格闘與范曄後漢書自序之顛末

『宋書』范曄伝 所謂獄中與諸甥姪書


〈序〉

范曄について調べていくうちに、范曄による『後漢書』の自序なるものがあるのを知る。啓明書局版『後漢書』列伝末尾に付せられているのを見、またネット検索でも行き当たる。それは「獄中與諸甥姪書」と称せられているが、独立して書かれたものではなく、『宋書』范曄伝中に【曄獄中與諸甥姪書以自序曰】という文に続けて収められているものであることを次に知った。

いつものように、少しばかり意気込んで釋読を始めたものの、すぐに立往生することになる。辞書を引き、ネットで語意を調べても文意が読めず通じず一向に歩みは進まない。すると、中文百科「獄中與諸甥侄書」というサイトに遭遇し、その詳細な注釈を得ることができた。しかし、「中文百科」もまた漢文であるから、「漢和辞典」を引きつつ、蝸牛のごとく進んでゆくしか方途はない。

と、ひらめいたことがあった。吉川忠夫訓註『後漢書』の「解題」に、范曄について詳しく述べてある。その中に、今自分が四苦八苦してほとんど進まない難解な文章と似たような内容の釈文が掲げてあることを思い出したのだ。388頁「五 范曄の心の軌跡―「諸甥姪に与うる書」」だ!既に山頂まで高速エレベーターの用意されている山を自分は非力な脚で杖を付きながら登ろうとしていたのだ。そう思うと気が抜けた。気は抜けたものの、中途で止めるのもこれまで費やした時間をどぶに捨てる如きものかと思い、拙脳に鞭をふるいつつ形のみながらも完遂するに至る。

さて、吉川忠夫京都大学名誉教授の「諸甥姪に与うる書」訳出をゆっくりと読んでみる。凡人にも分かりやすい文章だ。なるほどそういう意味なのか、、、と納得はできたが、今度は納得できないことが生じてしまった。范曄の原文からどうしてこのような訳出が導かれるのか?「中文百科」の注釈を借用しても、その注釈自体が理解するに素養が求められるように思える程であるから、原文と吉川訳との乖離は、この拙脳を以てして到底埋まるものではなかった。

ではさて、四苦八苦して拙読を試みた范曄の「獄中與諸甥姪書」の訳出を反故にしていいのか?陸機「辨亡論」の際に思ったことを噛み締めてみる。そもそも自分の拙さを自分が自覚してあげることこそ、自分を知る最も正直な道ではないか?自分でも文意の理解できない訳出を敢えて公開し、自分の記念碑とすることは恥ずべきことでもないし、無益なことでもないのかも知れない。よって、自分のサイトに「格闘與范曄後漢書自序之顛末」と題して掲げることとした。on 2020/4/1


〈原文〉

曄獄中與諸甥姪書以自序曰

吾狂釁覆滅,豈復可言,汝等皆當以罪人棄之。然平生行己任懷,猶應可尋。至於能不,意中所解,汝等或不悉知。吾少懶學問,晚成人,年三十許,政始有向耳。[注:政始有向耳 「向」南史作「尚」,文義較勝。]自爾以來,轉爲心化,推老將至者,亦當未已也。往往有微解,言乃不能自盡。爲性不尋注書,心氣惡,小苦思,便憒悶,口機又不調利,以此無談功。至於所通解處,皆自得之於胸懷耳。文章轉進,但才少思難,所以每於操筆,其所成篇,殆無全稱者。常恥作文士。文患其事盡於形,情急於藻,義牽其旨,韻移其意。雖時有能者,大較多不免此累,政可類工巧圖繢,竟無得也。常謂情志所託,故當以意爲主,以文傳意。以意爲主,則其旨必見;以文傳意,則其詞不流。然後抽其芬芳,振其金石耳。此中情性旨趣,千條百品,屈曲有成理。自謂頗識其數,嘗爲人言,多不能賞,意或異故也。性別宮商,識清濁,斯自然也。觀古今文人,多不全了此處,縱有會此者,不必從根本中來。言之皆有實證,非爲空談。年少中,謝莊最有其分,手筆差易,文不拘韻故也。吾思乃無定方,特能濟難適輕重,所稟之分,猶當未盡。但多公家之言,少於事外遠致,以此爲恨,亦由無意於文名故也。本未關史書,政恒覺其不可解耳。既造後漢,轉得統緒,詳觀古今著述及評論,殆少可意者。班氏最有高名,既任情無例,不可甲乙辨。後贊於理近無所得,唯志可推耳。博贍不可及之,整理未必愧也。吾雜傳論,皆有精意深旨,既有裁味,故約其詞句。至於循吏以下及六夷諸序論,筆勢縱放,實天下之奇作。其中合者,往往不減過秦篇。嘗共比方班氏所作,非但不愧之而已。欲徧作諸志,前漢所有者悉令備。雖事不必多,且使見文得盡。又欲因事就卷內發論,以正一代得失,意復未果。贊自是吾文之傑思,殆無一字空設,奇變不窮,同合異體,乃自不知所以稱之。此書行,故應有賞音者。紀、傳例爲舉其大略耳,諸細意甚多。自古體大而思精,未有此也。恐世人不能盡之,多貴古賤今,所以稱情狂言耳。吾於音樂,聽功不及自揮,但所精非雅聲,爲可恨。然至於一絕處,亦復何異邪。其中體趣,言之不盡,弦外之意,虛響之音,不知所從而來。雖少許處,而旨態無極。亦嘗以授人,士庶中未有一豪似者。此永不傳矣。吾書雖小小有意,筆勢不快,餘竟不成就,每愧此名。
曄自序並實,故存之。


〈読み下し〉

范曄 獄中にて諸甥姪に與ふる書を自序と以てして曰く

吾(われ)狂釁(きょうきん)*し覆滅(ふくめつ)*するは,豈(あに)復(また)言ふ可きや,汝等皆當(まさ)に罪人を以て之を棄(す)つべし。然(しか)れども平生(へいぜい)*の行は己(すで)に懷(こころ)に任(まか)すも,猶(なほ)應(こた)へて尋(たず)ぬ可し。至於能不,意中所解,汝等或不悉知。(以上、『宋書』范曄伝より)
吾少(若)くして學問を嬾(怠=おこた)り、晩(おそ)くして人と成るは年三十許(ばか)りにして,政(まさ)に始めて向き有る耳(のみ)。爾(これ)自(よ)り以來,轉じて心を化(あらた)め爲(た)り,推(おしはか)るに老(お)い將(まさ)に至るは,亦(また)當(まさ)に未だ已(や)まざる也。往往にして微(かす)かに解する有るも,言ふに乃(すなは)ち自ら盡(つ)くす能(あた)はず。性(さが)爲(た)るや注書(ちゅうしょ)*に尋ねず,心氣(しんき)*惡く,小(すこ)しく苦思(くし)*し,便(すなわ)ち憤悶(ふんもん)*す;口機(こうき)*又不調利*にして,以て此(か)く談功(だんこう)*も無し。通解(つうかい)*する所に至る處は,皆自(みづか)ら之を胸懷(きょうかい)*に得る耳(のみ)。文章は轉進するも,但(ただ)才は少く思は難にして,所以(ゆえ)に操筆の每(ごと)に,其の篇を成す所は,殆んど稱(たた)へる者は全く無し。常に文士と作すを恥づ。文は其の事の形に盡きるを患(わずら)ひ,情は藻(そう)*に急にして,義は其の旨を牽(ひ)き,韻は其の意に移る。時に能者(のうしゃ)*有ると雖(いへど)も,大較(たいこう)*多くは不此の累を免(まぬか)れず,政(まさ)に工巧(くぎょう)*圖繢(ずかい)*に類す可(べ)く,竟(つひ)に得るは無き也。常に謂(おも)ふは情志(じょうし)*の託する所にして,故(ゆえ)に當(まさ)に意を以て主と爲すべく,文を以て意を傳ふ。意を以て主と爲すは,則(すなは)ち其の旨や必ず見ゆ;文を以て意を傳ふれば,則ち其の詞や流れず。然(しか)る後(のち)其の芬芳(ふんぽう)*を抽(ぬ)けば,其の金石(きんせき)*を振(ふ)るふ耳(のみ)。此の中の情性(じょうせい)*旨趣(ししゅ)*は,千條百品(せんじょうひゃっぴん),屈曲して理を成す有り。自(みずか)ら頗(すこぶ)る其の數*を識(し)ると謂(おも)ひて,嘗(かつ)て人に言(げん)を爲すに,多くは賞(ほ)むる能(あた)はず,意の或ひは異(こと)にする故(ゆえ)也。性は宮商(きゅうしょう)*を別(わか)ち,清濁を識(し)るは,斯(か)く自然也。古今の文人を觀るに,多くは此處(ここ)を了(を)へるを全(まった)うせず,縱(ほしい)ままに此を會す有るは,必ずしも根本中從(よ)り來たらず。之を言ふは皆實證有りて,空談を爲すに非(あら)ず。年少*中,謝莊*は最も其の分有り,手筆*は差(やや)易(やす)く,文の韻に拘(とら)はれざる故(ゆえ)也。吾(わ)が思は乃(すなは)ち定方*無く,特に難を濟(すく)ひ輕重を適(かな)ふを能(よ)くし,所稟(しょりん)*の分は,猶(な)ほ當(まさ)に謂(い)ひ盡(つ)くすべからず。但(ただ)公家之言*多く,事外遠致*に少なく,以て此(か)く恨(うら)みと爲すは,亦(また)意の文名(ぶんめい)*に無き故に由る也。本(もと)より未(いま)だ史書に關(かか)わらず,政(まさ)に恆(つね)に其の不可解を覺(さと)る耳(のみ)。既に『後漢』(後漢書)を造り,轉じて統緒(とうちょ)*を得,古今の著述及び評論を詳觀するに,殆んど意(おも)ふ可きは少し。班氏(班固)は最も高名有り,既に情に任(まか)せしこと例(たぐひ)無く,甲乙を辨ず可からず。後贊(ごさん)*は理に於ひて近(ほとん)ど得る所は無く,唯(ただ)志を推(お)す可き耳(のみ)。博贍(はくせん)*之(これ)に及ぶ可からずして整理は未だ必ずしも愧(は)じざる也。吾(わ)が雜傳論は,皆精意(せいい)*深旨(しんし)*有り,既に裁味(さいみ)*有り,故に其の詞句を約(つづ)む。「循吏」より以下「六夷」に及ぶ諸序論に至りて,筆勢は縱放*にして實に天下の竒作なり。其の中合者,往往(おうおう)*にして『過秦篇』に減(おと)らず。嘗(かつ)て共に班氏(班固)の所作と比方(ひほう)*するに,但(ただ)之を愧(は)じざる而已(のみ)に非ず。遍(あまね)く諸志を作るを欲し,『前漢』(漢書)の有する所は悉(ことごと)く備(そな)は令(し)む。事は必ずしも多からずと雖(いへど)も,且(ただ)見文*をして得盡(とくじん)*せ使(し)む。又事に因(よ)り卷內に就(つ)きて發論*を欲し,以て一代の得失を正すも,意復(また)未だ果たさず。贊(さん)は自(おのづ)から是(これ)吾が文の傑思(けっし)にして,殆んど一字として空しく設けるは無く,奇變(きへん)*は窮(きは)まらず,異體(いたい)*を同含(どうがん)*し,乃(すなは)ち自(みずか)ら以て之を稱(たた)へる所を知らず。此の書行(おこな)はば,故應(?)音を賞(め)づる者有り。紀、傳の例は其の大略を舉ぐる爲(ため)耳(のみ)にして,諸(もろもろ)の細意は甚だ多し。古(いにしえ)自り體(たい)大きくして思*ひの精*なるは,未だ此(これ)有らざる也。世人の之を盡くす能(あた)はず,多くは古を貴(たっと)び今を賤(いやしむ)るを恐るるは,所以(ゆえもって)稱情(しょうじょう)*し狂言*する耳(のみ)。吾(われ)音樂に於(お)いて,聽くは功(たくみ)にして自ら揮(ふる)ふは及ばず,但(ただ)精(くは)しき所は雅聲(がせい)*に非ざるは,恨(うら)みとする可しと爲す。然るに一絕處(いちぜっしょ)*に至らば,亦復(また)何ぞ異ならんや。其の中の體趣は,之を言ふに盡(つ)くさず,弦外の意,虛響の音は,從(よ)って來たる所を知らず。少し許(ばか)りの處(ところ)と雖(いへど)も,而して旨態(したい)*は極まり無し。亦(また)嘗(かつ)て以て人に授けしも,士庶(ししょ)*の中に未だ一毫(いちごう)*も似る者は有らず。此(これ)永(ひさ)しく傳はらず。吾が書小小*意有ると雖(いへど)も 筆勢は快(こころよ)からず餘*は竟(つひ)に成就せざるは每(つね)に此の名に愧(は)づ。


〈注〉

狂釁:釁はあやまち。つみ。とが。疏狂放浪,不拘小節。釁,通“興”偏激,衝動。《左傳·襄公二十六年》:“釁於勇。”杜預註:“釁,動也。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
覆滅:くつがえり滅びる。滅亡する。指因參與謀立彭城王義康事泄而遭致殺身之禍。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
平生:ふだん。日ごろ。平常。
縱放:放縦。わがまま。かって気まま。
小小:非常に小さい。わずかばかり。
循吏:『後漢書』「循吏列伝」。
六夷:『後漢書』巻七十五乃至巻八十の夷蛮伝。東夷、南蛮、西南夷、西羌、西域、南匈奴、烏桓鮮卑。
往往:折々。時々。まま。時として。しばしば。
過秦篇:過秦論。前漢の賈誼(かぎ)が作った文章の題。秦の始皇帝が厳罰主義の政治を行い、儒教の徳治をすてたことをとがめた文。
甥姪:せいてつ。甥と姪。
心氣:こころ。気分。心持ち。
苦思:苦しい思い。
憤悶:いきどおり悶える。
口機:口の働きの意か。
不調利:調子が良くないという意か。
談功:話すことによる功績の意か。
通解:全般にわたって解釈すること。また、その書物。通釈。
轉進:轉向推進。by萌典
藻:詩歌・文章の美しいことば。
能者:才能のすぐれた人。物事に堪能な人。by Goo辞書
大較:おおむね。あらまし。大略。
圖繢:図画。絵画。
工巧:工芸を業として行なうこと。また、その人。by精選版 日本国語大辞典
注書:注釈をした書物。
情志:情感心志。by萌典。感情志趣。by百度百科。
芬芳:よい香り。
金石:金属や石で造った打楽器。また、音楽。
情性:本性。人情と性質。心。
旨趣:事のおもむき。意味。
千條百品:謂各種各樣,名目繁多。品,品目;名目。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
數:おもむき。すじみち。さだめ。めぐりあわせ。
宮商:音楽の五音(宮商角徴(チ)羽)中の基本となる宮と商の二音。転じて音楽の調子。音律。
年少:年少者。わかもの。
謝莊:宋駢文家。據《宋書·謝莊傳》:“謝莊,字希逸,陳郡陽夏人。仕至光祿大夫,卒年三十六。”謝莊亦能,所作格調清雅絕俗。最有其分:最有識別宮商、清濁的天分。請參閱鐘嶸《詩品·序》。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
手筆:猶文章。自南北朝始有“文”、“筆”之分,即將文學範圍內的作品分為有韻的“文”,與無韻的“筆”。這裡“手筆”當指無韻的實用駢散文字。差易:差別。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
定方:定まった方向の意か。
稟:領受、承受。此指具有。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
公家之言:指所謂“不拘韻”的奏疏、書表、策論等一類駢散實用文字。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
事外遠致:指除“公家之言”以外的純文學文字。致,意態;情趣。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
文名:詩や文章がうまいという評判。
統緒:猶端緒。統,絲緒之總束。緒,絲頭。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
贊:文體之一,有雜贊、哀贊及史贊之分。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
博贍:淵博。学問や知識が広く深い。
精意:專心一意;誠意。精深的意旨。猶精神。by百度百科
深旨:深い意味。
裁味:評判裁奪的意味。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
比方:くらべる。ならべる。
發論:論を起こすという意か。
士庶:讀書人和平民百姓。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
一毫:ごくわずか。
體趣:旨趣。字體的風格。by漢典
旨態無極:言非“雅”的新聲其意蘊與表現形態均優美動人之極。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
餘:そのほか。
傑思:傑出的思想和見解。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
奇變:珍しいことと変わったこと。
同含異體:謂各篇贊論內容不盡相同。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
雅聲:正聲。雅,合乎規範。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
一絕處:指音樂(非雅聲之樂)的最高境界。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
思:ここでは、思い。考えの意か。
精:ここでは、良い。優れている。りっぱなという意か。
稱情:衡量人情by漢語網。猶言放膽、無所顧忌。by中文百科「獄中與諸甥侄書」
狂言:ほら。大言壮語。
見文:今の文という意か。
得盡:終わりとするの意か。


〈校〉

下記の4本のテキストを対校したが、異体字を除く校異はわずか。「漢籍電子文献」(底本:宋元明三朝遞修本)には【政始有向耳】に「「向」南史作「尚」,文義較勝」という校注が付く。また、啓では【猶當未盡】の「猶」が闕。啓、京に夾注として見える文末の【沈約云曄自序並實 故存之】が欽では見えず、「漢籍電子文献」では【曄自序並實,故存之】とする。
啓:啓明書局版『後漢書』
京:京都大学漢籍レポジトリ『後漢書』「自序」宋宣城太守范曄
欽:欽定古今圖書集成/理學彙編/經籍典/第380卷
宋:百衲本『宋書』范曄伝