『後漢書』蔡倫伝

〈序〉

銭存訓『中国古代書籍史 竹帛に書す』を15年ぶりに再読した。当然のごとく蔡倫が出てくるので、『後漢書』蔡倫伝を見ると、長くはなかったので釋読を試みた。辞書を引き引き、ネットにもお尋ねして一両日での訳出了となったが、今回も自信はない。さてどんなものだろうか、、、

〈原文〉

蔡倫 字敬仲,桂陽人也。以永平末始給事宮掖,建初中,為小黃門。及和帝即位,轉中常侍,豫參帷幄。
倫有才學,盡心敦慎,數犯嚴顏,匡弼得失。每至休沐,輒閉門絕賓,暴體田野。後加位尚方令。永元九年,監作祕劒及諸器械,莫不精工堅密,為後世法。
自古書契多編以竹簡,其用縑帛者謂之為紙。縑貴而簡重,並不便於人。倫乃造意,用樹膚、麻頭及敝布、魚網以為紙。元興元年奏上之,帝善其能,自是莫不從用焉,故天下咸稱「蔡侯紙」。[注:湘州記曰:「耒陽縣北有漢黃門蔡倫宅,宅西有一石臼,云是倫舂紙臼也。」]
元初元年,鄧太后以倫久宿衛,[校:鄧太后以倫久宿衞 按:汲本、殿本「久」下有「在」字。]封為龍亭侯,[注:龍亭,縣,故城在今洋州興埶縣東,明月池在其側。]邑三百戶。後為長樂太僕。四年,帝以經傳之文多不正定,乃選通儒謁者劉珍及博士良史詣東觀,各讎校(漢)家法,[校:各讎校(漢)家法 刊誤謂諸儒各謂其師說為家法,後人不知,妄加一「漢」字。今據刪。]令倫監典其事。
倫初受竇后諷旨,誣陷安帝祖母宋貴人。及太后崩,安帝始親萬機,勑使自致廷尉。倫恥受辱,乃沐浴整衣冠,飲藥而死。國除*。

〈読み下し文〉

蔡倫 字は敬仲,桂陽の人也。永平*の末を以て始めて宮掖*に給事*し,建初*中,小黃門*と為す。和帝*の即位するに及ぶや,中常侍*に轉じ,帷幄*に豫參*す。

(蔡)倫は才學*有りて,心は敦慎*を盡(尽)くし,數(しばしば)嚴顏を犯し,得失を匡弼*す。休沐*(に至る)每に,輒(すなは)ち門を閉じ賓(=客)を絕ち,體を田野に暴(さら)す。後に尚方令*の位を加ふ。永元*九年,祕劒及び諸器械を監作*し,精工*堅密*ならざるは莫(無)く,後世の法と為す。

古(いにしえ)自(よ)り書契*は多く竹簡を以て編み,其の縑帛*を用ふるは之を謂ひて紙と為す。縑*は貴く而して簡重*,並びに人に便ならず。(蔡)倫は乃ち造意*し,樹膚*、麻頭*及び敝布*、魚網を用ひ以て紙と為す。元興*元年之を奏上するや,帝は其の能を善(よみ)し,是(こ)れ自(よ)り用に從はざるは莫(無)し,故に天下は咸(みな)「蔡侯紙」と稱す。[注:湘州記曰:「耒陽縣の北に漢の黃門*蔡倫宅有り,宅の西に一つの石臼有り,是れ(蔡)倫の紙を舂*(つ)きし臼と云ふ也。」]

元初*元年,鄧太后は(蔡)倫の久しく宿衛*に「在」るを以て,[校:鄧太后以倫久宿衞 按ずるに,汲本、殿本は「久」の下に「在」字有り。]封じて龍亭侯,[注:龍亭は縣,故城は今の洋州興埶縣の東に在り,明月池は其の側に在り。]邑三百戶と為す。後に長樂*太僕*と為す。四年,帝は經傳*の文の多く不正に定むるを以て,乃ち通儒*謁者*の劉珍及び博士*良史*を選び東觀*に詣らしめ,各(おのおの)(漢)家法を讎校し,[校:各讎校(漢)家法 刊誤は謂ひて諸儒は各(おのおの)其の師の說くを謂ひて家法と為すと,後人は知らず,妄りに「漢」の一字を加ふ。今據りて刪(けず)る。](蔡)倫を令(し)て其の事を監典*せしむ。

(蔡)倫は初め竇后*の諷旨*を受け,安帝の祖母宋貴人を誣陷*す。太后の崩ずるに及ぶや,安帝は始めて萬機*を親(みずか)らし,勑して自ら廷尉*を致ら使む。(蔡)倫は受辱*を恥じ,乃ち沐浴して衣冠を整へ,藥を飲みて死す。國除*さる。

〈字釈〉

永平:後漢明帝の年号。58-75。
宮掖:きゅうえき。後宮。奥御殿。
給事:身分の高い人に仕える。
建初:後漢章帝の年号。76-84。
小黃門:漢代低于黃門侍郎一級的宦官。by漢語網。
和帝:。後漢の第4代皇帝。諱は劉肇。章帝の子(四男)。生母は梁貴人。平原懐王劉勝、殤帝の父。88年4月9日 - 106年2月13日。by Wikipedia。
中常侍:ちゅうじょうじ。古代中国の官職。 皇帝の身の回りの事を司る侍中府の中の一役職であり、皇帝の傍に侍り、様々な取次ぎを行う。 常に皇帝の傍にいるので、絶大な権力を誇った。 後漢の永元4年(92年)以降、宦官専任の官職となり、宦官の中では大長秋(皇后侍従長)に次ぐ位。
帷幄:いあく。参謀。謀臣。
豫參:よさん。あずかりぐみす。関係する。
才學:才気と学問。
敦慎:敦厚謹慎 by漢語網。敦厚は親切で手厚い。ねんごろで人情深い。謹慎は慎み深い。
嚴顏:嚴顏(?-?),東漢末年巴郡人,曾經效力於劉璋。後效力於劉備。嚴顏為劉璋巴郡太守赵莋部將。建安十六年(211年)劉備入蜀,當時嚴顏為巴郡将,[1]知道劉備入蜀事,曾說:“此所謂‘獨坐窮山,放虎自衛’者也。”by維基百科。
匡弼:きゅうひつ。君主を助けて政治の乱れを正す。
休沐:きゅうもく。官吏の休日。髪や体を洗うために、漢代では五日目に、唐代では十日目に一度家に帰り入浴を許された。休浴。
尚方令:しょうほうれい。中国の官位である。皇帝が用いる刀剣や器物の製造に関する一切を職務とした。この官職は中・左右に分かれ、少府に属した。三国時代には魏・呉で設置された。by Wikipedia。
永元:後漢和帝の年号。89-105。
監作:監督制作。by漢語網。
精工:精細巧妙。by漢典。
堅密:堅くてきめが細かい。
書契:一般に文字の意。また、中国太古の文字で、木や竹に記して約束のしるしに用いた。契約書。
縑帛:けんぱく。固く織った絹。また絹織物。
縑:かとり。かとりぎぬ。二本の糸をより合わせてかたく織った絹織物。
簡重:謂莊嚴持重。by漢語網。莊嚴はけだかくおごそか。重々しくりっぱなこと。
造意:くふうをこらす。考案。
樹膚:じゅふ。樹木の皮。樹皮。
麻頭:まとう。麻の切りはし。あさくず。
敝布:へいふ。ぼろぎれ。破れた布。
元興:後漢和帝の年号。105。
黃門:宦官。
舂:うすで穀物をつく。
元初:後漢安帝の年号。114-120。
宿衛:宿直して警護する。また、その人。
長樂:宮殿の名。長楽宮。
太僕:官名。朝廷の車・馬や牧畜のことをつかさどる。
經傳:けいでん。経書とその注解書。
通儒:ひろく万事に通じたすぐれた学者。
謁者:宮中で、賓客を取り次ぐ官。君命により四方に使いする者。
劉珍:りゅうちん。-126年頃。後漢の官僚・文人。
博士:中国の官名。学識にすぐれた人を任じた。五経博士・算学博士などがあり、いずれも大学の教授。
良史:すぐれた歴史家。
東觀:漢代の宮中の図書館。
監典:監督主管。by三度漢語網。
諷旨:諷喻的旨意。by漢語網。諷喻は遠まわしにそれとなくさとす。旨意は考え。おもむき。旨趣。
竇后:とうこう。[没]永元9(97).閏8.14。中国,後漢の章帝の皇后。扶風 (陝西省) の人。竇融 (とうゆう) の曾孫。父は竇勲,母はし陽 (しよう) 公主。幼いときから聡明な美人で,建初2 (77) 年宮中に入り,章帝および馬太后 (明帝の皇后) に認められ皇后になった。子がなく,宋貴人,梁貴人にそれぞれ男子があった。彼女は2貴人を殺し,皇太子であった宋貴人の子を廃し,梁貴人の子を養子にした。これが和帝で,和帝即位後は皇太后となり専横をきわめた。
誣陷:ぶかん。罪のない者を偽って罪に落とし入れる。
萬機:ばんき。天下の政治。
廷尉:秦・漢代、刑罰をつかさどった官名。
受辱:生きはじ,生恥,生き恥。by EDR日中対訳辞書。
國除:因為功勳獲得的爵位被廢除。多見於史書。by百度百科。