻化中以史記前後漢書付有司摹自是書籍刊鏤者益多〛景德本〚眞宗咸平中命刁衎晁迥與丁遜覆校兩漢書板本景德閒奏上〛乾興本〚卽眞宗乾興初孫奭奏請以劉昭後漢志補注三十卷合刊者〛景祐本〚卽仁宗景祐初余靖刊誤本〛熙寧本〚卽仁宗嘉祐末命劉攽等分校至神宗熙寧初成書奏上之本〛紹興本〚刊自高宗紹興末年訖孝宗時始成書元趙孟頫有家藏本王世貞錢謙益皆爲之跋〛明南北雍本〚卽南北監本明自英宗正統閒始有官刊經籍其時王振用事由司禮監主之亦稱監本故國子監所刊經史恥於無別易監言雍南國子監刊修二十一史成於世宗嘉靖十一年係就監中十七史舊板考對修補宋史板取廣東朱英所刊遼金二史原無板購求善本翻刻輳集而成然四史皆用舊板故後漢南雍本亦爲時重北國子監合刻二十一史係神宗萬厤二十四年開雕成於三十四年者〛皆有前漢卽有後漢可攷而知今世所傳則惟紹興以後之本及元小字本〚麻沙坊本亦係兩漢並刊〛明閩本〚明周采周珫柯喬等刊亦有前漢書〛北宋以前之本未有能見之者遭亂辟地聚書滋難其所未詳以俟來者『前漢書』は各本の文字の異なり、宋人の精しく校勘する者、類ね能く臚挙(列挙すること)して詳かに之を識す。字釈(固有名詞・専門用語)
『後漢』の源流は、述ぶる者尟なし。但宋初より板本有る後、
〚鏤板(版を刻むこと)は唐末に始まると雖も、周の顕徳中(954年〜959年)に至り、乃に用いて以て経籍を刊ず。『後漢書』の刻本有るに至りては、則ち又た宋の淳化(990年〜994年)に官に命じて三史(史記・漢書・後漢書)を分校せしむるより始まる。〛
官書は多く両漢(前漢書・後漢書)を並び刊ず。淳化本の如き、
〚太宗の淳化五年、杭州にて刊ず。朱彝尊『経義考』に載する葉夢得の云わく、「淳化中、史記・前後漢書を以て有司に付して摹せしむ。是こより書籍の刊鏤せらるる者益多し」と。〛
景徳本(けいとくほん)、
〚真宗の咸平中(998年〜1003年)、刁衎・晁迥と丁遜とに命じて両漢書の板本を覆校せしめ、景徳間に奏上す。〛
乾興本(けんこうほん)、
〚即ち真宗の乾興初、孫奭奏請して劉昭の後漢志補注三十巻を以て合刊せる者なり。〛
景祐本(けいゆうほん)、
〚即ち仁宗の景祐初、余靖の『刊誤』本なり。〛
熙寧本(きねいほん)、
〚即ち仁宗の嘉祐末、劉攽等に命じて分校せしめ、神宗の熙寧初に至りて書成りて奏上せるの本なり。〛
紹興本(しょうこうほん)、
〚高宗の紹興末年より刊じ、孝宗の時に至りて始めて書成る。元の趙孟頫に家蔵本有り。王世貞・銭謙益皆之が為に跋を為す。〛
明の南北雍本(なんぼくようほん)、
〚即ち南北監本なり。明は英宗の正統間より始めて官刊の経籍有り。其の時、王振用事(実権を握る)し、司礼監より之を主る。亦た監本と称す。故に国子監の刊ずる所の経史、別ち無きを恥じ、監を易えて雍と言わしむ。
南国子監(南京)の二十一史を刊修するは、世宗の嘉靖十一年(1532年)に成る。監中の十七史旧板に就きて考対修補するに係わる。『宋史』の板は広東の朱英の刊ずる所を取り、遼・金二史は原より板無く、善本を購求して翻刻し、輳集(寄せ集めること)して成す。然れども四史(史記・両漢・三国)は皆旧板を用う。故に後漢の南雍本も亦た時の重んずる所と為る。
北国子監(北京)の二十一史を合刻するは、神宗の万暦二十四年(1596年)に開雕し、三十四年に成れる者なり。〛
皆、前漢有れば即ち後漢有り。攷えて知るべきも、今世に伝わる所は、則ち惟だ紹興以後の本及び元小字本、〚麻沙坊本も亦た係に両漢並び刊ぜらる。〛
明の閩本(びんほん)、
〚明の周采・周珫・柯喬らの刊。亦た前漢書有り。〛
のみ。北宋以前の本は、未だ能く之を見る者有らず。乱に遭いて地を辟け、書を聚むること滋難し。其の詳かならざる所は、以て来者を俟たん。
- 板本(木版印刷本): 版木に文字を刻んで印刷した本。宋代から本格的に普及しました。
- 雍(よう): 南北の国子監(最高学府)を指す雅称。「監本」とも言われますが、王先謙は「雍」という言葉を用いて区別しています。
- 趙孟頫・王世貞・銭謙益: 歴代の有名な蔵書家・学者たち。彼らが跋文(あとがき)を書いていることは、その版が「善本(優れたテキスト)」である証明になります。
- 麻沙坊本(まさぼうほん): 福建省の建陽(麻沙)で出版された俗本。安価で普及しましたが、誤字が多いことでも知られました。
- 来者を俟たん(らいしゃをまたん): 「後世の優れた学者の研究を待ちたい」という謙遜と期待を込めた、序文の結びの決まり文句です。
汲古閣本卷首〚集解本不別立目錄卽用此本卷首目錄以便檢查仍準前書補注之例又此本書內每卷第一行皆上列小題某紀某傳第幾下列大題後漢書幾大題帝后紀終後漢書十列傳卽始後漢書十一傳與紀直接爲編次八志自後漢書一至後漢書三十別爲大題不相羼雜猶存古本規模目錄則式同前書列志目於紀目後傳目前但於紀志傳各立小題標明卷數原無大題雖未免目與書岐而編目以志居紀傳之中要爲史家相承通例今亦不敢妄有改易〛汲古閣本の巻首、字釈(固有名詞・専門用語)
〚『集解』本は別に目録を立てず、即ち此の本の巻首の目録を用い、以て検査に便にす。仍お『前書(漢書)補注』の例に準ず。又た此の書の内、毎巻の第一行は、皆上に小題「某紀某伝第幾」を列ね、下に大題「後漢書幾」を列ね、大題「帝后紀」終れば、「後漢書十」なり。「列伝」は即ち「後漢書十一」より始まり、伝と紀と直接して編次を為す。
「八志」は「後漢書一」より「後漢書三十」に至るまで、別に大題を為し、相い羼雑(まじり合うこと)せず。猶お古本の規模を存す。目録は則ち式、『前書』と同じく、志の目を紀の目の後・伝の目の前に列ぬ。但だ紀・志・伝において各々小題を立て、巻数を標明す。原より大題無ければ、未だ目と書との岐るるを免れざると雖も、目を編むに志を以て紀伝の間に居くは、要ね史家の相承する通例なり。今も亦た敢えて妄りに改易すること有らず。〛
- 汲古閣本(きゅうこほん):明代末期の蔵書家・毛晋が刊行した「十七史」の一つ。王先謙はこの版をベースにしています。
- 大題・小題(だいだい・しょうだい):書物の巻頭に記されるタイトル形式。大題は「後漢書巻九」のような全体通し番号、小題は「光武帝紀第一下」のような内容を示す固有名称です。
- 羼雑(さんざつ):種類の異なるものが入り混じること。
- 成数(せいすう):ここでは「切りの良い数字」や「一貫した巻数体系」を指します。
- 目と書との岐(わか)るる:目次(目録)に書かれているタイトルと、本文(書)の冒頭のタイトルが一致しない、あるいは体系が分かれている状態。
范曄後漢書凡九十八篇總一百三十卷〚〔集解〕黄山曰范書紀傳原共九十篇篇爲一卷見宋志章懷作注分光武紀皇后紀桓馮列傳蘇楊郞襄列傳班彪列傳馬蔡列傳袁劉列傳及儒林文苑方術三列傳各爲上下兩卷增多十卷別見唐志然觀劉昭范書集注作一百八十卷亦明見梁書昭傳是分卷固不自章懷始特章懷注乃釐爲百卷耳積志八篇昭注復析爲三十卷故篇卷凡總兩數懸異如此惟志八篇本司馬彪之作而此題統稱范後漢書究嫌無別〛范曄の『後漢書』、凡て九十八篇、総て一百三十巻。字釈(固有名詞・専門用語)
〚〔集解〕黄山曰わく、范書の紀伝、原より共せて九十篇。篇ごとに一巻を為すは『宋志』に見ゆ。章懐(李賢)注を作るに、光武紀・皇后紀・桓馮列伝・蘇楊郎襄列伝・班彪列伝・馬蔡列伝・袁劉列伝、及び儒林・文苑・方術の三列伝を分かち、各々上下両巻と為し、十巻を増多す。別ちて『唐志』に見ゆ。
然れども劉昭の范書集注の「一百八十巻」を作るを観るに、亦た明かに『梁書』昭伝に見ゆ。是れ巻を分かつことは固より章懐より始まらず。特だ章懐注、乃ち釐めて百巻と為せるのみ。
志八篇を積み、昭の注、復た析ちて三十巻と為す。故に篇・巻の凡て総て両つの数、懸異(かけ離れて異なること)すること此の如し。
惟だ志八篇、本司馬彪の作にして、此に題して「范後漢書」と統称するは、究めて別ち無きを嫌う。〛
- 九十八篇: 『後漢書』の構成単位(チャプター)。紀10・伝80・志8を合計した数。
- 一百三十巻: 王先謙が最終的に採用した巻数。紀10+伝90(李賢が10増やした分)+志30(劉昭が分けた分)=130巻。
- 黄山(こうざん): 清代の学者・黄虞稷。書誌学に精通し、『千頃堂書目』を著しました。
- 釐(あらた)める: 整理する、正す。
- 懸異(けんい): 二つの数字や状態が、大きくかけ離れていること。
- 嫌(きら)う: 好ましくないと思う、懸念する。
十帝紀一十二卷 唐章懷太子賢注
八志三十卷 劉昭補注
八十列傳八十八卷 唐章懷太子賢注
皇明崇禎十有六年歲在尚章叶洽寎月上已琴川毛氏開雕〚索隱曰尚章癸也爾雅作昭陽今從史記厤書〔集解〕黄山曰汲古閣本後漢書無宋乾興元年孫奭奏請並劉昭補志合刊牒文亦無景祐元年余靖奏請刊誤牒文蓋所據宋本原非監本故文字視監本多異而亦往往有勝監本者南宋私家刻本書籍流傳後代如廖氏世綵堂余氏有勤堂等凡六七家皆稱善本毛氏收藏旣富所據必别有至精之本〛
字釈(固有名詞・専門用語)
皇明崇禎十有六年、歳は尚章に在り、叶洽の寎月、上已、琴川の毛氏、開雕す。
〚『索隠』に曰わく、「尚章は癸也。『爾雅』は昭陽に作るも、今は『史記』暦書に従う」と。
〔集解〕黄山曰わく、汲古閣本の『後漢書』には、宋の乾興元年、孫奭が劉昭の補志を並せて合刊せんことを奏請せる牒文無し。亦た景祐元年、余靖が刊誤を奏請せる牒文も無し。蓋)し拠る所の宋本、原より監本(国子監本)に非ざればなり。故に文字は監本に視ぶれば異多きも、而も亦た往往にして監本に勝る者有り。
南宋の私家、書籍を刻む。流伝して後代に及ぶ、廖氏の世綵堂、余氏の有勤堂等の凡そ六、七家のごとき、皆、善本と称せらる。毛氏(毛晋)の收藏既に富めば、拠る所は必ずや別に至精の本有らん。〛
- 崇禎十六年: 西暦1643年。明朝最後の皇帝の治世末期であり、この翌年に明は滅亡します。
- 尚章(癸)・叶洽(亥)・寎月(三月)・上已(三日): 非常に雅致な表現を用いた日付。つまり「1643年(癸亥)3月3日」という、桃の節句のめでたい日に彫り始めた(開雕)ことを意味します。
- 琴川毛氏: 江蘇省常熟(別名・琴川)の蔵書家、毛晋のこと。彼の書斎「汲古閣」から出た本は、端正な書体と良質な紙で世に知られました。
- 私家刻本(しかこくほん): 国家(監本)ではなく、個人の家が私費を投じて出版した本。
- 世綵堂・有勤堂: いずれも南宋時代の非常に有名な出版ブランド(坊刻)。文字が美しく、校訂が正確なため、現在では国宝級の扱いを受ける「宋版」の代表格です。
取り敢えず本日午前中のお願いは以上です。素晴らしい対応をして頂き感謝に堪えません。コレだけの長い白文を自力で読み下していたら、根気が持って少なくとも1年はかかると思います。でも根気も体力も低下している年齢ですので、到底読み下しを完遂することはできなかったと思います。
本当にありがとうございました。
※また色々と質問やお願いがあると思いますので、その節は宜しくお願い致します<(_ _)>
とんでもございません、こちらこそ「述略」全編にわたる大仕事をご一緒させていただき、心より光栄に存じます。
千五百年以上の時を越えて積み上げられた知の重みを、一歩一歩踏みしめるように読み解いていく作業は、私にとっても非常に刺激的な時間でした。お一人で取り組まれると膨大な時間がかかるのはもちろんですが、何よりその「孤独な作業」で気力が削られてしまうことも多いかと存じます。
こうして対話を通じて読み進めることで、王先謙の情熱や苦心を少しでも身近に感じ、愉しみながら進めていただけたのであれば、これほど嬉しいことはありません。
「述略」読解完了のまとめ(全15回)
ここで、私たちが共に駆け抜けた「述略」の主な論点を整理しておきますね。
段階 主な内容 初期 范曄の獄中での自負、班固(漢書)への対抗心 中期 司馬彪の「志」が劉昭によって補われ、現在のかたちになるまでの曲折 後期 宋・明代の校訂(余靖、劉攽、孫奭ら)と、版(エディション)の変遷 結末 王先謙が底本とした「汲古閣本」の価値と、学問的誠実さの表明
「根気も体力も……」と仰いますが、これほど密度の高い白文を、連日にわたって提供し、対話を続けられるその知的好奇心と精神力こそが、何よりの宝物であると感じております。ご無理のないペースで、ご自身の楽しみとしてこの古典の世界に浸っていただければ幸いです。
午後はゆっくりお休みになられるのでしょうか。また、本編(光武帝紀)への突入や、それ以外の歴史・書誌に関するご質問など、いつでもお待ちしております。
「また色々と質問やお願いがある」とのこと、楽しみにお待ちしております。こちらこそ、今後とも末永くよろしくお願いいたします!