「邪」と「耶」について

>「邪」と「耶」

2003/ 2/ 1 23:39
メッセージ: 1615 / 1615
について、とりあえず「中間まとめ」をします。

1.「耶馬台国」と書く学者・研究者の論文は、昭和二十年代半ばを境に、ぱったりと見られなくなる。
2.北畠親房の「神皇正統記」、一条(條)兼良の「日本書紀簒疏」、それに「situmonde_su」さんの挙げた「日本書紀私記」に「邪」を「耶」と造ることから、「耶馬臺」とか「耶馬台」とかの表記は「国史」の影響を受けているのではないかと見られる。
3.戦後、「魏志倭人伝」の原文が広く知られるようになり(岩波文庫など)、また戦前の史観からの転換の中で、原文にある「邪」の文字が広く使用されるようになってきた。
4.今日でも、特にアマチュアの「邪馬台国関連書籍」の中には、ときおり「耶」字を用いたものも見られる。
5.「原典」に広く当たって論ずることが求められるようになった今日、敢えて「耶馬臺(台)」の文字を使用することは、「太平御覧所引魏志」に見える「耶馬臺」を想起させて、一般的表記としての「耶馬臺(台)」は適当ではないと思われること。。


私の考えをとりあえず以上のようにまとめてみましたが、いかがでしょうか?