◆P.ブリッグス◆
りっぱな科学教育が保守的な人間をつくる傾向にあり、乱暴な考えが実りの多い想像に変わることもありうる。古い時代の地核の上に残った数多くのおそるべき傷跡や割れ目について、ある想像が簡単に説明される場合は、とくにそうである。
(P.ブリッグス著・竹内均訳『海底下の2億年 海洋の起源を探る旅』東海大学出版会/1976年7月30日第1刷発行/10頁)
◆イワン・ペトロヴィッチ・パヴロフ◆
鳥の翼がどんなに完全であるとしても、空気なしで鳥を飛びあがらせることはできません。事実−−−それは科学にとって空気であります。それなしでは君たちは決して飛びあがることはできません。それなしでは君たちの「理論」は、むなしい羽ばたきに終わってしまいます。
(講談社 ブルーバックス添付しおり記載)
◆ショウペンハウエル◆
世間でいわれるように、じょうずな料理人なら古靴の底皮でさえもけっこうおいしく調理することができるでしょう。
(『博識と学者について』)
肺癆患者を生かしておくためにはスープが間断なくその口に注ぎ込まれねばならないように
(『博識と学者について』)
物を知ることは、見識に達するひとつの単なる手段にすぎず、それ自身としては、ほとんどあるいはまったく価値のないものであるということなどは、彼らの思い及ばぬところ、実は、このことこそ、哲学的頭脳を有する者にして初めて気がつく考えかたなのです。
(角川文庫版『みずから考えること』6頁)

人はたいがい、判断しようとするよりも、むしろ信じようとする
(ショウペンハウエルが引用したセネカの言葉)
往々にして、わたしたちは、みずから考え、また、これを組み合わせることによって、さまざまに苦労を重ね、長い年月を費やして、ようやく作り上げてある真理やある見解が、ふと手にしたある書物のなかに、そっくりできあがっているのを見つけて、がっかりすることがあるとしても、やはり、みずから考えて獲得した真理なり見解は、ただ読んで知ったものにくらべると、百倍以上も価値があります。なぜなら、このようにして初めて、それらのものは、わたしたちの思想の全体系のうちに、たいせつな部分として、また活動的な四肢として入りきたり、これと完全に緊密に結合し、それらの根拠と結論もすっかり理解されて、わたしたちの全思考法の色彩と色調と極印とを有するものとなりますし、それらのものの必要が感ぜられたときに、ちょうどおりよくやってきたので、したがって、堅固な位置を占め二度と消え去ることはないからです。このような意味で、つぎに掲げるゲーテの詩句は、完全に適用されるし、さらに説明されもするでしょう。 「おまえが おまえの先祖から 受け継いだものを おまえのものとするためには さらに それを獲得せにゃならん」(『ファウスト』第一部)
(『みずから考えること』(角川文庫版27−28頁))
これに反して誇りのなかでも最も安っぽいのは民族的な誇りである。なぜかと言うに、民族的な誇りのこびりついた人間には誇るに足る個人としての特性が不足しているのだということが、問わず語りに暴露されているからである。すなわち個人としての特性が不足していなければ、何もわざわざ自分を含めた幾百万の人間が共通に具えている要素に訴えるはずがないからである。
立派な故事区的長所を具えた人は、自国民の欠点を常日ごろ見せつけられているのだから、この欠点をこそ最もよく認識するわけであろう。ところが何一つ誇りとするべきもののない憐れむべき愚者は、またま自分の賊する民族を誇りとするという最後の手段を命の綱と頼むのである。これによって息を吹き返し、随喜感激して、自国民に具わる欠点や愚かさを何から何まで力のかぎり根かぎり弁護しようとする。
『幸福について』(新潮文庫版77頁)
◆榎 一雄◆
倭人伝のテキストはすべて独立で対等の価値を主張しているのである。それを検討し取捨して、どれに従うべきか定めてゆくことこそ倭人伝の研究なのである。これは宋版のみではない。系統のはっきりしない場合には、宋以後のあらゆる版本にも適用される事実である。否、三国志とか魏志とかいう成書の形をもつもののみではない。魏志倭人伝として引用されているもの、或いは魏志倭人伝と明記されていなくても、魏志倭人伝に依ったと考えられるあらゆる引用文についても言えることなのである
(榎一雄『改訂増補版 邪馬台国』(至文堂/昭和53年11月/39頁)。 )
◆ロバート・マクナマラ◆
あるとき8時間にもわたるベトナム情勢についての会議があり、何百枚ものスライドが映し出された。ちょうど会議が7時間もたったころ、突然マクナマラが言った。「ちょっと待て、このスライド869番はスライド11番と矛盾する」。すぐ11番のスライドが映し出された。なるほど彼の言うとおりだった。「二枚のスライドは相矛盾する事態を説明していた。誰もが度肝を抜かれ、多くの人が恐ろしさを感じた。彼の名声が高まるのも無理なかった。畏敬の念すら抱かれた」。
『ベスト&ブライテスト』http://homepage2.nifty.com/seiyu/monthly153.html
◆莊子◆
莊子は自分が蝶になった夢を見て、目を覚ますと、自分は蝶が人になった夢を見ているのではないかと思ったという。
『パラドックス大全』ウィリアム・パウンドストーン/松浦俊輔訳/青土社