『三國志』「蜀〔呉〕志」
中書門下  牒
  蜀〔呉〕志
牒奉
勅書契已来簡編咸備毎詳觀於淑〓1
昭示於勸懲矧三國肇分一時所紀史筆
頗彰於遺直策書用著於不刊諒載籍之
前言助人文之至化年祀〓2遠譌〔惧〕謬居多
爰命學徒俾其校正宜從模〔摸〕印式廣頒行
牒至准
勅故牒

咸平六年十月二十三〔九〕日

左諌議大夫参知政事王〔ナシ〕
工部侍郎参知政事王〔ナシ〕
兵部侍郎同中書門下平章事
門下侍郎同中書門下平章事
左僕射同中書門下平章事

[〓1の文字]

[〓2の文字]
注1:テキストは宮内庁書陵部蔵・紹煕本『三國志』および、百衲本『三國志』による。〔〕内は、静嘉堂文庫蔵・咸平本『呉志』「中書門下 牒」。ただし、尾崎教授の解説によると、これは北宋咸平六年の原刻ではなく、南宋初期の刊、同前期の修(補刻)とみられるとのこと(下記19号178頁)。

注2:宮内庁資料部蔵・紹煕本の「牒」は「拙い文字での筆写」(榎『改訂増補版 邪馬台国』32頁)、「図書寮現存本は補写」(古田『「邪馬台国」はなかった』140頁)であり、その理由ははっきりしない。「百衲本」が書陵部本の忠実なプリントであるという張元済の発言は尾崎・榎両博士の検証から正しくない。ただし、これは版木が同一でないという意味で、本文と注の内容は同じである(『改訂増補版 邪馬台国』32頁)。
【榎教授書き下し(『季刊邪馬台国』1984年秋号・21号・110頁)】

中書門下牒す。

呉志。
牒す。勅を奉ずるに、「書契已来、簡編咸(みな)備わる。毎(つね)に詳しく淑〓(善悪というほどの意)に観、昭かに勧(善)懲(悪)に示す。矧(いわん)や三国肇(はじ)めて分かるるや、一時の紀す所(すなわち『三国志』は)、史筆頗る遺直に彰かに策書を用て不刊(不滅に同じ)に著し、載籍(書籍に同じ)の前言を諒かにし、人文の至化を助くるものなり。(しかるに)年祀〓2(ようや)く遠く、惧(=誤)謬多きに居る。爰に学徒に命じ、其れを校正せしめたり。宜しく摸印の式に従い、広く頒行せしむべし、と。牒至らば勅に準ぜよ。故に牒す。(以下略す)
【尾崎教授書き下し(『季刊邪馬台国』1984年春号・19号・179頁)】

中書門下 牒

牒す。勅を奉ず。「書契(文字)より已来(このかた)、簡編(書物)咸(み)な備る。毎(つね)に淑〓(よいことと悪いこと)を詳観(くわしくしめす)し、実(まこと)に勧懲(よいことをすすめ、わるいことをこらしめる)を昭示(はっきりと示す)。矧(いわん)や三国肇めて分かれ、一時の紀(しる)すところなるをや。史筆 頗る遺直(昔の人が持っていた直行な性質)を彰かにし、策書(簡策に書かれた書)用て不刊(永く世に伝わって滅びない)を著す。諒(まこと)に載籍(書籍)の前言(古人のことば)、人文(人間社会の文化)の至化(教化)を助くるなり。(しかれども)年祀(とし)〓2(ようや)く遠く、譌謬(あやまり)居多なり(多くなっている)。爰に学徒に命じ、其れをして校正せしめ、宜しく摸印の式に従い、広く頒行(はんこう)せしむべし。牒至らば勅に準ぜよ。故牒す。(以下略す)