The World Wise Words


デール・カーネギー

ゆえに、人を説得する法の第一―
議論に勝つ最善の方法は議論を避けるにありとこころえること。
(デール・カーネギー・著/山口博・訳『人を動かす』創元社/昭和54年2月20日第1版第145刷/131頁)

山本茂実

 北アルプスで最後まで測量を拒み続けてきた山は剣岳といわれているが、明治四十年七月柴崎芳太郎がようやく山頂にたどりついてみたら、人跡未踏のはずの山の頂上で発見したものは多年風雨にさらされた古い錫杖(しゃくじょう)の頭と古刀一ふりだったのである。東京帝室博物館高橋健博士の研究によると「剣岳山頂にあった錫杖頭(しゃくじょうがしら)が正倉院御物の白銅の錫杖などとならぶ屈指の古式錫杖であり、作られた年代は奈良朝末期ないし平安初期にさかのぼる」と論証した。だれがそんな昔に何のために登ったのか?遺品にしては人骨はついに付近に発見されなかった。ただ北寄りを下った岩窟の奥に焚火でもしたものか、炭の破片が残っていた。
 これはあきらかに勇猛な山伏か僧侶が登ったことを証明していた。また錫杖は山頂への〈供物〉なのか?いずれにしても先人の足跡は強く山頂に印されていたのである。
(『喜作新道』p63-64 昭和46年10月25日刊)

三石巌

科学者だけが科学の真実を知っていても、力は弱いのだ。「無知こそは諸悪の根源である」とロベール・ギランはいったではないか。政治家の無知は致し方ないとしても、われわれ一般大衆が無知であっては、権力はとことんまで科学を悪用する恐れがある。
(『科学の起源99の謎』まえがき 昭和51年7月1日)

P.ブリッグス

りっぱな科学教育が保守的な人間をつくる傾向にあり、乱暴な考えが実りの多い想像に変わることもありうる。古い時代の地核の上に残った数多くのおそるべき傷跡や割れ目について、ある想像が簡単に説明される場合は、とくにそうである。
(P.ブリッグス著・竹内均訳『海底下の2億年 海洋の起源を探る旅』東海大学出版会/1976年7月30日第1刷発行/10頁)

藤森栄一

元来、日本人には物をしっかり見つめていく思考力と、なぜかと疑っていく研究心と、古い伝統にたいする反撥力が弱かったためか、そうした優れた学者たちも、正しい学問の組織の上にその着眼を移していくこともせず終わりました。
(藤森栄一『考古学・考古学者』p36 昭和22年「古代史と考古学」より)

戸沢充則

昭和二十一年六月、南方の最前線で死地をさまよった末、藤森一等兵は奇跡に近い生還をとげた。そして戦争で荒廃した日本の国土をその目で確かめ、正しい歴史認識をもつことこそ、ふたたび日本を戦争の不幸に追いこまないためにも、ぜひ必要なことだと改めて確認したのにちがいない。そして皇国史観にかわる科学的な原始・古代史の歴史叙述を構想することが、身をもって戦争の悲惨さを体験した考古学者の一人として、当然はたすべき役割であると意志されたのだと思う。
(藤森栄一『考古学・考古学者』解題p231)

イワン・ペトロヴィッチ・パヴロフ

鳥の翼がどんなに完全であるとしても、空気なしで鳥を飛びあがらせることはできません。事実−−−それは科学にとって空気であります。それなしでは君たちは決して飛びあがることはできません。それなしでは君たちの「理論」は、むなしい羽ばたきに終わってしまいます。
(講談社 ブルーバックス添付しおり記載)

ショウペンハウエル

世間でいわれるように、じょうずな料理人なら古靴の底皮でさえもけっこうおいしく調理することができるでしょう。
(『博識と学者について』)
また、いい年齢(とし)をしてプリニウスが書籍を手から放すことができず、食事中にも、旅行中にも、入浴中でさえ、たえずみずから読むか他人(ひと)に読ませるかしていたという話を聞くと、わたしには、この人は、ちょうど肺癆(はいろう)患者を生かしておくためにはスープが間断なくその口に注ぎ込まれねばならないように、彼自身へと他人の思想がしょっちゅう注入されなければならないほど、自己の思想に大きな欠陥を持っていたのではあるまいかという疑問がわいてきます。
(「博識と学者について」角川文庫版『みずから考えること』p6)
物を知ることは、見識に達するひとつの単なる手段にすぎず、それ自身としては、ほとんどあるいはまったく価値のないものであるということなどは、彼らの思い及ばぬところ、実は、このことこそ、哲学的頭脳を有する者にして初めて気がつく考えかたなのです。
(角川文庫版『みずから考えること』6頁)
人はたいがい、判断しようとするよりも、むしろ信じようとする
(ショウペンハウエルが引用したセネカの言葉)
往々にして、わたしたちは、みずから考え、また、これを組み合わせることによって、さまざまに苦労を重ね、長い年月を費やして、ようやく作り上げてある真理やある見解が、ふと手にしたある書物のなかに、そっくりできあがっているのを見つけて、がっかりすることがあるとしても、やはり、みずから考えて獲得した真理なり見解は、ただ読んで知ったものにくらべると、百倍以上も価値があります。なぜなら、このようにして初めて、それらのものは、わたしたちの思想の全体系のうちに、たいせつな部分として、また活動的な四肢として入りきたり、これと完全に緊密に結合し、それらの根拠と結論もすっかり理解されて、わたしたちの全思考法の色彩と色調と極印とを有するものとなりますし、それらのものの必要が感ぜられたときに、ちょうどおりよくやってきたので、したがって、堅固な位置を占め二度と消え去ることはないからです。このような意味で、つぎに掲げるゲーテの詩句は、完全に適用されるし、さらに説明されもするでしょう。 「おまえが おまえの先祖から 受け継いだものを おまえのものとするためには さらに それを獲得せにゃならん」(『ファウスト』第一部)
(『みずから考えること』(角川文庫版27−28頁))
これに反して誇りのなかでも最も安っぽいのは民族的な誇りである。なぜかと言うに、民族的な誇りのこびりついた人間には誇るに足る個人としての特性が不足しているのだということが、問わず語りに暴露されているからである。すなわち個人としての特性が不足していなければ、何もわざわざ自分を含めた幾百万の人間が共通に具えている要素に訴えるはずがないからである。
立派な個人的長所を具えた人は、自国民の欠点を常日ごろ見せつけられているのだから、この欠点をこそ最もよく認識するわけであろう。ところが何一つ誇りとするべきもののない憐れむべき愚者は、またま自分の賊する民族を誇りとするという最後の手段を命の綱と頼むのである。これによって息を吹き返し、随喜感激して、自国民に具わる欠点や愚かさを何から何まで力のかぎり根かぎり弁護しようとする。
『幸福について』(新潮文庫版77頁)

榎 一雄

倭人伝のテキストはすべて独立で対等の価値を主張しているのである。それを検討し取捨して、どれに従うべきか定めてゆくことこそ倭人伝の研究なのである。これは宋版のみではない。系統のはっきりしない場合には、宋以後のあらゆる版本にも適用される事実である。否、三国志とか魏志とかいう成書の形をもつもののみではない。魏志倭人伝として引用されているもの、或いは魏志倭人伝と明記されていなくても、魏志倭人伝に依ったと考えられるあらゆる引用文についても言えることなのである
(榎一雄『改訂増補版 邪馬台国』(至文堂/昭和53年11月/39頁)。 )

ロバート・マクナマラ

あるとき8時間にもわたるベトナム情勢についての会議があり、何百枚ものスライドが映し出された。ちょうど会議が7時間もたったころ、突然マクナマラが言った。「ちょっと待て、このスライド869番はスライド11番と矛盾する」。すぐ11番のスライドが映し出された。なるほど彼の言うとおりだった。「二枚のスライドは相矛盾する事態を説明していた。誰もが度肝を抜かれ、多くの人が恐ろしさを感じた。彼の名声が高まるのも無理なかった。畏敬の念すら抱かれた」。
『ベスト&ブライテスト』http://homepage2.nifty.com/seiyu/monthly153.html

リチャード・L・パーティル

論点がいったん証明されたように扱われると、それが実際に証明されているのだという幻惑のようなものを私たちは頭の中で作り出してしまう傾向があるのである。
『「論理的思考」の方法』松本道弘訳p94/産業能率大学出版部/昭和54年5月20日再版発行

莊子

莊子は自分が蝶になった夢を見て、目を覚ますと、自分は蝶が人になった夢を見ているのではないかと思ったという。
『パラドックス大全』ウィリアム・パウンドストーン/松浦俊輔訳/青土社

アーサー・クライン

新グローバル・テクトニクスは、遠く離れた陸や時代を結びつける。また、別々の科学分野の専門家たちをも結びつける。このことはまさに、かつてアルフレッド・ウェゲナーが主張していたことである。そもそも、フランシス・ベーコンが主張したように、個々の科学の境界というものは単に便宜的に設けられたにすぎないのであって、決して「分離された部門」であってはならないのである。
〈中略〉
この科学の革命において、専門家はもちろん、興味をもった素人もまた、新しい学説、解釈に注目している。地球は絶え間ない過程の複合体であり、決して、過去に完了した事件の貯蔵庫、博物館ではない。
アーサー・クライン、竹内均訳『大陸は移動する』p231-232

ミルチャ・エリアーデ

すなわち歴史的事件とか実在の人物の追憶はせいぜい二、三世紀の間しか民衆の記憶には止まらない。民衆は、個々の事件と実在の人物とを記憶に止めておくことが困難だからである。民衆の記憶がはたらくその構造は、これとは異なっている。すなわち事件の代わりにカテゴリーが、歴史的人物の代りに祖型(アーケタイプ)が現れる。歴史的人物はその神話的モデル(英雄等)に同化され、一方、事件は神話的わざ(怪物や敵対する兄弟との戦い等)のカテゴリーと一致させられる。
ミルチャ・エリアーデ、堀一郎訳『永遠回帰の神話―祖型と反復―』p59

アーノルド・アロイス・シュワルツェネッガー

この国の移民の一人として、アメリカ人の仲間や友人、世界に向けて、最近起こった出来事に関して伝えたいことがあります。

私はオーストリアで育ちました。私はクリスタル・ナハト(水晶の夜)をよく知っています。1938年に起こった、ナチスの過激派グループによるユダヤ人襲撃事件です。

水曜日には、それがアメリカでも起こりました。暴徒によって議事堂の窓が壊されましたが、それだけではありません。

彼らは、私たちが当たり前と思っていた理念を打ち砕きました。彼らはアメリカの民主主義を体現する建物のドアを壊しただけではありません。建国の原則をも踏みにじったのです。

私は民主主義を失った国の、荒れ果てた場所で育ちました。第二次世界大戦の終戦から2年後の1947年に生まれました。

周りの大人たちは、史上最も邪悪な政権に加担した罪悪感から、酒に溺れていました。全員が反ユダヤ主義者やナチスではなかったけれど、多くは一歩ずつ、追従して行ったのです。彼らは隣に暮らす人々でした。

これから話す記憶は、今まで公に語ったことはありませんでした。とても辛い記憶だからです。

父は週に1、2回、泥酔して帰宅すると、叫び、家族を殴り、母を脅しました。ですが私は、父を完全に責めることはできませんでした。隣の家も、そのまた隣の家でも、同じように暴力が行われていたからです。私自身の耳で聞き、この目で見たのです。

彼らは戦地で体にけがを負い、自らが目にしたこと、行ったことで精神的な傷を負いました。

全ては嘘から始まりました。嘘に嘘が重ねられ、そして不寛容から始まったのです。私はヨーロッパで、社会がどのように制御不能となっていくかを直接目にしました。

ナチスと同じことがまた起こるのではないかと、アメリカと世界が恐れています。私はそれを信じていません。ですが、身勝手さと冷笑は、悲惨な結果を招くと気づくべきです。

トランプ大統領は公正な選挙結果を覆そうとしました。彼は嘘をつき、人々をミスリードしてクーデターを企てました。

私の父や当時の隣人たちも、(ナチスの)嘘に惑わされたのです。誤った方向に導かれる先を、私は知っています。

トランプ大統領は指導者として失格です。彼は史上最悪のアメリカ大統領となるでしょう。彼自身がまもなく、古いツイートのように消えていくのは良いことですが、彼の嘘と裏切りを容認した政治家たちはどうするべきか。

彼らに、セオドア・ルーズベルト元大統領の言葉を思い出させたい。

「愛国心とは、国を支持するということ。大統領の側に立つということではない」

ケネディ元大統領の著書に『勇気ある人々』がありますが、我が共和党の多くの議員たちは軟弱で、勇気ある人々ではなかった。断言します。

(トランプ氏を支持した)共和党の議員たちは、トランプの旗を振って議会に乱入した、独りよがりの反乱者たちの共犯者です。

ですが彼らは失敗しました。アメリカの民主主義は依然として強く堅かったのです。乱入のすぐ後に議会は再開し、バイデン氏の勝利を承認するという職務を果たしました。なんと素晴らしい民主主義の証でしょうか。

私はカトリック教徒として育ちました。教会やカトリック学校に通い、聖書や教理を学びました。

今回の出来事で私が思い出したのは、「しもべの心」という言葉です。自分よりも偉大なものに仕える、という意味です。学ぶべきは、公の奉仕者の心です。

政治家に必要なのは、権力よりも政党よりも偉大なもの、より高い理念に奉仕することです。その理念はこの国が築き、他の国からも尊敬されてきました。

この数日、世界中の友人が私に電話、電話、また電話をしてきました。この国を心配しているのです。ある女性は、アメリカの理想主義がどうあるべきかを憂いて泣いていました。

その涙は、世界にとってアメリカとは何かを思い出させてくれます。連絡してきた全ての友人たちに、私は「アメリカはこの暗黒の日々から再起し、輝きを取り戻すはずだ」と話しました。

これは『コナン・ザ・グレート』で使った剣です。剣に焼き入れをするほど、剣は強くなります。ハンマーで叩かれ、炎で焼かれて冷水で冷やされ、工程を繰り返すことで剣はどんどん強くなります。

この話をするのは剣づくりのエキスパートになって欲しいからではありません。アメリカの民主主義も剣の鋼と同じなのです。鍛錬することで、より強くなります。

私たちの民主主義は、戦争、不正、暴動にさらされました。今回の襲撃事件で、失われかねないことが何かを知ったため、私たちの民主主義は強くなります。

このようなことが二度と繰り返されないようもちろん改善が必要です。度を超えた事態を引き起こした人たちの説明責任を追及しなければなりません。私たち自身、私たちの党の過去と不調和を見つめ直さなければいけません。そして民主主義を第一に考えなければいけません。

今回の悲劇で負った傷をともに癒し合いましょう。共和党として、民主党として、ではなく、アメリカ人としてです。このプロセスを始めるにあたって、政治的な立場は関係ありません。バイデン次期大統領に、こう言いませんか。

「バイデン大統領。私たちはあなたの素晴らしい成功を望みます。あなたの成功は、私たちの国の成功です。私たちを再び一つにする努力を、心から支持します」

そして、憲法を覆せると思った人々は知るべきだ。あなたは決して勝てないということを。

バイデン次期大統領、私たちはあなたを今日も、明日も、この先ずっと支えます。私たちの民主主義を脅かす人たちから、それを守るために。すべての人に、アメリカに神の御加護がありますように。

by ハフポスト日本版編集部
「全ては嘘から始まった」スピーチ全文
議会襲撃とナチス重ねたスピーチが胸を打つ by HUFFPOST JAPAN 2021/1/11(月) 15:24配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/5bbcd88978b79bea2178b5b0fc921a905388b890