■古田説いうところの「博多湾岸」についての“認識”模式図

【図A】
zarakoku氏の恐らく認識している古田氏の「博多湾岸とその周辺」。
それを裏付けていると思われる発言。「邪馬台国論争が好きな人集まれ!!」トピックより。
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#90831:いえ、地図での楕円形印では、博多湾岸ですが、記載内容では、博多湾岸は不彌國であり、邪馬壹國は、その南ですから、当然、博多湾岸では有りえません。
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【図B】
私や「天誅君大先生」、また恐らく大方の人々が認識している古田氏の「博多湾岸とその周辺」。
この裏付けとなる古田氏の記述。
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このようにして、「部分里程の総和は、総里程。」の鉄則が充足されたとき、最終里程記載の地たる「不弥国」(博多湾岸)こそ、「女王国の玄関」である、という命題が浮かび上がった。すなわち、女王の都した所たる「邪馬壹国」の所在は“博多湾岸とその周辺”にあり、それまで筆者自身予想だにしなかった帰結へと到着したのであった。
『九州王朝の歴史学 多元的世界への出発』駸々堂/1991年/13頁。
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