永原慶二『20世紀日本の歴史学』を読む

2021年11月20日から同月24日までの5日間に、標記書にかかるツイートを連投したが、その感想を以下の如く「読書メーター」に投稿した。文を「久々に大感銘の本!」との賛辞で締めくくっているが、何らの誇張もない正直な感想である。できれば座右に置いておきたい本ではあるが、身辺に増殖する書物の量と自身の余生とを秤にかける年ともなれば、やはり入手は見送らざるを得ない。尤も本音を言えば我がお財布の顔色を窺った故であるのだが―

まずはその「読書メーター」の投稿を始めに掲げ、その後に件の連投を続ける。
「読書メーター」『20世紀日本の歴史学』
2021/11/24
「日本の近現代の史学史」の本。吉川弘文館の〝研究史シリーズ〟は数冊読んだが、本書は史学の研究史の本。印象箇所を拾えばきりがない。巻末数十頁にわたる「近現代日本史学史年表」を開けばこの本の凄まじさが知れる。人名索引は460名を列記。対象となる歴史区分は古代から始まり中世も濃い。内容を評する立場にないが、敢えて言えば全面的に信奉するのも如何。例えば久米邦武事件にかかる記述については大いに是認するも、久米邦武自身の古代史論には疑問もある。終盤工具書について述べるがこの本自身が工具書なのかも。久々に大感銘の本!

分不相応の背伸びかと思いましたが、永原慶二氏の『#20世紀日本の歴史学』を読み始めました。300頁以上もある「日本の近現代の史学史」の本。恐らくは難解にして途中挫折の恐れも少なからず、、、しかし〝千里の道も一歩から〟とも言うし、まずは一歩を!
午前10:33 · 2021年11月20日

p11でさっそく目に留まった一文が。1869年(明治2)開成学校と昌平学校の建言

「六国史御編修已降恐乍朝政御衰退ニ付テ大著述ノ御沙汰モ無御座」...

六国史以降は朝廷が衰退したので正史の編纂が無かった、と。#20世紀日本の歴史学
午前10:41 · 2021年11月20日

六国史の最後『日本三代実録』から明治維新まで約1,000年。連綿として皇統と朝廷は継続してきましたが、その期間はほぼ政治的実権を持たなかった時期。それでも〝権威〟として存在し続け征夷大将軍を任命する。世界に比類なき不思議の国の不思議の歴史かも。
#20世紀日本の歴史学
午前10:49 · 2021年11月20日
明治2年(1869)、明治天皇が三条実美に与えた宸翰の一節に

「三代実録以後絶テ続ナキハ豈大闕典ニ非ズヤ
#20世紀日本の歴史学
午前10:58 · 2021年11月20日

さて、正史を編修するに当って「中国正史の伝統」にたつか「近代歴史学の発想」に立つかの相剋が生じた。

中国風か西欧風か。日本国家の形成史を見れば納得かも。
#20世紀日本の歴史学
午前11:43 · 2021年11月20日

天皇に政治的実権がほぼ無かった時代、帝紀を編修しようとしても書くべきことが乏しいのではないかと思えます。以前、新旧『唐書』の高宗紀を見た際、ほぼ箇条書き程度の記事しかありませんでした。『魏志』武帝紀などに比べるとスカスカの内容。事績がなければ当然のこと。
#20世紀日本の歴史学
午後2:32 · 2021年11月20日

1889年(明治22)11月1日、史学会初代会長となった重野安繹は「史学二従事スル者ハ其心至公至平ナラザルベカラズ」という講演の中で⇨
#20世紀日本の歴史学
午後3:29 · 2021年11月20日

古来ヨリ歴史卜明教トヲ合併スル者アレドモ、歴史ハ明教ヲ棄テ研究スベシ。若シ歴史ニシテ之ヲ合併セシメンニ、大ニ歴史ノ本体ヲ失ス。⇦

と、国学―神道系の歴史観への批判を行っている(『史学会雑誌』1号、1889年。本書p34)。明教は立派な教え。
#20世紀日本の歴史学
午後3:30 · 2021年11月20日

p35-36

重野は「世上流布ノ史伝多ク事実ヲ誤ルノ説」(明治一七年二月 学士会院講演)、「学問は遂に考証に帰す」(明治二三年三月同上講演)という基本認識を生涯実践した史家として、日本の近代実証主義歴史学の祖というにふさわしい存在であった。⇦
#20世紀日本の歴史学
午後3:44 · 2021年11月20日

p40 1992年3月4日、久米邦武筆禍事件(帝国大学非職)に関して

 この間、久米邦武、重野安繹はあえて抗議の声をあげなかった。⇦
#20世紀日本の歴史学
午後6:42 · 2021年11月20日

田口卯吉は久米弁護の論陣を張ったが、状況は、政治権力に密着した神道派の勝利であり、重野は高齢に達して大学を去り、久米は追われてのち東京専門学校(のちの早稲田大学)に移ったが、かつてのような自由な発想と戦闘性を失っていったようである。⇨
#20世紀日本の歴史学
午後6:43 · 2021年11月20日

それは明らかにアカデミズム実証主義歴史学が天皇制政府から受けた痛撃であり、以後このグループは実証主義という面では変わらないが、文明史派と手を結んで、政治的には権力からの自立を積極的に主張するというかつての姿勢を急速に後退させていった。⇨
#20世紀日本の歴史学
午後6:43 · 2021年11月20日

アカデミズム実証主義歴史学が、日本史学界の主流といわれながら、正面から現実に向き会う姿勢を弱めていったのは、この事件を転機とするといわなくてはならない。⇨
#20世紀日本の歴史学
午後6:44 · 2021年11月20日

近現代に貫通するアカデミズム実証主義歴史学のいわば体質的なものがここにおいて規定されたという点で忘れられない問題である。⇦
#20世紀日本の歴史学
午後6:44 · 2021年11月20日

久米が「非職」とされ帝国大学を追われたばかりではない。翌九三年(明治二六)四月一〇日には、帝国大学の国史編纂事業が停止され、史誌編纂掛も廃止された。⇦
#20世紀日本の歴史学
午後6:50 · 2021年11月20日

明治26年は日清戦争の前年。「政治権力に密着した神道派の勝利」という久米邦武筆禍事件と直接の関係は云々できないとしても、当時の思潮の向かう方向が窺えるような気がします。政治権力に沿わない史学は斥けられるという気配は今もどこかに漂っていそうな、、、
#20世紀日本の歴史学
午後6:59 · 2021年11月20日

p42

そこに、久米邦武の「神道は祭天の古俗」事件をきっかけに、現実世界から一歩腰を引くようになった考証史学の姿勢から連続する傾向が見いだされるともいえるであろう。⇦
#20世紀日本の歴史学
午後7:06 · 2021年11月20日

1割ほど読み進んだところで感じたのは、今のところ専門的語彙があまり使われていないような、、、文章も凝ったものではなく一般の読者でも難儀することも無いようです。ありがたいことです。
#20世紀日本の歴史学
午後7:08 · 2021年11月20日

p44

だが反面、「日本史」と「東洋史」が切り離れて取り扱われることになり、アジア史の一環に「日本史」を位置づけてとらえるという視角が弱められる傾向をもたらしたという、負の側面も否定できない。⇦
#20世紀日本の歴史学

これは私のような素人でも時折かすかに感じることがありますね。
午前10:37 · 2021年11月21日

p44-45

しかも日本は明治以降、朝鮮に対して次第に民族的・国家的蔑視観を強め、それが禍いして朝鮮史を直視・研究しようという姿勢を失った。韓国併合はその傾向を決定的なものとし、「東洋史」のなかに「朝鮮史」が正当に位置づけられることがなかった。⇨
#20世紀日本の歴史学
午前10:51 · 2021年11月21日

「朝鮮史」が独自の民族、国家の歴史として統一的に叙述されるのが、敗戦後の旗田巍(はただたかし)(一九〇八-九四)の『朝鮮史』(一九五一年、岩波全書)まで見られないという事実が、その問題をあますところなく示している。⇦
#20世紀日本の歴史学
午前10:52 · 2021年11月21日

p47

 それは結局、朝鮮・中国蔑視、自国優越的な理解にも連なるものであって、戦前日本の自国中心史観の独善性と深くかかわってゆくものである。しかしその問題が、さらにどぎつい形で露呈されるのは昭和期に入ってのことである。⇨
#20世紀日本の歴史学
午前11:05 · 2021年11月21日

ここではそうした問題をも念頭におきつつ、明治三〇年代の歴史学・日本史学の新動向に目を向けよう。⇦
#20世紀日本の歴史学
午前11:06 · 2021年11月21日

以上の部分は福沢諭吉の「脱亜入欧」論に関する著者の主張。
#20世紀日本の歴史学
午前11:08 · 2021年11月21日

p54

そうしたこともかかわって、一九〇三年(明治三六)、国は小学校教科書制度を、一八八六年(明治一九)以来の検定制から国定制に切り替え、国民の歴史意識の画一的誘導に乗りだすが、歴史学界はそれに対する批判を提起することもなかった。⇦
#20世紀日本の歴史学
午前11:24 · 2021年11月21日

最初は検定制だったんですね。それから国定制へ。日清戦争に勝利し、日露戦争直前の時期。「国民の歴史意識の画一的誘導」のもたらしたものは?
#20世紀日本の歴史学
午前11:27 · 2021年11月21日

p56

まして歴史教育の分野では、「学問と教育は別だ」という初代文部大臣森有礼以来の方針が、この事件によってダメ押しを加えられた形であったから、以後、古代の壬申の乱、中世の南北朝内乱は教科書にはいっさい取りあげられずまったく封印されて死語となり、⇨
#20世紀日本の歴史学
午前11:38 · 2021年11月21日

国民の自国史認識を大きく歪めることになった。〈中略〉それでも一歩の譲歩は、のちの測りしれない後退に道をひらくことになったのである。⇦
#20世紀日本の歴史学
午前11:40 · 2021年11月21日

「この事件」とは南北朝正閏論事件。著者はこの章を以下のように締めくくっています。

p57 
南北朝正閏論事件は、先の久米邦武事件に続く史学史上、第二の大不祥事であった。⇨
#20世紀日本の歴史学
午前11:47 · 2021年11月21日

久米事件は、権力と深い結びつきをもった神道家-国学系学者が表面に立って動き、国家権力がそれを認めて久米を解任するという順序だった。それに対して正閏論事件は、徹底徹尾、政治的事件として、冒頭から国家権力の介入といういちだんと悪い形で展開したのである。⇦
#20世紀日本の歴史学
午前11:47 · 2021年11月21日

「国家権力」は責任を負って事を行いますが、国家権力を〝煽った〟「神道家-国学系学者」が裁かれることが果たしてどれほどあるのか?
#20世紀日本の歴史学
午前11:50 · 2021年11月21日

p74からの幸田成友を読んでいると、p76に

フランソワ・カロンの『日本大王国志』(一九四八年、東洋堂)の翻訳などもある。

と。同書は時々開きますが訳者の名前は気に留めてなかった。「露伴ら著名な五人兄弟姉妹の一人である」とp74に紹介されて。確かに⇩
#20世紀日本の歴史学

午後3:13 · 2021年11月21日

明治以降の著名な歴史家の名前が次々に出てきますが、彼らの著作を一通り読むだけでどれほどの歳月を要するのか?というかさほど進まないうちに凡脳は刀折れ矢尽きて歴史の大海で遭難すること必至かも(-_-;)学問は永く、されど人生は短く、、、
#20世紀日本の歴史学
午後3:20 · 2021年11月21日

p85に村岡典嗣の名が出てきます。村岡典嗣といえば古田武彦氏。古田氏も史学史の葉脈の一脈として位置づけられそうですかね。
#20世紀日本の歴史学
午後4:19 · 2021年11月21日

p89には佐野学の名前が出てきます!
#20世紀日本の歴史学
「佐野学は天才か?」
午後4:25 · 2021年11月21日

p131

津田は戦後、学問上の悲劇の英雄として神格化され、その学問の全体が無条件に尊敬されるようになった。たしかに津田は記紀の文献批判にとどまらず、日本と中国の両国・両民族の思想史に精力的に取り組み、次々に重要な仕事を為し遂げた。⇨
#20世紀日本の歴史学
午前9:14 · 2021年11月22日

『支那思想と日本』(前出。一九三八年)では、日本の生活・文化・思想が、中国のそれと歴史を通じ、いかに異なるものかを力説している。⇨
#20世紀日本の歴史学
午前9:15 · 2021年11月22日

日本は中国から律令をはじめとする発達した文化を受容したが、それはごくうわべあるいは上層階級だけのものであって、民衆の生活文化は両者ほとんど交わらない別個のものである、というのである。⇨
#20世紀日本の歴史学
午前9:16 · 2021年11月22日

この書物は当時、日本帝国主義の論理として、「東洋」の一体性=「大東亜」一体論がイデオロギー的に鼓吹されだしているなかでは、それへの批判として重い意味をもっていた。⇨
#20世紀日本の歴史学
午前9:16 · 2021年11月22日

しかし、日中間の文化的交渉や日本が中国文明によって受けた影響は津田の説にもかかわらず、はるかに根深いものがあるのではないか。津田は記紀神話について、それは皇室・貴族の思想で、民族の起源や思想と関係ないとしたのと同様、ここでも両者をスッパリ切り離す論法である。⇨
#20世紀日本の歴史学
午前9:17 · 2021年11月22日

しかし、もし津田が中世・近世の歴史の実体について具体的に考えたなら、中国の学制度を継愛した律令制以来の政治的制度・秩序がいかに重いものであり、⇨
#20世紀日本の歴史学
午前9:17 · 2021年11月22日

仏教の問題や貨幣の問題など、どういう対象を取りあげても、中国文明の影響は日本社会の表層にとどまるものでなかったことは明らかである。⇦
#20世紀日本の歴史学
午前9:18 · 2021年11月22日

「中国文明の影響」を〝欧米文明の影響〟と読み替えれば、こんにちでも議論の俎上に乗りそう。古代にあっては中国文明、近現代にあっては欧米文明。今日の日本からそれらを除去すれば何が残るか?その残ったものが他国他民族と日本とを識別する標識となるのか?
#20世紀日本の歴史学
午前9:23 · 2021年11月22日

p132冒頭で

津田が心情的には「不執政」型天皇のあり方を積極的に肯定していたことは、戦後書かれた論説の類で明確である。それは戦後の変心ではなく、若いときから一貫していたのである。⇦

とも。
#20世紀日本の歴史学
午前9:56 · 2021年11月22日

〝知らざるを知らずと為す是知るなり〟という古人の教えがあるとか。

知れば知るほど知らないことが増えてくる!

というのもしばしば体験することで、それは取りも直さず自分の知っていることが、いかに〝みみっちい〟ものであるか!を自覚するということでもあります。
#20世紀日本の歴史学
午前10:24 · 2021年11月22日

自分のことを、お釈迦様の掌の中を飛び回る孫悟空の掌の中を飛び回る小虫に喩えることがありますが、そのお釈迦様でさえ、より大きな〝何か〟の掌の中を飛び回る小虫に過ぎないのかも知れません。

あ、仏教徒の皆さん、お気を悪くなさらずに!小虫の戯言ですから、、、
#20世紀日本の歴史学
午前10:28 · 2021年11月22日

あの平泉澄はWikiによると

1984年(昭和59年)2月18日、肺炎のため死去。89歳没

とのこと。そう言えば父が平泉のことを何か言ってたような記憶がありますが私の子供の頃で、内容は完全に忘却。立花隆氏の『天皇と東大』の中で、平泉澄に触れてあるとか。
#20世紀日本の歴史学
午前10:38 · 2021年11月22日

p167

もとより、古代についても国家起源にかかわる邪馬台国の位置問題からはじめ、云々

津田左右吉のときも思いましたが、歴史観で邪馬台国を論じることができるか?甚だ疑問です。それは久米邦武についても感じたところです。
#20世紀日本の歴史学
午前9:18 · 2021年11月23日

p169からの約5頁に亘る『昭和史』論争は興味深いものが。政治史叙述vs人間不在vs「〝アジアの視点〟が欠落」など共感。歴史というものは〝右か左か〟や〝時間軸〟など1次元で考えるべきものではなく大げさに言えば〝4次元的思考〟が求められるのではないかと思います。
#20世紀日本の歴史学
午前11:00 · 2021年11月23日

p202 家永三郎の教科書検定訴訟・日本歴史見直し論

敗戦後、教科書は全体として国定制から検定制に転換された。国家が教育の内容を直接全面管理し、画一的な内容を押しっけてきた誤りを反省した結果である。⇨
#20世紀日本の歴史学
午後4:09 · 2021年11月23日

ところが冷戦下の一九五三年(昭和二八)、池田(勇人)・ローバートソン会談によって「防衛力漸増」方針が確定され、「それに妨げとなる空気を除去する」という方針が採用されると、⇨
#20世紀日本の歴史学
午後4:09 · 2021年11月23日

文部省はその方向を推進すべく教科書検定をきびしくして社会批判や平和主義的傾向と見られる教科書記述を強権的に排除しようとする方向に動き出し、上原専禄(うえはらせんろく)らの世界史の教科書が不合格とされる事態も発生した。
#20世紀日本の歴史学
午後4:10 · 2021年11月23日

こういう経緯があったんですね。恐らくは日本を反共の防波堤とするという米国の安保方針に沿う形で「教科書検定をきびしくして社会批判や平和主義的傾向と見られる教科書記述を強権的に排除しようとする方向に動き出し」た。
#20世紀日本の歴史学
午後4:13 · 2021年11月23日

日本人が勤勉でおりこうさんにしてれば繁栄は約束される!ということでしょう。おかげでひもじい思いをする国民は確かに減ったのでしょう。仕事も増え、所得も倍増(?)した。米国文化を楽しむことも出来た。いつの間にか〝鬼畜米英〟と叫んでいた日々のことは忘却されて、、、
#20世紀日本の歴史学
午後4:16 · 2021年11月23日

p202-203

 多数の歴史研究者・歴史教育者は、国家権力の教育に向けた強引な検定の実体を知ると、訴訟を支援する会(「教科書検定訴訟を支援する歴史学関係者の会」)を結成し、法廷での証言の準備や証人出廷に協力した。⇨
#20世紀日本の歴史学
午後4:21 · 2021年11月23日

しかし他方には、歴史教育を通じて社会批判の目が育てられることを好ましく思わず、戦争責任や植民地支配など暗い過去には立ち入らず、日本歴史をもっと〝明るく〟描き出し、若者たちの「愛国心」を目ざめさせよという意見も、財界や一部の知識人から出されるようになった。⇦
#20世紀日本の歴史学
午後4:21 · 2021年11月23日

p204-205

 自国の歴史をどう見るかは、ただちに自国の現在・未来のあり方を規定するものであるから、批判精神を欠いた〝明るい歴史〟などあるはずもない。そもそも歴史認識は歴史に対する批判精神によって成立するものである。⇨
#20世紀日本の歴史学
午後4:29 · 2021年11月23日

それぞれの時代の状況や当時の思考形態への理解は不可欠のことであるが、それを理解することと、肯定することば別問題である。⇨
#20世紀日本の歴史学
午後4:29 · 2021年11月23日

〝自国史を明るく書け〟という場合、そもそも歴史において〝明るい〟とはどのようなことなのか、〝暗い〟とは何をさすのかさえあいまいなまま、漠たる〝自信〟(当時、ジャパン アズ ナンバーワンとかルック イーストという言葉が流行した)や、⇨
#20世紀日本の歴史学
午後4:31 · 2021年11月23日

あいまいなナショナル感情で歴史認識や歴史教育を語ったり、左右したりすることほど危険なことはない。それは歴史学に対する軽侮に連なるものである。⇦
#20世紀日本の歴史学
午後4:32 · 2021年11月23日

「それを理解することと、肯定することば別問題である」は、まさしくそのとおりです。「理解」もしていないのに「肯定」するのは思考の放棄であるか、もしくは〝信念〟にほかならないと思えます。体験に基づいた〝信念〟が尊重されるべきことは、もちろん当然のことですが。#20世紀日本の歴史学
午後4:35 · 2021年11月23日

p205

ちょうどそうした時期に、中央公論版『日本の歴史』(本巻二六巻、企画委員=井上光貞、竹内理三、永原慶二、児玉幸多、小西四郎、林茂。一九六五―六七年)が刊行され、⇨
#20世紀日本の歴史学
午後6:33 · 2021年11月23日

短期のうちに各巻とも三〇~四〇万部におよぶ歴史分野としては空前の発行部数に達し、その後も読みつづけられた。戦後はじめての本格的な通史を読んでみたいという要求がこれほど根強いものであるとは誰も考えてもみなかった。⇦
#20世紀日本の歴史学
午後6:34 · 2021年11月23日

中央公論版『日本の歴史』全26巻を読んだ方に1人だけネット上で遭遇したことがありました。全国では相当な数になるんでしょう。文庫版を12冊持っていますが、読んだのは数冊かも。自分の関心外の時代は、なかなか気がすすまないんですよね。移り気はな性格はマイナス。
#20世紀日本の歴史学
午後6:40 · 2021年11月23日

p248で法制史家石井良助『天皇』に言及した後、p250-251で私の関心事である点について述べています。長くなりますが引用。
#20世紀日本の歴史学
午前10:10 · 2021年11月24日

中世前期に展開してきた国家体制は、南北朝の動乱のなかで大きく変わる。天皇・公家・武家・寺家・社家はそれぞれに支配権を分有し、相互的に結び合ってきた権門としての「家」の存立を根底から揺り動かされ、分裂・没落するものが多かった。⇨
#20世紀日本の歴史学
午前10:10 · 2021年11月24日

しかしこの間、内乱を押さえ王権の実体部分を掌握した足利義満以降、天皇は武家王権の権威部分に転化し、基本関係としては、以後江戸幕府の崩壊に至るまで、武家将軍(権力)と天皇(権威)とが対立を含みつつも、前者主導の日本国の頂点=王権を構造的に維持してゆく体制がつづいた。
#20世紀日本の歴史学
午前10:11 · 2021年11月24日

その特有の王権のあり方は、じつは律令国家の身分体系を変質させつつも継続させてゆくものでもあった。日本に中世・近世を通じて地域的領主権力が存在するにもかかわらず、それらへの私的な隷属身分としての「農奴制」は基本的な体制としては展開せず、⇨
#20世紀日本の歴史学
午前10:12 · 2021年11月24日

一般農民は「百姓」という一元的な身分におかれ、近世においても「百姓」は「天下の御百姓」として将軍の一元的管下におく原則をとり、大名の個別的支配に完全には委ねられなかった。そうした身分制の編成原理は前近代日本国家を一貫する特徴であった。⇨
#20世紀日本の歴史学
午前10:13 · 2021年11月24日

近世国家の構造と特質については朝尾直弘、高木昭作、深谷克己らが重要な論点を提示・解明してきた。
 将軍が天皇と決定的な対立関係に入らず、個々の地域領主=大名と農民とのあいだの支配-隷属関係が私的農奴制のような形で展開せず、⇨
#20世紀日本の歴史学
午前10:13 · 2021年11月24日

「公儀の御百姓」という形をとって、律令国家解体後の前近代国家が共通の公武秩序を創り出していった関係は、中国型の「革命」や王朝交替をもたらさず「王政復古」という形での明治近代国家にまで連続してゆく、という特徴を生み出すことにもなった。⇦
#20世紀日本の歴史学
午前10:14 · 2021年11月24日

「「百姓」は「天下の御百姓」として将軍の一元的管下におく原則」というのは知りませんでした。
>中国型の「革命」や王朝交替をもたらさず
についてはなるほど感!やはり日本の王権史を極めてシンプルに表現するならば〝聖俗二重構造〟というのが分かりやすいかも。
#20世紀日本の歴史学
午前10:17 · 2021年11月24日

続く一節は実に示唆に富んでいると言えそうです。

明治以来の日本では、天皇の連続と重ね合わせ、国家の連続を世界に誇る至上の価値としてきたが、その外見の下における歴史的現実と基層社会にまで浸透している天皇観・秩序観とのかかわりなど、⇨
#20世紀日本の歴史学
午前10:33 · 2021年11月24日

国家と天皇のあり方についての史的認識を深めてゆくことは、現在・未来の日本国のあり方を考えてゆく際にも、欠かせない課題である。前近代と近現代とを統一的・系統的にとらえる「日本国」の史的特質をめぐる研究は、なお今後の深化が求められる分野である。⇦
#20世紀日本の歴史学
午前10:34 · 2021年11月24日

「現在・未来の日本国のあり方を考えてゆく際にも、欠かせない課題」は歴史学の有用性の一端を明示していると思えます。振り返るだけの歴史は、美味しそうな料理を作りながらも眺めるのみで、食することのない姿勢と似ているのかも知れません。
#20世紀日本の歴史学
午前10:39 · 2021年11月24日

p252からは私が天皇制について最も関心を持つ事柄の核心について述べられています。長すぎるので引用を控えますが、著者としてもこの問題が一つの大きなテーマであるという認識があることを知り、少し安堵するものを感じます。
#20世紀日本の歴史学
午前10:50 · 2021年11月24日

この本は手元に置いておきたいと思いますが、Amazonの古書でも¥4,800から。日本の古書店で高いものは1万以上の値がついています。お財布が悲鳴を上げそう(-_-;)
#20世紀日本の歴史学
午前10:52 · 2021年11月24日

この本は手元に置いておきたいと思いますが、Amazonの古書でも¥4,800から。日本の古書店で高いものは1万以上の値がついています。お財布が悲鳴を上げそう(-_-;)
#20世紀日本の歴史学
午前10:52 · 2021年11月24日

p259-260

日本歴史研究はとかく中央偏重の見方をとってきた。さかのぼれば、古代貴族は「都」に対して地方を「鄙」と一括し、これを侮蔑の対象としてきた。⇨
#20世紀日本の歴史学
午前11:07 · 2021年11月24日

平泉澄が「百姓に歴史がありますか」といったと伝えられるのはその極端な例であるが、戦後の歴史学もこの鹿野の自問に到達するには長い時間を必要とした。⇦
#20世紀日本の歴史学
午前11:08 · 2021年11月24日

「歴史がありますか」と平泉が言ったその「百姓」から多くの兵士が出征して戦場に赴き、傷つき生命を落としたのではないのか。「鄙」に生まれた男子が一切の戦いを拒めば、そもそも歴史など生まれないのではないか。
#20世紀日本の歴史学
午前11:14 · 2021年11月24日

そのような条件下ではどんな英雄武将も、単なる〝荒くれ者〟に過ぎなかろうにと思います。
#20世紀日本の歴史学
午前11:15 · 2021年11月24日

映画「ドクトル・ジバゴ」の一場面を思い出します。第1次大戦の戦線から離脱する兵士の群れと、老将軍に率いられ追加で前線へ送られる兵士の群れとが遭遇します。離脱兵の群れの中にいた党員のアジで老将軍は馬から引きずり降ろされ袋叩きにされます。恐らくは落命。
#20世紀日本の歴史学
午前11:19 · 2021年11月24日

p277-278

日本の歴史学は、明治以来、国家との対立・衝突をおそれて、極力〝非政治的〟世界で研究することを願うことが多かった。⇨
#20世紀日本の歴史学
午後4:30 · 2021年11月24日

しかし今日、時代に背を向けたアカデミズムというものはもはや存立の余地がないし、自分で決めた小さな「専門」にだけとじ込もることは許されない。⇨
#20世紀日本の歴史学
午後4:31 · 2021年11月24日

その意味で、日本の「戦後」=現代社会をどう認識するかは、専門分野を超えて、すべての歴史研究者に求められる避けられない責任であり課題である。⇦
#20世紀日本の歴史学
午後4:32 · 2021年11月24日

p304

 しかし、研究の進展にともなう増補改訂もコンピュータ時代に入って概して容易となったから、この種の辞典は今後も長期にわたって日本史の基礎知識のよりどころとなるだろう。⇨
#20世紀日本の歴史学
午後7:01 · 2021年11月24日

その意味で、『国書総目録』と『国史大辞典』などの完成は戦後日本史学の土台構築として巨大な意義をもつものといえる。これらのツールとならんでコンピュータ・インターネットによるさまざまのサービスが可能になりつつある条件に恵まれ、⇨
#20世紀日本の歴史学
午後7:02 · 2021年11月24日

今日の若い研究世代は戦前の研究者が一代かけても到達できなかった高レベルの地点から研究を出発させることができるわけである。⇨
#20世紀日本の歴史学
午後7:02 · 2021年11月24日

先学の労苦と奮闘の上に今日の学問があることはどの分野でも同じであろうが、歴史学のように細部にわたる無限の知見・情報の積みあげによって深まるという性質の強い学問分野では、その思いを特別に深くするものである。⇦
#20世紀日本の歴史学
午後7:02 · 2021年11月24日

「戦前の研究者が一代かけても到達できなかった高レベルの地点から研究を出発させることができる」という言は非常に重い。

非常に恵まれた環境にあるにも関わらず、当今歴史を語る人の中には根拠に乏しい〝風説〟に染まり、無批判に受け入れてしまう傾向があるやに窺えます。
#20世紀日本の歴史学
午後7:07 · 2021年11月24日