百衲本二十四史校勘記 序

〈原文〉

原文はhttps://www.cp.com.cn/book/7-100-02730-6_58.htmlによる。但し『百衲本三国志校勘記』との点検により一部闕文の補充と字句の訂正有り。

海鹽張菊生先生嘗慨今本正史之不可信,乃發重校正史之願,集宋元明善本之大成,輯印《百衲本二十四史》,沾溉海内外學人者多且廣矣。顧先生所撰校勘記百數十巨册,以世變方殷,董理需時,至今五十餘年,迄未付梓,不獨學者引以為憾,且無以慰先生在天之靈。猶憶龍於四十年代初應葉揆初丈與先生之招,抵滬創辦合衆圖書館。時上海已成孤島,江浙藏書紛紛流散,揆丈與先生率先倡議,網散羅佚,盡岀篋藏,陳叔通、李拔可、陳陶遺諸公咸積極響應,於是庫藏之富,甲於東南。時《百衲本二十四史校勘記》稿本,由商務丁英桂君保存,龍以工作之便,幸得假觀。其中《史記》、《漢書》、《宋書》三種均為先生手稿,彌足珍貴。其他二十一種(《明史》原無校勘記,故實有二十三種。),均岀自校史處同仁迻録經先生審定者。眉端行間,率多先生斠語,蠅頭細書,朱墨爛然。亦間有錢唐汪仲谷、吳縣蔣仲茀两先生所加按語,而為先生所綛可者。大抵校勘記以《衲史》所據宋元明舊本為底本,校以武英殿本,復參校衆本。凡各本異文,雖一字之差,一筆之微,均網羅無遺。而先生斠語,毎於異文是非,或取證本書,或旁稽他籍,所加案斷,咸能識其乖違,正其舛訛,並究其致誤之源。其諸本不誤而宋元舊本獨誤者,則亦未嘗曲徇。昔金壇段若膺論校勘之難,謂「非照本改字、不譌不漏之難,定其是非之難」。先生校史,不獨定異文是非,且援據衆本,擇善而從,融死校活校於一爐,自盧(文弨)、孫(星衍)、黄(丕烈)、顧(廣圻)以來未嘗有也。當有清乾嘉之際,治史校史之風浸盛,然如厲樊榭、全謝山、杭大宗等咸專治一史,自嘉定王西莊、錢竹汀並肩崛起,校勘全史,形勢為之一變。王氏《商榷》,錢氏《考異》,其博大精深,後人論之者衆矣。然王錢均以過人之精力,以推理校勘為主,而宋元舊本,未獲多見,故雖能舉其疑誤奪失而無所取證。王錢而後,百二十餘年間,治史校史者繼繼承承,但求其能彙集善本,通校全史者,則闃然無聞。先生生當中華文化存亡絶續之交,以搶救、弘揚傳統文化為已任,先後輯印《四部叢刊》,《續古逸叢書》,猶以為未足。於是廣採旁蒐,彙集善本,輯印《百衲本二十四史》。在創議之初,先生毎獲善本,輒親自讎校,往往一校、再校而至三校,幾至廢寢忘食。一九二八年二月前,已校畢《宋書》、《南齊書》、《陳書》、《魏書》、《北齊書》、《新五代史》,一九二八年後,又續校《史記》、《漢書》、《晉書》、《南史》、《北史》及其他諸史。毎校一史,先生必廣羅衆本,隨手記其異文,彙為校記,然後比勘異同,拔取殊尤,如獲更勝之本,則舍去前者,有抽换至一而再者。惜先生校記原稿,除《史》、《漢》、《宋書》外,均未及見。夫校史之難,首在求本,善本難求,自古而然。先生獨不辭勞瘁,持以堅毅,「招延同志,馳書四岀;又復舟車遠邁,周歴江海大都,北上燕京,東抵日本,所至官私庫藏,列肆冷攤,靡不恣意覽閲。耳目聞見,藉記於册。海内故家,聞風景附,咸岀篋藏,助成盛舉」。此中甘苦,傅沅叔前輩知之最深,不有記述,後人將無由知成書之難與先生校史之勞。至考斠異文,篇帙浩瀚,先生所加斠語,少則一二字,多至數百言,無不執中至當,動中奥竅。其詣力所到,時與王錢諸人相發明,而精審且或過之。蓋先生以本校本,均以善本互校,故其改正謬誤,咸有依據,與王錢推理校勘有所不同。此誠王錢有志未逮之偉業,而必先生方有以成之也。惟令人深感遺憾者,先生校勘記二十三種,中華書局於一九六〇年點校《二十四史》久假不歸,逮一九八七年商務建館九十周年舉行先生誕生一百二十周年學術研討會,經龍及王紹曾先生多方呼籲,中華始於一九九〇年清還《史記》、《漢書》、《後漢書》、《三國志》、《宋書》、《南齊書》、《梁書》、《陳書》、《魏書》、《隋書》、《南史》、《舊唐書》、《新唐書》、《新五代史》、《金史》等十五種。一九九二年又繼續清倉,歸還《宋史》一種,共計十有六種,尚有《晉書》、《周書》、《北齊書》、《北史》、《舊五代史》、《遼史》、《元史》等七種迄無有消息,無從追踪。此七種如果尚存天壤,則一旦延津劍合,實為史學界之幸事。今者商務印書館林爾蔚總經理,因校勘記為先生二十年心力所寄,倘不及時將現存十六種整理岀版,恐將長茲湮滅。復以紹曽當年參與校史之役,爰將董理之事委諸紹曽。而校理之事,必學養兼備,不憚煩勞者庶克成之,則又非紹曽莫屬矣。現前四史即將付印。龍喜其觀成有日,俾世之治史者人手一編,受惠無窮,而先生之校史鉅著終得傳諸天下後世,豈能不額手稱慶哉!後學顧廷龍序。時年九十有二。

〈拙訳読み下し文〉

海塩*張菊生*先生は嘗(かつ)て今本*正史の信ず可からざるを慨(なげ)き,乃(すなは)ち正史を重校するの願ひを発し,宋元明善本を集めて之を大成して,『百衲本二十四史』を輯印*し,海内外の学人を沾溉*するは多く且(か)つ広し。顧(かへり)みるに先生所撰の校勘記は百数十の巨冊にして,世は方殷*へと変るを以て,董理*の時を需(求)め,今に至ること五十余年,未だ付梓*せざるに迄(いた)るは,独り学者のみならず引きて以て憾(うら)みと為し,且(か)つ以て先生の在天の霊を慰むるは無し。猶(なほ)憶ふは(顧廷)竜は四十年代初めに於て葉揆*初丈*と先生の招きに応じ,抵滬*合衆図書館を創辦*す。

時に上海は已(すで)に孤島と成り,江浙*の蔵書は紛紛*流散*し,揆丈*と先生は率先倡議*し,網散羅佚*して,篋蔵*を尽岀*し,陳叔通*、李抜可*、陳陶遺*諸公は咸(みな)積極響応*すれば,是に於ひて庫蔵の富は,甲於東南*。時に『百衲本二十四史校勘記』の稿本は,商務の丁英桂君の保存せしに由り,(顧廷)竜は工作の便を以て,幸(さいわ)ひにして仮観*を得。其の中の『史記』、『漢書』、『宋書』三種は均しく先生の手稿*と為し,弥(いよいよ)珍貴とするに足る。其の他二十一種(『明史』は原(もと)の校勘記無く,故に実は二十三種有り。)は,校史を岀自とし先生の審定を経て同仁の迻(移)録せし処の者に均し。眉端*行間,率多*の先生の斠語*は,蠅頭細書*して,朱墨爛然*たり。

亦間(まま)銭唐*の汪仲谷*、呉県の蔣仲茀*両先生の加ふる所の按語*有るも,而るに先生の認可する所の者と為す。大抵*校勘記は宋元明旧本に拠る所の『衲史』を以て底本と為し,校するに武英殿本を以てし,復た衆本*を参校す。凡(すべ)て各本の異文は,一字の差,一筆の微と雖(いへど)も,均しく網羅し遺*も無し。而(しか)も先生の斠語は,異文に於ける是非毎に,或ひは証を本書に取り,或ひは旁(あまね)く他籍を稽(借)り,案断を加ふる所,咸(みな)能く其の乖違*を識(し)り,其の舛訛*を正し,並びに其の致誤*の源を究む。其の諸本誤らず而して宋元旧本の独り誤るは,則ち亦未だ嘗(かつ)て曲徇*せず。

昔金壇*の段若膺*は校勘の難を論じ,謂ふに「本に照らさずして字を改むるは、不譌不漏の難,其の是非の難は定まる」と。先生の校史は,独り異文の是非を定むるにあらず,且(まさ)に衆本に援拠*し,善を択(えら)びて従ひ,死校活校を一炉に融かさむとするは,盧(文弨*)、孫(星衍*)、黄(丕烈*)、顧(広圻*)自り以来未だ嘗て有らざる也。当(まさ)に清乾嘉*の際に有りて,治史校史の風は浸盛*し,然如*厲樊榭*、全謝山*、杭大宗*等咸(みな)一史を専治し,嘉定*の王西荘*、銭竹汀*の肩を並べて崛起*し,全史を校勘して自り,形勢は之(こ)れ一変を為す。王氏の『商榷*』,銭氏の『考異*』は,其の博大精深*なること,後人の之を論ずる者は衆(おほ)し。然るに王(西荘)銭(竹汀)均しく過人*の精力を以て,推理校勘を以て主と為すも,而るに宋元旧本は,未だ多くを見ることを獲ず,故に能く其の疑誤*奪失を舉ぐると雖(いへど)も而して証を取る所無し。

王(西荘)銭(竹汀)而後*,百二十余年の間,治史校史は継継承承するも,但(ただ)求めて其の能く善本を彙集*し,全史を通校するは,則ち闃然*として聞くこと無し。先生は当(まさ)に中華文化存亡絶続の交*に生き,伝統文化の搶救*、弘揚*を以て己の任と為し,先後『四部叢刊』,『続古逸叢書』を輯印するも,猶ほ以て未だ足らずと為す。是に於て広採旁蒐*,善本を彙集し,『百衲本二十四史』を輯印す。創議の初めに在りて,先生は善本を獲(う)る毎に,輒(すなは)ち親しく自ら讎校*し,往往にして一校、再校三校に而至(いた)って,幾至*廃寝忘食*す。

一九二八年二月前には,已(すで)に『宋書』、『南斉書』、『陳書』、『魏書』、『北斉書』、『新五代史』の校を畢(おは)り,一九二八年の後は,又『史記』、『漢書』、『晋書』、『南史』、『北史』及び其の他諸史を続校す。一史を校す毎(ごと)に,先生は必ず衆本を広羅*し,其の異文を手記するに随(したが)ひ,彙(あつ)めて校記と為し,然る後異同を比勘し,殊尤*を抜取*し,如して更勝の本を獲,則はち前者を舎去し,抽换*するに一而再*に至る者有り。

惜しむらくは先生の校記原稿は,『史』、『漢』、『宋書』を除くの外,均しく未だ見るに及ばず。夫(そ)れ校史の難,首(はじ)めは本を求むるに在り,善本の求め難きは,古自(よ)り而然*り。先生は独り労瘁*を辞さず,堅毅*を以て持し,「同志を招延*し,馳書*四岀*す;又(また)復(また)舟車は遠邁し,周(あまね)く江海大都を歴(へ),北は燕京へ上り,東は日本へ抵(いた)り,至る所の官私庫蔵,列肆*冷攤*,恣意*覧閲せざるは靡(な)し。耳目に聞見すれば,藉(かり)て冊に記す。海内*の故家*は,聞風*に景附*し,咸(みな)篋蔵*を岀し,助成すること盛舉*なり」と。此の中の甘苦*は,傅沅叔*前輩*の之を知ること最深なるも,記述するところ有らずして,後人は将に成書の難と先生校史の労を知る由も無し。

異文の考斠*に至れば,篇帙*浩瀚*なるも,先生の斠語を加ふる所,少は則ち一二字,多くは数百言に至り,至当に中(あた)るを執(と)らざるは無く,動(やや)もすれば奥竅*に中(あた)る。其の詣力*の到る所,時に王(西荘)銭(竹汀)と諸人は相(あ)ひ発明*し,而して精審*なること且(まさ)に或ひは之に過ぎむとす。蓋(けだ)し先生は以て校本に本(もと)づき,均しく善本を以て互ひに校(くら)べ,故に其の謬誤を改正するは,咸(みな)依拠するところ有りて,王(西荘)銭(竹汀)推理の校勘と同じふせざる所有り。此れ誠に王(西荘)銭(竹汀)有志の未だ逮(いた)らざるの偉業にして,而(すなは)ち必ず先生の方(まさ)に以て之を成す有る也。

惟(おも)んみるに人をして深く遺憾を感じせしめるは,先生の校勘記二十三種を,中華書局は一九六〇年に於ひても点校『二十四史』を久しく仮(借)りて帰さざることにして,一九八七年商務建館九十周年に逮(いた)りて先生誕生一百二十周年学術研討会を舉行し,(顧廷)竜及び王紹曽先生の多方に呼籲*するを経て,中華(書局)は始めて一九九〇年に於ひて『史記』、『漢書』、『後漢書』、『三国志』、『宋書』、『南斉書』、『梁書』、『陳書』、『魏書』、『隋書』、『南史』、『旧唐書』、『新唐書』、『新五代史』、『金史』等十五種を清還*す。一九九二年は又清倉*を継続し,『宋史』一種を帰還し,共に十有六種を計(かぞ)ふも,尚『晋書』、『周書』、『北斉書』、『北史』、『旧五代史』、『遼史』、『元史』等七種迄に有りては消息有るは無く,追踪*に従ふも無し。此の七種は果たして尚ほ天壌*に存する如くにして,則ち一旦延津剣合*するは,実に史学界の幸事と為す。今者*の商務印書館林爾蔚総経理*は,校勘記に因(ちな)んで先生二十年の心力*寄する所と為し,倘(もし)時に将(まさ)に現存する十六種の整理岀版の及ばざれば,将(まさ)に長く茲(ますます)湮滅すべきを恐る。

(王)紹曽当年参与を以て校史の役に復し,爰(ここ)に将に董理の事諸(もろもろ)を(王)紹曽に委ねんとす。而るに校理の事は,必らず学養*兼備し,煩労*を憚(はばか)らずして庶(もろもろ)克(よ)く之を成すは,則ち又(王)紹曽に非ざるは莫属*(なし)。現に前四史は即ち将(まさ)に印に付す。(顧廷)竜は其の成るを観る日の有るを喜び,俾世之治史*は人手一編*,恵を受くること無窮にして,而して先生の校史鉅著*は終(つひ)に諸天下後世に伝ふを得るは,豈(あに)能(よ)く額手*称慶*せざらんや!後学*顧廷竜序す。時に年は九十有二。


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〈字釈〉

海塩:中華人民共和国浙江省嘉興市に位置する県。
張菊生:張元済。
今本:指當前通行的書籍版本。與"古本"相對。by漢典。
輯印:編輯出版。by文学網漢語詞典。
沾溉:てんがい。比喻使人受益。by文学網。比喻惠澤後人。by漢典。
方殷:1913-1982。河北雄縣人,原名常鍾元,筆名芳茵。民進成員。 1935年畢業於北平中國大學。 1932年在北平參加反帝大同盟、共青團、左聯,歷任《少年先鋒》、《科學新聞》、《詩歌雜誌》編輯,南京《金陵日報》特約記者,山西臨汾民族革命大學教師,延安魯藝音樂系學員,重慶全民通訊社記者、編輯,重慶中華全國文藝界抗敵活動協會詩歌組長,重慶精益中學教師,重慶市文聯編輯,北京人民文學出版社編輯。by百度百科。
董理:正し、おさめる。
付梓:版木に彫る。印刷する。出版する。
抵滬:滬は上海をいう。上海での抵抗運動か。
葉揆:葉景葵。http://blog.sina.com.cn/s/blog_4e4a788a010082e7.htmlに見える「葉揆老即葉景葵,他的藏書全部捐給了「合眾圖書館」。」とみえる。
初丈:語義不明。
揆丈:葉揆初丈の意か。
倡議:首先提議。by教育百科。
網散羅佚:語義未詳。散は細かい。羅は網。網から逃れたもののために網目を細かくする意か。
篋蔵:きょうぞう。書物を入れる箱に所蔵されているもの。
尽岀:出し尽くすこと。
創辦:そうべん。創業する、創立する by Wiktionary日本語版。
合衆図書館:この戦火の中で古典籍を救うために、1939 年 5 月に葉景葵、張元済、顧廷龍など有名な文化人が「上海市私立合衆図書館」を創設し、1941 年 8 月に完成した。この図書館は古典籍および近代文献について、現在にも影響を与える専門図書館になった。by 「上海図書館とアウトリーチ・サービス」2009年3月 京都大学大学院教育学研究科図書館情報学研究室。
江浙:江蘇省と浙江省。
陳叔通:1876年-1966年2月17日。名敬第,字叔通,號雲麋,男,浙江杭州人,中國近代實業家、學者、社會活動家。by 維基百科,自由的百科全書。
陳陶遺:1881年-1946年4月27日。原名公瑤,更名劍虹,一名水,字止齋,一字臥子,別字淘夷、陶怡,號道一、天真道人,中國江蘇省金山縣松隱鎮(今屬上海市金山區亭林鎮)人。中國民主革命家、政治家。by 維基百科,自由的百科全書。
李抜可:樽本照雄『清末小説から』第38号 1995.7.1「鄭孝胥日記に見る長尾雨山と商務印書館(4)」http://shinmatsu.main.jp/k3801.htmlに「8-2 預備立憲公会など 鄭孝胥は、七月廿八日(1906.9.16)に張園で立憲準備(預備立憲)についての演説を行なっている(1057頁)。明らかに清朝政府の立憲準備宣言を受けたものだ。鄭孝胥は、まず立憲制の研究を目的とした憲政研究公会を組織し、数回の会合をへて預備立憲公会と改名した(1061頁)。十一月朔(1906.12.16)、愚園で預備立憲公会第1回会議が開かれ、会員の選挙で理事15名が選ばれ、鄭孝胥は最多の46票だった。さらに理事の互選で14票(理事は15人なのだ)を獲得した鄭孝胥が会長に、張謇(字は季直)と湯寿潜(字は蟄先)のふたりが副会長となる。会長と副会長については、いろんな説があるらしいが、当事者が書いているのだからこれが正しいのだろう。商務印書館関係者では、張元済、高夢旦、陸爾奎、孟森、夏瑞芳、印有模、李抜可、陶葆霖、高鳳岐らが会員であった*23。」とみえる。
響応:すぐに応じて行動する。
甲於東南:中国東南で最も優れているの意か。「奇秀甲於東南之稱的武夷山,是福建第一名山」。
仮観:借りて見る意か。
手稿:手書きの原稿。
眉端:まゆの先端。また、目のまえ。目前。 by大辞林 第三版。
率多:大部分;大多数。by漢語詞典。
斠語:かくご。言葉をはかる。
蠅頭細書:ようとうさいしょ。非常に細かい文字のこと。 「蠅頭」は蠅の頭のことから、小さいもののたとえ。 「細書」は細かく書くことや細かい文字。
朱墨:赤い墨。
爛然:あざやかで美しいさま。
銭唐:銭唐県 - 中国浙江省杭州市に歴史上置かれていた県。by Wikipedia。
汪仲谷:
蔣仲茀:
按語:文章について自分の調べたことをあとに書き添える語。
大抵:おおよそ。おおかた。
衆本:おおくの本。
遺:とりのこし。
舛訛:せんか。あやまり。まちがい。錯誤。
乖違:そむきたがうこと。byデジタル大辞泉。
致誤:誤りを致すの意か。
金壇:江蘇省の地名。
段若膺:段玉裁は、中国清代中期の考証学者。字は若膺。号は懋堂・茂堂。鎮江府金壇県の出身。『説文解字』の解釈に金字塔を打ち立てた人物として広く知られる。詩人・公羊学者として有名な龔自珍は外孫に当たる。by Wikipedia。
曲徇:曲げることと従うこと。
乾嘉:清乾隆、嘉慶兩朝的合稱。by百度百科。
援拠:引用して証拠とする。引照。
盧文弨:ろぶんしょう。1717年-1795年。清の考証学者。漢籍の校勘と出版で知られる。字を召弓(または紹弓[1])という。室名を抱経堂(ほうけいどう)といい、『抱経堂叢書』が有名である。なお、よく似た名前の「抱経楼」(ほうけいろう)は盧文弨の親戚にあたる盧址の室名。by Wikipedia。
孫星衍:そんせいえん。1753年-1818年。中国清の官僚・学者。字は淵如、号は季逑。常州府陽湖県の出身。その著書『尚書今古文注疏』は『尚書』に関する清朝考証学の集大成として知られる。by Wikipedia。
黄丕烈:こうひれつ。乾隆28(1763)~道光5(1825)。中国,清代中期の学者,蔵書家。江蘇省呉県の人。字は紹武,蕘圃。号として復翁,佞宋居士,求古居士,知非子など十数種を使用。乾隆帝時代の挙人。版本について詳しく,その編纂に成る『士礼居叢書』 (『士礼居黄氏叢書』ともいう) は,善本を底本とした叢書として知られる。そのほか著書に『蕘言卯須集』などがある。byブリタニカ国際大百科事典 小項目事典。
顧広圻:ここうき。乾隆31(1766)~道光15(1835)。中国,清の文献学者。江蘇省元和の人。字,千里。号,澗蘋。江声に師事し,経学や算学にも通じたが,特に校勘に詳しく,『説文』『礼記』『儀礼』『国語』『戦国策』『文選』などの書の校定に従事し,その際に記した札記 (さっき) は精確さを称される。著書に『思適斎集』 (18巻) がある。byブリタニカ国際大百科事典 小項目事典。
浸盛:しだいに盛んになるの意か。浸にすすむ。しだいに進む。ようやく。しだいにの意あり。
然如:しかりしこうして。
厲樊榭:れいはんしゃ。厲鶚(れいがく)の号。1692年6月16日(康熙31年5月2日)-1752年10月17日(乾隆17年9月11日)は中国清代中期の詩人。字は太鴻。by Wikipedia。
全謝山:全祖望(1705年1月29日-1755年8月9日),字紹衣,號謝山,學者稱謝山先生,浙江鄞縣人。清朝史學家、文學家。by維基百科,自由的百科全書。
杭大宗:杭世駿(1696年-1773年),字大宗,號堇浦,浙江仁和縣(今杭州市)人。清朝學者。by維基百科,自由的百科全書。
嘉定:太倉州嘉定県。
王西荘:王鳴盛(おう めいせい)1720年(康熙59年) - 1797年(嘉慶2年)。中国清代の考証学者。字は鳳喈。号は礼堂・西荘、晩年は西沚居士と号した。太倉州嘉定県の出身。妹は銭大昕の妻。by Wikipedia。
銭竹汀:銭大昕(せん たいきん)。雍正6年1月7日(1728年2月16日)-嘉慶9年10月20日(1804年11月21日)は、中国清代の考証学者。字は暁徴。号は辛楣、晩年は竹汀居士・潜研老人と号した。太倉州嘉定県の出身。妻は王鳴盛の妹。
広採旁蒐:広くあつめる、あまねく集める。
幾至:きし。いくども。
廃寝忘食:他のことを考えず、ひとつのことに一心に取り組むこと。
讎校:文章を校正する。二人が向かい合って座り、原本と照合し校正するさまが、かたきどうしが向き合っているように真剣であるからいう。校正。校訂。
崛起:くっき。(山が)そばだつ,切り立つ。by白水社中国語辞典。
商榷:『十七史商榷』。
考異:『二十二史考異。』
過人:能力などが人に勝る,人を抜く,ずば抜ける。by白水社 中国語辞典。
疑誤:誤解。
博大精深:思想・学識が広ひろく深ふかい。by Wiktionary。
而後:以後。
彙集:分類して集める。
闃然:げきぜん。ひっそりと静まりかえっているさま。by goo国語辞書。
交:時節のかわり目。
搶救:人・物を守るために緊急措置を取る,緊急に救出する,応急手当をする。by白水社 中国語辞典。
弘揚:更に発展させ輝かしいものにする。by白水社 中国語辞典。
紛紛:ふんぷん。入り乱れるさま。
流散:故郷を離れてさまよう。流浪。
広羅:ひろく網をかける。
抜取:抜き取る。
抽换:抽出更換。by漢語網。
一而再:一度ならず二度。
殊尤:特別奇異。by漢語網。
而然:しかり。
労瘁:ろうすい。疲れ苦しむ。
堅毅:けんき。毅然としている。
考斠:考えはかる。
篇帙:へんちつ。書物をおおう帙。巻帙。転じて、書物。書籍。by精選版 日本国語大辞典。
浩瀚:書物の巻数の多いさま。
奥竅:竅(きょう)は穴。細い穴。すきま。[現]かなめ。要点。つぼ。要領。
詣力:有一定造詣的學力和才力。by百度百科。ある程度の学力と能力を持っている。
発明:明らかにする。
精審:詳しくつまびらか。
招延:人を招きよぶこと。招き入れること。招引。 招引。by精選版 日本国語大辞典。
馳書:急速送信。by漢典。
四岀:四方へ出ること。また、四方に出すこと。
列肆:れっし。立ち並んでいる多くの店。
冷攤:れいたん。不引人注意的小攤。by漢語網。人の注意も引かないような路上の露店の意か。
恣意:心をほしいままにする。気ままにふるまう。
海内:天下。国内。
故家:古くから続いている家。古い家筋。旧家。
聞風:聽到風聲或消息。by教育百科。噂を聞きつけるの意か。
景附:影のようにつく。したいなつく。
篋蔵:きょうぞう。篋は書物を入れる箱。蔵書の意か。
盛舉:盛大な企て。りっぱな行事。
甘苦:楽しみと苦しみ。
傅沅叔:傅增湘(1872-1949),字潤沅,号沅叔,別署雙鑑樓主人、藏園居士、藏園老人、清泉逸叟、長春室主人等,中國近代著名藏書家。四川省江安縣人。光緒二十四年(1898)進士,選入翰林院為庶吉士。 1917年12月至五四運動前,曾入內閣任教育總長。傅氏一生藏宋金刻本一百五十種,四千六百餘卷;元刻本善本數十種,三千七百餘卷;明清精刻本、抄本、校本更多,總數達二十萬卷以上,是晚清以來繼陸心源皕宋樓、丁丙八千卷樓、楊氏海源閣、瞿氏鐵琴銅劍樓之後的又一大家。by百度百科。
前輩:自分よりも学問・官位などが先に進んでいる人。先輩。先覚。
傅增湘无论是在藏书、校书方面,还是目录学、版本学方面,堪称一代宗主。
遠邁:邁は行く。遠くへ行く。
呼籲:こやく、こゆ。呼よび掛かける、アピールする。
清還:すべて返済すること。by大辞林第三版。
清倉:せいそう。蔵ざらえする,蔵払いする。byEDR日中対訳辞書。
追踪:ついそう。追跡する。by白水社 中国語辞典。
天壌:天と地。
延津剣合:「そこではじめて二つの剣が分かれてふたたび合わさり、変化して去ったことが分かりました。今でも人々は因縁がたくみに結ばれることを言うとき、多くは「延津剣合」の故事を用います。」from「小山裕之のホームページ」http://yuzhi68.web.fc2.com/erke03.htm
今者:こんしゃ。いま。いまごろ。
総経理:社長。
心力:心の働き。精神の活動力。こころと力。
後学:学者が自分のことを謙遜して言う語。
煩労:はんろう。わずらわしい骨折り。
非某莫属:某以外にはいない。
俾世之治史:語義不明。
人手一編:だれでも手に1冊持っている.非常に多くの人に愛読される。by字典網。
鉅著:內容精深,影響力大的著作。by教育百科。
額手:がくしゅ。手をひたいに当てる。敬意を表すさま。慶祝を表すさま。
学養:不明。教養ほどの意味か。
称慶:たたえよろこぶ。 hy注)2020/12/11 「董理*の時を需(待)ち」の「需」を「もと(め)」に修正。