「学研漢和大字典」初版本

学研『漢和大辞典 (机上版)』
当時、公孫氏が遼東(今日の東北)に割拠していたので、倭国も百濟・新羅も(高句麗を除いて)北朝との交流はなく、南朝宋を宗主とみなしていたため、流入した漢語は、江南(かつての呉の地)の中国語であった。

この記述がとんでもない間違いであることは明白。3世紀と5世紀との混同がある。また、「百濟・新羅も(高句麗を除いて)北朝との交流はなく」というのも正確ではない。

しかしながら、学研『漢和大辞典』たるものがそんな間違いをしでかすとは、容易に信じられなかったので、この記載を引用したm32ka6555さんと、「天誅君大先生」らとの応酬があり、私も同調したものだった。しかし、私としてもm32ka6555さんの口調が確信を帯びているように窺えたことから、大学図書館に行き実際に確認したところ、m32ka6555さんの書き込んだ通りの記載があった。「天誅君大先生」らももちろん実際にその記載について確認された。結局、m32ka6555さんを非難した側の面々は平身低頭≠キることになってしまった。m32ka6555さんには寛恕いただいたのだが、その心中やただならぬものがあったろう。「天誅君大先生」の原典に当たるべし≠ニいう教えを貴重な教えとして守ってきた私だが、その言葉の重みを教えの主℃ゥ身が身を持って体現される仕儀となった。これを私は「平身低頭事件」と命名して、何事も出来得る限りの確認を怠るまじきこと、それを肝に銘じている。