「丑寅原稿」と「和田喜八郎筆写 東日流外三郡誌 第参百六十巻」とにおける

筆跡比較

「知られざる聖域 日本国は丑寅に誕生した」、所謂「丑寅原稿」は、「偽書説」側の筆跡鑑定(1993年3月発表)で、和田喜八郎氏自筆原稿として古文書類(「和田家文書」)との筆跡鑑定に用いられたが、和田・古田氏サイドはこれを、喜八郎氏の娘さん・章子さんの筆跡だと主張する。平成7年2月のことである。

「丑寅原稿」については、当初からその一部が『季刊邪馬台国』51号以降に紹介されてきたが、最近、古田説支持の「多元的古代研究会」サイト上に「和田喜八郎筆写 東日流外三郡誌 第参百六十巻 明治十五年 和田長三郎」なる画像が公開された。

そこで、「丑寅原稿」の1枚に登場する全文字と、「和田喜八郎筆写 東日流外三郡誌 第参百六十巻」中の「喜八郎3600203.jpg」なる画像中の相当文字との筆跡比較を行ったので、その結果を公表したい。

とりあえず、「丑寅原稿」と、「和田喜八郎筆写 東日流外三郡誌 第参百六十巻」中の見開き2ページのみの対比である。いずれ時間が許せば、他の画像に見える筆跡との比較も行いたいと考えている。(2013/9/27 Upload)