「邪馬臺国」か「邪馬壹国」か

「邪馬壹国」論争一覧

『日本歴史』三五九号 1978年4月の「研究余録」に伊野部重一郎氏が「「邪馬壹国」論争について」という一稿を寄せて古田武彦氏の「邪馬壹国説」を批判しているが、その註1に諸氏による該説への反論を列挙してあるので作表してみた。年次を見て分かる通り、これらはいずれもほぼ半世紀前である。

これら論文の一部しか承知していないが、それでもその大勢は古田氏の再反論などからおおよそ窺い知れる。これら論文が出された後の古田氏の論調に変化があったかと言えば、見るところそうではないと言っていいのかもしれない。古田氏は自説を維持するに最後まで意気軒昂であった。

古田氏の第1書たる『「邪馬台国」はなかった』が朝日新聞社から刊行されたのは、昭和46年11月15日であるから、表中の2から9までと恐らくは11も第1書に対する反応ではなく、同氏の第1論文「邪馬壹国」(下表1)に基づく反応である。

表の末尾に角林文雄氏の一項を追加したが、これが当時の「邪馬壹国」説批判としては最も核心をついているのではないか。古田氏は自著『古代は沈黙せず』(1988年6月10日 駸々堂刊)に「史料Ⅱ 論争一覧」を掲げて、諸氏との論争を列挙している。下表より詳細にわたるが果たして「臺と壹」に関する論争であったかの確認ができないので、表への追記は当面見送る。p415で角林文雄氏との議論を記載しているが、それは下表の14と17であり、その後角林氏が自著で詳述した「邪馬壹国」説批判(下表25)についての再批判は記載されていない。角林書から5年を経ての当該古田書であるから、古田氏からの再批判はなされていないと捉えていいのではないか。

No 著者 論文名 掲載書誌 年次 備考
1 古田 武彦 邪馬壹国 『史学雑誌』七八-九 s44.9
2 和歌森 太郎 邪馬壹国説の無理 読売新聞 s45.2.8
3 尾崎 雄二郎 邪馬壹国について 人文 s45.2 京大教養部
4 牧 健二 書例による魏志倭人伝の解釈 『日本歴史』二六一 s45.2
5 大庭 脩 邪馬壹国説に寄せて 読売新聞 s45.2.10
6 森 秀人 『埋もれた銅鈬』p138-139 s45.3 紀伊国屋新書
7 佐伯 有清 回顧と展望(古代) 『史学雑誌』七九-六 s45.6
8 牧 健二 古田武彦氏の「邪馬台国」について--拙著「日本の原始国家」の見解に基づく考察 『龍谷法学』2(2〜4) s45.7
9 牧 健二 魏志倭人伝正解の条件 「史林」五三-五 s45.9
10 古田 武彦 『「邪馬台国」はなかった』 s46.11.15
11 大庭 脩 11.倭人伝の本文批判の問題 「邪馬壹国」説 『親魏倭王』p195-215 s46.12.1
12 大谷 光男 魏志の日食記事からみた魏志倭人傳 『二松學舍大學論集』s46年度 s47.3
13 久保 泉 邪馬臺国か邪馬壹国か 『続日本紀研究』一六七 s48.6
14 角林 文雄 倭人伝考証 『続日本紀研究』一六七 s48.6
15 重松 明久 魏志倭人伝をめぐる二、三の問題 『日本歴史』三〇一 s48.6
16 古田 武彦 邪馬壹国の諸問題 『史林』五五-六、五六-一 s47.11,s48.1
17 古田 武彦 邪馬壹国の論理と後代史料 『続日本紀研究』一七六・一七七 s49.6 伊野部論文では「昭和四二」と誤植により修
18 古田 武彦 九州王朝の論理性 『東アジアの古代文化』六 s50.秋
19 薮田 嘉一郎 「邪馬臺国」と「邪馬壹国」 『歴史と人物』 s50.9.1
20 加地 伸行 邪馬「台」国 『日本歴史』三三四 s51.3
21 白崎 昭一郎 邪馬臺国論争は終わっていない 『東アジアの古代文化』八 s51.春
22 安本 美典 『邪馬臺国』か『邪馬壹国』か 『東アジアの古代文化』九 s52.夏
23 伊野部 重一郎 「邪馬壹国」論争について 『日本歴史359号』 s53.4
24 白崎 昭一郎 邪馬臺国か邪馬壹国か 『東アジアの中の邪馬臺国』第二章 s53.7.31
25 角林 文雄 〔付〕「邪馬壹国」説批判 『倭と韓』p94-110 s58.3

尚、19と22はhyenaによる追加である。また、8,11,12は『月刊歴史手帖 1976-4巻7号』関和彦、井上幹夫「魏志倭人伝研究整理―その論争点と展望」p30註により追加。